楽しむ世界 Faile 9 「ひとくち古代史考」(垂直線上の神、水平線上の神)

古代史をやっていると、どうしても神仏とご縁が深まってしまいます。

古代の人々が、どんな気持ちで神仏と付き合っていたかということも、小説を書く上でかなり大事な手がかりになりますから、神仏をどう受け止め、どのように接してきたかということを知るということは、大変大事なことになります。

ところで神様に、二つの違ったタイプが存在しているということに、お気づきでしょうか。

天津神と呼ばれる天上の神々と国津神と呼ばれる地上の神々という二種類の神については、多少でもご存知の方はいらっしゃると思いますが、実はそういった捉え方ではない神の姿があるのです。

つまり垂直軸の線上にある神々と、水平線軸の線上にある神々の二種類があるという事なのです。

前者は大和を中心とした神々で、天上から降臨する上から下へ向かうタイプで、所謂垂直軸の線上にある神々で、この類の神々の特徴は、とにかく厳しく、清冽であることを重んじて人を見つめ、指導しますが、あまりにも長幼、上下関係に厳しく、何かにつけて生活を律することから、生命力に弱い人間たちにとっては、いささか辛すぎる存在でした。それでも、その神々の威力は想像を超えるもので、心から敬い、畏れられていました。

余談になりますが、同じ神でも遅れて大和地方に入ってきた仏は、慈悲深いところがあったので、たちまちそれまでの厳しい天上の神々の教示に従うよりも、優しい仏にすがるものが多くなり、信仰する人々が増えていったのです。そんなことから、朝廷も時間の経過と共に、所謂神仏混淆という形をとるようになっていったのです。

話を戻しますが、朝廷が信仰した大和の神々は、そういった垂直軸の線上にある神々だったところから、人間関係にしても、上下関係に厳しく、身分関係でも、その上下には大変厳しいものを持つようになりました。政治の形にしても、当然のことですが、支配する者、支配される者という上下関係を厳しく押し付けてきたわけです。すべて天上の神々を規範として、生活を組み立てていったわけです。

ところが同じ日本でも、こうした垂直軸の線上にある神とは対照的に、水平軸の線上にある神々が存在しているということをご存知でしょうか。垂直軸と水平軸というのですから、まるでその姿勢は対照的です。

実はそれが、水平軸の沖縄の神々ということなのです。

南国沖縄の神々は、海の向こうのニライカナイからやって来ると言われています。つまり水平線の彼方からやって来ると言われているのです。

だから神になった沖縄の祖霊たちも、海の彼方からやって来ると信じられているのです。そんなところから、墓もみな海に向かって建てられています。確かに沖縄の人々は、さまざまな食物などの生活に欠かせないものは、すべて南の東南アジア方面から、海を通してやってきましたから、彼らの暮らしを豊かにしてくれるものは、すべて海の彼方にいる神によってもたらされると考えていたのです。そうした水平線上にある神々は、温暖な空気と、穏やかな思想を植えつけていきました。上下の格差を作った大和地方の神々とは違って 、沖縄の神々は、極めて楽天的で格差のない思想を植えつけていったのです。

同じ日本ですが、地域の違いで、明らかに神の姿に違いがあり、それによって人々にも、生きる姿勢に違いを形作っていきました。

垂直線上の神々と水平線上の神々・・・同じ国の神でも、地域によって、随分違った受け止め方が生まれるものだなと思います。そしてその土地によって、人々の気風も、大変違ったものを生み出していくものだなと思います。神々の捕らえ方にも、いろいろとあるものだなと思います☆