知る世界 「旅雑記」(4)「極北 弟子屈への旅」
梅雨が過ぎたら、いよいよ夏です。今年は猛暑になりそうだという予報が出ているのですが、そこで今回は、零下20度を越える極北の地への旅のお話をすることにいたしました。多少は涼気をお届けできるかもしれないという配慮なのですが、どうでしょうか。
これは「誇り高き星へ」という作品を執筆するための取材旅行でしたが、小説の中身の話というよりは、旅行の話といったほうがいいかも知れません。
弟子屈(てしかが)でアイヌのみなさんが、大きな祭りを行うというので、見てみませんかというお誘いを、角川春樹氏から受けたのです。
もちろん二つ返事で承知いたしました。
とにかく吐く息も凍りつくといわれるほどの極地ですから、それなりの準備をしなくてはなりません。わたしは早速神田のスポーツ用品店へ行って、寒冷地用のダウンジャケット、靴下、靴、手袋、正ちゃん帽等々、重装備の旅装を整えて、出かけたのでした。
角川さんの北見にあった別荘へ立ち寄り、そこからバスを仕立てて、極寒の地へ向かったのでした。
わたしにとっても、同行のスタッフにしても、アイヌの祭りというものに立ち会えるということは、滅多にないことです。
もちろんそんな機会には恵まれませんでした。
最近はアイヌも、次第に集落を出て行く人が多かったり、お祭りで神に捧げるための小動物が、動物愛護の精神に反するということから、神への感謝の気持ちを表すために捧げる動物が、殺せなくなってしまったことから、長いこと祭り自体が行われなくなってしまっていたのです。長いこと受け継がれてきた、伝統的な儀式が行われないということは、次第に彼らの生活基盤を失うことにもなるのですが、時代の激しい変化ということもあって、集落の者も次第に土地を離れていきつつありました。
長老たちは、アイヌの伝統が失われていくことで、アイヌという原住民が存在したことも失われてしまうというので、大変悩んでいましたが、集落の者の気持ちを纏めるために不可欠な祭りを復活させるためには、かなり高額の資金が必要になるというので、行き詰ってしまっていたところでした。
たまたまこの弟子屈湖を訪れた時に酋長と出会い、それが縁となって、彼らの置かれた状態に同情された角川さんが、祭りを行う資金を提供することで、祭りの再現ということになったのでした。
空気が澄み切っていました。
切れるような冷気に満ちたところでしたが、実に清浄な気に満ち満ちたところでした。
祭りのために、清掃した集落の人々、関係のあるアイヌの幹部たちが、祭りの中心となる小屋、湖畔に建てられた祭壇の周辺で、忙しく準備のために動いていました。
わたしは角川でいろいろと仕事をしていらっしゃる作曲家の(故)宮下富実夫さん。祭りを記録するスタッフなどと一緒に、祭りの行われる小屋へ入り、その時を待ちました。
時の経過と共に、気温はどんどん下がっていって、零下25以下にまで達していきました。
そんな中で、各部落の酋長が中心となって、神事が執り行われていきました。
その様子は、写真でご覧頂きたいのですが、わたしと宮下氏は、その厳しい寒さも忘れて、目を凝らしたものでした。
神秘に満ちた厳粛な儀式を見つめなが、さまざまな思いが駆け巡っていたのでした。
長い、長い、歴史の中で培われてきた、所謂伝統行事というものが、時代の空気によって否定してしまったり、彼らの生活基盤、精神的な土壌を奪ってしまうということは、その人たちの生存権を奪うことにもなるのではないか・・・。
ふと見かけた美しいマタンブシを額に巻いたピリカメノコの姿を見かけた時、この人たちの未来がどのように開けていくのだろうかと、希望と不安が、入り混じって脳裏へ渦巻いたのでした☆