楽しむ世界 Faile 6 「ひとくち古代史考」(桃太郎)

今回は、作品そのもののお話ということではなく、まったく別の視点から書こうと思っています。

所謂、日本のお伽噺の中の代表的な話である、三太郎・・・つまり「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」の中でも、代表的な話である「桃太郎」のことです。

昨今の若い人は、ほとんどこんな話を、寝物語で聞くなどということはないかもしれませんが、わたし達の世代ではほとんど同じように、絵本で読んだり、両親から聞かされて過ごした経験があります。何だ昔の子供の話かぁなどと、がっかりしたり、無視してしまうようなことのないようにして下さい。実は、現代でもこの「桃太郎」を愛する社会人の団体があって、活動している方々がかなりあるのです。もちろんかなり年齢は高めの方が多いのですが、わたしは何年か前に、「新説桃太郎伝 キビツヒコ」を毎日新聞に連載した縁で、桃太郎のモデルと思われる古代の天皇の皇子、五十芹彦の出身地である、奈良県の橿原市の田原元町などで行われたシンポジュームへ、「新説桃太郎伝 キビツヒコ」を毎日新聞に連載した縁で、歴史学者、狂言師、などと一緒に参加させて頂いたことがありました。

この話の舞台や、伝承から、岡山県、愛知県、香川県には、それぞれ物語を伝える話や、博物館、観光施設があったりするのですが、まるでそれが実際にあったかのような入れ込みようなのです。それだけこの物語が浸透していて、知名度も高く、愛されてきているということの証明ではないかと思うのです。

もちろん最近のお子さんは、ほとんど馴染みがないかもしれませんが、我々の世代の者であったら、「桃太郎」といえば誰でも知っているお伽噺でした。その理由は、物語の面白さにあったことは言うまでもありませんが、他のお伽噺と比べると、かなり現実的な重みを持っていて、存在感が他のものとは、格段に違うという点にあります。しかしその存在感の重みと言うものが、その後桃太郎を、実に不名誉な立場にされてしまって、大変不名誉な時期を過ごさなくてはならなくしてしまったのでした。

これほど親しまれ、愛されつづけながら生き残ってきた「桃太郎」ですが、他の「金太郎」「浦島太郎」と比べると、かなり数奇な扱われ方をして、時代の波に翻弄されてきた作品はありません。

我々が良く知っているそれは、明治時代に作家の巌谷小波(いわやさざなみ)氏がまとめた「日本昔話」の中で書いた「桃太郎」が原点になっているのですが、鬼退治をする勇敢な少年の物語になっています。そのために、取りようによっては戦闘的で、戦いのキャンペーンには絶好の素材となってしまったのでした。

(桃から生まれた桃太郎は、お爺さんとお婆さんに大事に育てられて成長しました。そんなある日のこと、鬼が島の鬼に苦しめられている人々の話を聞きつけた桃太郎は、その村人たちの苦難を救うために、お爺さんとお婆さんに見送られて、鬼が島を目指すのです。その途中でやって来た、犬、猿、雉を家来として従えて、鬼が島へ乗り込み、激しい抵抗にあいますが、知恵と勇気と努力で力を合わせ、ついには鬼を圧倒して目的を果たします。そして鬼に再び悪事を働かないと言う誓約をさせた桃太郎は、鬼が持っていた金銀財宝を、車に積んで引き上げてきたのでした)

おおむねこんなお話でした。

とにかく「三太郎」の中でも抜群の知名度もあり、愛されもしたのが「桃太郎」だったのです。

わたしはこのお話が、妙にリアルなところから、何か裏があるのではないかと考えて、調べ始め、ついにこれは日本の実際にあった歴史を背景に書いたものだということを突き止めました。江戸時代の作家、曲亭馬琴(きょくていばきん)という人です。それは今回のお話の本筋ではありませんから割愛いたしますが、とにかくこの原点などを上手にいかしながら、明治の作家、巌谷小波(いわやさざなみ)氏が、日本のお伽噺として書き表し、それが大きな力となって浸透してきたものだと言うことを知ったのです。

わたしはそのリアル感を歴史の中に求めて、調べ、やがて連載後、上下二巻の本として刊行したわけです。

みなさんには、是非、拙作をお読み頂いて、その後更に「日本書紀」をお読みになって、小説の裏づけとなった歴史的な事実は、このことかと辿って頂けると嬉しいしいのですが・・・。いささか我田引水で申し訳ありませんが、もし更に楽しみを追うとするならば、わたしが歴史的な舞台であったと思っている、桃太郎のモデルと思われる、キビツヒコの出身地である奈良県から、鬼が島が想定される岡山県各地の史跡を巡って、お伽噺の舞台を探索しながら旅をなさるのも、一興ではないかと思うのです。親子の「桃太郎ツアー」も充分考えられますね。

さてさて史実については、また詳しくお話できる機会があると思いますが、とにかく今回題材としたのは、この主人公である「桃太郎」が、かなり迷惑を蒙ったことがあったというお話なのです。「桃太郎」といっても、シニアの方を除いたら、もうほとんどの人には興味のないお話になってしまっているでしょう。せいぜい団塊世代の方々が限度で、団塊ジュニアになったら、まったく知らない話ではないでしょうか。しょうし、お話してもまったく興味のない時代・・・昭和の初期から20年代ぐらいまでの話ですが、日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)の頃、この桃太郎は戦争を推進するために、政府の圧力で適当に利用されてしまいました。 市民の戦意を高揚させたり、世論をまとめるために、人気者の桃太郎は格好の素材だったわけです。アメリカ・イギリスが、鬼に仕立てられました。当時は(鬼畜米英)などという言葉が、町中に氾濫していました。みなさんご存知のとおり、桃太郎はその鬼に見立てられているアメリカ・イギリスを撃つために、日本代表として戦いを挑み、ついには降参させるという形で利用されていたわけです。

「金太郎」「浦島太郎」には見られないことで、やはり「桃太郎」が、寓話でありながら、かなりリアルな要素がある話で、現実の戦争と言う状況をキャンペーンするには、うってつけの素材だったからなのでしょう。

これは決して「桃太郎」の望む姿ではなかったはずです。きっと随分迷惑なことであったでしょう。

知恵と勇気と努力と協力することの素晴らしさというものを、童心に訴えることが意図であったものが、歪められて使われてしまうということなどということは、まったく予想もしなかったことでしょうし、主人公であった桃太郎も、思わぬ遣われ方をしたので、まったく閉口していたに違いありません。

これからも下手に物語の意図を曲げて使われてしまうようなことは、絶対にさせてはならないと思います。

少年時代の思い出である「お伽噺桃太郎」を愛する者として、今回は主人公に代わって、意図に反して存在した、迷惑な時代があったことを、釈明することにした次第です☆

キビツヒコ〈上)の写真
キビツヒコ〈下)の写真