知る世界 「桂川日記」(49)「取材始まる」

昨年10月に「月の都、京都」(平安京をめぐる旅)を出版しました。お陰さまで大変好調で、先日、大学の大ホールで行った講演会は、超満席で立ち見もかなり出てきてしまいました。

その上最後のサイン会でも、大変な数の方が並んで下さり、大変うれしい結果になったのですが、いよいよこれからは、また次の作品を新たな作業の始まりです。

すでに昨年の暮れから準備をしていたのですが、素材の収集を始めたり、取材の方向をきめたりし始めて、半年たちました。 前回と違って、今回は素材がそろってしまいましたので、その裏付けをとる作業・・・つまり取材にかかる時がきました。

もちろん今からすべて始めるわけではありません。すでに年の始まりから、ぼちぼち始めました。

その最初は毎年京都の大きな祭りである葵祭の大事な役割を果たす、斎王の遺跡調査に出かけました。祭りでは主役を演ずる斎王の拠点であったはずなのですが、大変探しに気ところにあって、困りましたが、突き止めてきました。

祭りでは主役でも、歴史を経ると拠点であった斎院も、記念碑を残すだけになっていました。そしてその周辺にあったといわれる寺も、源氏物語などでは、かなり大事な話の無体にもなりながら、現在は大分その規模を縮小していたりしています。しかしそれでもその史跡が残っていることは大変嬉しいことです。

京都というところは。そういう点で、取材するには、大変いいところで、感謝せざるを得ません。

同じような斎院関係のところというと、初代の斎王となった有智子内親王の墓も、嵯峨野の一角・・・落柿舎の隣に存在しています。彼女右派嵯峨天皇の皇女ですが、大変文才に恵まれていて、見事に漢詩を作ったことで天皇も感心してしまい、詩宴が開かれる時には呼ばれて、さまざまな文人、貴族たちに交じって詩を創ったりしていました。彼女は平安京を守護することを務める、斎院の初代斎王です。

この他、伊勢へ向かう斎宮が潔斎した野宮神社など、特別に目標を持って訪ねると、興味は倍増する事間違いありません。

いろいろなことを思い浮かべながら、取材をしていくのは、大変楽しいことですよ☆

斎院碑の写真
雲林院前の写真
有智子内親王墓の写真
野の宮神社の写真