楽しむ世界 Faile 11 「ひとくち古代史」(青春)

思い出多いと言えば、何といっても、純粋に生きている青春時代が一番ではないかと思います。人間関係でも、仕事上の付き合いとは違って、あまり複雑な利害関係もなくてつきあえるところから、年をへる毎に学生時代・・・いわば青春時代の友人が、かけがいのない人として思い出されてきます。

ところでわたしたちは、よく「青春時代」という言葉を使いますが、一体何が原点となっていることなのか、いささか興味のあるところです。

厳密に言えば、「青春」には年齢的に、学生時代の「前期」と就職をしたばかりの数年間が「後期」とに分かれると思いますが、その純粋性ということでは、何といっても小学、中学、高校、大学といった、学生時代の「青春前期」と言える時代が、一番青春らしさをもった時代であるように思います。

果たして「青春時代らしさ」とは、どんな時代なのでしょうか。ちょっと堅苦しい雰囲気が漂いそうですが、大体、その原点が古代に行われた陰陽五行説からきているのです。それは古代を題材とした小説を書いていた頃発見していたことだったのですが、それなりに意味があったのを知りました。

それをちょっとおさらいしてみましょう。

古代においては都を定める時に、四神相応といって皇居の四方に決められた神が存在しているということを大事にしていました。つまり皇居から見て、その左には、つまり東の方角には、青竜と呼ばれる神と流川があり、右には、つまり西の方向には、白虎と言われる神と大道があり、前には、つまり南の方向には、朱雀と呼ばれる神と窪地があり、後方には、つまり北の方向には、玄武と呼ばれる神と丘陵があるという条件が、整っているかどうかということなのです。

これでお判りでしょうが、この東西南北に季節を合わせると、東は春。西は秋。南は夏。北は冬ということになります。日が昇るのは東ですが、青竜に季節の春を組み合わせて考えると、青春というのは季節の始まりになり、すべての生命が芽生えたり、燃え立ったりする季節です。しかもこの青春の場は、東にあたるわけですから、常に日の昇るところでもあるわけです。

このような訳ですから、青春はとにかく希望を感じさせるように、輝いていなくてはなりません。生命力を感じさせる、燃え立つような活力がなくてはなりません。爽やかさがなくてはなりません。そのようなことを考えていると、

「いかにも青春らしい青春をしている若者が、どのくらいいるだろうか」

ふとそのようなことを考えてしまったりしてしまいます。 時代によって青春の姿には、それぞれ違ったものがあると思うのですが、基本的には前述の条件を満たしていなければならないように思います。

果たして、青春とは言いながら、どれだけ青春の条件を満たしている人たちがいるでしょうか。わが身の青春を振り返りながら、若者たちを見つめてみたいと思います☆