知る世界 「旅雑記」(1)「楽しみを奪う史跡名変更」

もうかなり前から、わたしはゴールデンウイークや夏のシーズンの間は、軽井沢の山荘へ赴いて、休養しながら仕事をしてきました。もちろん休養を兼ねていますから、あまり仕事に時間は割かないようにしてきましたが、気が向いた時に、気が向いたところへ出かけていったりしてきました。そんな中で、いつも気になっていた史跡の一つが、この軽井沢にある長倉神社のことでした。

追分へ向かう国道18号線沿いの、軽井沢役場が近くにあって、中軽井沢の交差点に近い湯川の縁にあるので、大変目につく神社なのですが、どうも、この「長倉神社」という名称には、まるで興味がわかなくて、あまり深入りしないできたのです。ところがこの神社は、かねてからわたしが関心を持っていた、ある神社と大いに関係があるということが判ったのです。

そのへんからお話をしたほうがよさそうですね。もともとわたしが気にしていたのは、このあたりにあったはずの、「沓掛神社」というところだったのです。

昔、旅人は険しい碓氷峠を越えて行く男街道と、この沓掛の宿場(中軽井沢)から女街道を通って草津方面へ向かい、東北、関東へ向ったり、追分へ向かったり、北国街道へ向かったりする大事な拠点だったのですが、多くの旅人は、ここ・・・沓掛にあったはずの「沓掛神社」へ沓・・・つまり草鞋を納めて、旅の安全を祈るのが習慣だったはずなのです。

それほど有名な神社なのに、現在はどこを探しても、「沓掛神社」などというところは、見当たらないのです。そのことについては、軽井沢へ行くようになってから、ずっと気になっていたことだったのでした。

それが一気に解決したのは、つい数年前のことだったのでした。

親戚の者の車で軽井沢方面へ旅をした時のこと、彼の友人が、この中軽井沢で青年実業家として活躍しているということから、彼を訪ねて聞き出してきてくれたのです。幸いなことに、彼はここで観光事業にかかわっているということから、大変土地の事情には詳しく、わたしの問いかけた疑念についても、あっという間にお答え頂いたと言う訳でした。

問題の「沓掛神社」は、先刻出てきた「長倉神社」と名称を変えただけで、同じところだというのでした。

(やっぱり・・・!)

石碑には延喜式内と彫られていますから、かなり古いものだとは思っていたのですが、「長倉神社」というのは、まったく歴史上登場してきません。それではどうして、このような無味乾燥な名称に変えてしまったのでしょうか。

答えは簡単なことした。

時代に合わせて古臭い雰囲気を改め、土地を活性化する一環として地名の変更をした結果だというのです。

昔、このあたり一帯を「長倉」といっていたそうで、その象徴として、「沓掛神社」を「長倉神社」と改称したということだったのでした。

(しかしどうして・・・!)

わたしはどうしても納得できませんでした。

東京でも、時代の進化に合わせて、行政の簡便化のために、由緒ある土地の名称を、無造作に記号化してしまいました。もちろん中には住民たちの反対で、それを阻止することができたところもありますが、こうした歴史的にもよく知られた、街道の重要な拠点にあったところまで、無造作に変更してしまうことが、本当に意味があるのか、考えてしまいます。 むしろ現代は、昔の旅人が、この宿場から追分へ向かうにしても、草津へ向かうにしても、あの「沓掛神社」へ沓を納めて、旅の安全を祈っていったということが判ったら、きっと中軽井沢が軽井沢宿と追分宿を結ぶ街道の要所である沓掛宿であったことも判るし、町に対する興味も生まれてくるはずだと思うのですが・・・。

時代小説にも、「沓掛時次郎」という長谷川 伸の名作があるくらいなのですから・・・。昔は「時次郎饅頭」などというものまで、駅前の店で売られていたのですが、今は看板だけで、あとはその残骸すら見当たりません。

現在は、こういった歴史的な素材を、ほとんどネグってしまって、お洒落な近代的な町というイメージで売りたいようなのですが、いささか力の入れ方が間違っているのではないでしょうか。まして、昨今は、新幹線も停まらない駅になってしまって、中軽井沢はすっかり活気を失ってしまいました。

もう一度歴史街道の町であったということで、素材を掘り起こしたほうがいいのではないでしょうか。昔、旧碓氷峠を越えて行くのは、険しかったのと、関東へ峠を越えたあたりに関所があったりしたので、わけありに男はもちろんのこと、女は避けていました。その結果、商人たちはもちろんのこと、市民たち・・・特に女などは、この沓掛宿を基点にして旅をしたり、草津あたりへ湯治に出かけたりして行ったのですが、そんなことを想像しながらあたりを散策する楽しみを知って貰うためにも、もう一度史跡保存という視点で考え直して貰いたいものです。それこそが、観光資源の開発にもなると思うのですが・・・。どうか旅をする人の発見する楽しみを、せめて無造作に奪わないわないでもらいたいものです☆

長倉神社前の英夫の写真