知る世界 「旅雑記」(5)「青森でシンポジューム」

平成15年10月5日のこと、青森県出身のアーティスト、成田亨さんの美術展が青森県の七戸の野辺地にある、鷹山宇一美術館で行われました。そのトークショウへ出席して欲しいという依頼がありましたので、わたしは妻を伴って陸奥の旅に出ることにいたしました。

もちろんきっかけがきっかけでしたから、個人的な旅は、先ず「成田 亨展」でのイベントが終わってからということにしました。

美術館は特に土曜・日曜日は入館者が多かうでした。ちょうどイベントのトークは、その日に設定されていましたので、三十代の方を中心にして、かなりの方が参加してくれたように思いました。中にはわざわざ東京からやって来た人が何人もいてびっくりしてしまいましたが、所謂特撮テレビの「ウルトラマン」シリーズ、「突撃ヒューマン」での、成田氏のデザインが、決定的な力を発揮していたことは、ファンがよく知っていたということでしょう。会期中の入場者数もかなりのものでしたが、その最終日であるトークの日も、九百人を越える入館者があり、トークの会場へもかなり熱心な人が駆けつけてくれました。

 

わたしは「ウルトラマン」でも成田さんとは関係がありましたが、今回はテレビでは最初で最後のなってしまった、特撮物を舞台でやるといった、大冒険をすることになった「突撃ヒュウマン」での、成田氏とわたしの話であります。もともとかなり無理を覚悟の企画でしたから、放送前や、放送中には、さまざまな苦心はもちろんのこと、失敗がいろいろとありましたので、そのような話をいたしました。もうほとんど舞台裏を知っている人はいませんし、青森会場へ来た人でも、東京から駆けつけて来た人は、辛うじて幼少の頃、生で番組を見た記憶のあるといった人達だったと思います。とても現地の青森の方では、放送のあった頃テレビでは見た記憶があっても、会場へ来て舞台のヒューマンを見た方は、皆無だったと思います。そんな機会は、地方ではなかったと思いますから、当然のことです。公開録画の会場はいつも都心に近いところに限られていましたから、とても青森までやって来て放送する余裕は、予算的にも、時間的にも無理でしたから・・・。

トークは特撮監督の樋口真嗣氏、美術評家の椹木野衣氏とわたしの三人で、生前の成田さんについて語り、最後に質問コーナーもあって、参加者との間に質疑応答もあって、かなり熱っぽいイベントになりました。それにしても、「ウルトラマン」や「突撃ヒューマン」は、こうして多くの方の記憶に残って、更にそのお子さんに受け継がれて、愛されつづけるということは、今は亡きデザイナー成田氏も、天国で喜んでいてくれることでしょう。

美術展を開催した青森県立美術館のみなさん,鷹山宇一美術館のみなさんの、暖かな歓迎と努力に敬意を表しながら、わたしたち夫婦は、イベント終了と同時に身軽になって、野辺地から十和田湖畔まで、送って頂くことになったのでした。

晩秋と言うこともあって、日暮れは早いと言うことから、ファンのみなさんとの別れもそこそこに、館員の用意して下さった車で、十和田湖畔へ向かったのでした。なぜこの地をわざわざ選んだのかというと、ただ単に野辺地でのイベントがあったからというわけではありませんでした。

わたしの大きな記念の作品である「宇宙皇子」のラストが、この十和田湖畔の御鼻部山だったのです。かつて編集担当者と共に、取材に来たことがあったのですが、今回はその思い出の地を、妻と一緒に訪ねてみようというのが、企てのきっかけだったのでした。そんな訳で宿泊は、かつて取材の折に使った、十和田湖畔のプリンスホテルを予約しておきましたが、何もかもが昔と同じで、却って感激したのでした。

余談ですが、かつて取材に付き添ってきた編集長のYと、若手編集のNは民宿に泊まったために、一晩中カメムシに襲撃されて難渋したと言うことを、翌日になって知らされたことがありました。しかしカメムシと格闘しつづけたのは編集長のほうで、部下のYは大いびきをかいて悠然と寝ていたということでした。実に現代を象徴する上下関係の始まりでした。まだお二人は現役ですから、これ以上昔のお話をしては、いろいろと差し障ることもあるでしょうから控えます。

とにかくそんな思い出を手繰り寄せながら、まさにわたしたちは、思い出つづりの旅になったのでした。そのあたりのお話は、また次回にいたしましょう☆

成田展会場前の写真
成田デザインとの写真