楽しむ世界 Faile 8 「ひとくち古代史考」(上の国、中の国、下の国)

住めば都という言い習わされた言葉があります。

まったくそのとおりだと思っています。

どんなところでも、住み着けば愛着が生まれて、なかなか離れにくくなるものです。もちろんその土地ばかりでなく 、そこに住んでいる人との出会いや、付き合いが深まり、積み重ねられていくうちに、その一つ一つが忘れがたい思い出となっていくものでしょう。しかし最近はどうでしょうか・・・、ご近所との関係が疎遠になっていく傾向が強くなってきていて、土地への執着、その土地出培われた人間関係も、ごく薄れていくように思えます。そんな人にとっては、まるで興味のないお話かもしれませんが、今回は日本に存在したかなりの数の国の資産価値によって、色分けしていたという古代のお話をすることにしました。

自分の住んでいるところが、上、中、下と等級が分けられていたということが判ったら、あなたはどんな気持ちになるでしょうか・・・。国の色分けと言っても、今でいう国とは、まったく意味が違います。世界的な規模での国を識別した話ではありません。古代日本での、朝廷が統治する便宜上区分けした、現在の県の規模といったほうが、いいかもしれません。つまり国の等級分けというのは、古代の法律の規範となった、「律令」というもので決められた、ある決まりに基づいて、四等級に分けられているものなのです。まぁ、言ってみれば、税の徴収を考えた上での、色分けということができるかもしれません。現代であったら、こんな差別につながるようなことは、絶対に許されないことでしょうが、何といっても為政者が強大な権力を持っていた時代ということですから、どうか腹を立てずにお読みになって下さい。

次の表は、仕分けられたその国の等級ごとに分類してありますから、それを列挙してみます。朝廷が仕分けをした、国の等級とは、次のようなものですが、さて あなたの出身地は、どこに入るでしょうか。遥か昔は、こんなだったのかとでも思って、興味を持って頂けると嬉しいのですが・・・。


大国・・・大和 河内 伊勢 武蔵 上総 下総 常陸 近江 上野 陸奥 越前 播磨 肥後

上国・・・山城 摂津 尾張 参河 遠江 駿河 甲斐 相模 美濃 信濃 下野 出羽加賀 越中 越後 丹波 但馬 因幡 伯耆 出雲 美作 備前 備中 備後 安芸 周防 紀伊 阿波 讃岐 伊予 筑前 筑後 豊前 豊後 肥前


中国・・・安房 若狭 能登 佐渡 丹後 石見 長門 土佐 日向 大隅 薩摩


下国・・・和泉 伊賀 志摩 伊豆 飛騨 隠岐


若い人には、まるで漢字テストのように、読むことが困難かもしれませんね。しかしこの表を基準にして、自分の住んでいるところは、昔こんな風に評価されていたのだということを知るきっかけになりますし、それはどんな理由によるものかという興味を抱かせられませんか。そしてその理由を 、調べようとするきっかけにでもなるのではないかとさえ思うのです。若年の方々は、昔、自分の住んでいるところは、そんな目で見られていたのかということを知るだけでも有意義だし、話題の一つにでもなるのではないでしょうか。

一覧表をご覧になって頂ければ、お判りになると思いますが、これはあくまでも、朝廷が存在しているところを中心として考えられたものであることが、お分かり頂けると思います。従って、畿内を中心とした等級分けをしていると言うことです。そして更に突っ込んでいきますと、これらの選別は、何を基準にして分けたのかということに気がつくはずです。いつの時代でも同じですが、為政者にとっては、その政権を維持するためには、財政の支えというものが極めて重要な問題になります。つまりそれが税収というものになるわけです。

 

すでにご存知でしょうが、当時の税には、「租」「庸」「調」という三種類があって、「租」というのは最も基本的な税で、現物納税のようなものですした。つまり米などの収穫を納めることになっていました。あの頃の日本は、豊葦原瑞穂国と言ったくらいで、農業国だった訳ですから当然のことだったと思います。大分時代が後になりますが、地方へ任官したものが、そうした農民の労作を中央へ収めずに、私物化してしまう者が続出するようになりました。地方へ飛ばされるなら 、そのくらいの美味しい思いをして帰ってこなくては、割が合わないとでも思っていたのでしょうか・・・。現代でもありそうな話です。「庸」というのは労役で国に奉仕することで、成年男子などは年間何日かは、絶対に務めなくてはならないことになっていました。例えばあの奈良の大仏を建立する時などは、大変な数の農民が駆り出されたという記録があります。日数も多くなってしまったので、そのために働き手を失った農民たちは、大変苦しい思いをしなくてはならなかったということでした。そして「調」ですが、これは繊維製品とか海産物とか、鉱産物などという、その土地に見合ったものを収めることになっていたのです。これも「租」の穀物と同じで、地方へ赴任した役人が、かなり私服を肥やす対象にしていたようです。

いつの時代にも、困った腐敗した役人が存在していたのですね。内部告発などという制度はありませんでしたからね 。それでもとにかく古代の為政者たちは、政権を維持するための重要な基礎として考えていましたので、税収の目安のために、各国を仕分けしていたわけです。

しかし飛騨国などは、下下の下国などと言われていましたが、ちょっとひど過ぎる表現ですが、とにかく産物のないところだったようです。なんと言ってもあそこは、森林ばかりですからね。そんなところから、両面宿儺(りょうめんすくな)などという、二人の人間が背中合わせにくっついた 異様な姿の英傑が現われて、朝廷の大軍を敵に回して、貧しい農民のために奮戦したということが、日本書紀にも記録されています。とにかくこの仕分けられた国を見つめていると 、その頃の国情が推察できて興味深いものがあります。

現代ではそれぞれの県が、知事を中心となって、快適な暮らしをするために努力をしているところですが、古代は完全に中央集権でしたから、貧しい国はあくまでも貧しく、そこに生まれた者は、そこで一生苦しい境遇の中で生きつづけていくか、飛騨の匠のように、樹林に囲まれていたことを活かして、その細工に秀でた技術を身につけて、都へ出て活躍するしかありませんでした。その頃は辛い境遇の象徴でしたが、そのために磨き上げた飛騨の木工技術は、今日でも卓越した伝統として残りつづけることになりました。感謝すべきなのかもしれませんね。

さて、あなたはこの国の等級をご覧になって、どんな感想をお持ちさて、あなたはこの国の等級をご覧になって、どんな感想をお持ちになられたでしょうか・・・☆



(旧HPからの復活した原稿ですが、一部加筆、訂正いたしました)