楽しむ世界 Faile 13 「ひとくち古代史」(童謡)

今回は決して幼いころに歌った、童謡のお話をするわけではありません。これは(わざうた)と読むのですが、古代によく使われた言葉なのです。

いつの時代でも、庶民は為政者に対する不満が募ってくるものですが、それをあからさまにぶちまけたり、訴えたりすることはもちろんのこと、そのようなことを世間の人にアピールするようなことができるはずはありませんでした。そのようなことなどをしたら、すぐに捉えられて処刑されてしまったでしょう。

これは主に「日本書記」という史書の上巻に出てくるのですが、事件の前兆とか予言を示す歌で、時には事件の後で起こったことを知らせるものもありました。


法隆寺火災のあとで起こったことを知らせる童謡は、


打橋の 頭の遊びに 出でませ子。

玉手の家の 八重子の刀自。

出でましの 悔いはあらじぞ、出でませ子。

玉手の家の 八重子の刀自。


どうやらこれは、事件の後に、所謂後兆があったということを知らせるものでした。また、天智天皇が崩御された時の童謡は 、


み吉野の 吉野の鮎。

鮎こそは 島辺も宣き。 え、苦しゑ。

水葱のもと 芹のもと、吾は苦しゑ。

臣の子の 八重の紐解く。


一重だに いまだ解かねば 皇子の紐解く。


赤駒の い行き憚る 真葛原。

何の伝言 直にし宣けむ。


どちらをとりあげても、それがどうして法隆寺の火災の後兆を知らせるものなのか、それがどうして天智天皇の崩御を知らせるものなのかは、とても現代人には理解でないと思います。しかしとにかくこうしたものを、世間に発して、次々とそこに起こったことを知らせていったのでしょう。

超古代では、権力者の間にどんなことが起こっているのかという情報は、一部の権力者以外には入って来るわけがありません 。つまり現代のようにインターネットのような、情報の伝達手段が発展していたわけではありませんから、まるで世の中の動きに関しては、農民たちには知らされないし、知る手だてはありませんでした。しかしそれで済んでいる時代は、そう長くはありませんでした。流石に古代であっても、庶民の中では、生活に対する不満や、近隣の者の暮らしぶりには、関心を持たざるを得ません。中でも大きかったのは、自分たちの支配者の動向です。彼らの動きによっては、一番迷惑を被るのは彼らだったのですから、関心を持たざるを得ません。

そこで庶民が考えだしたのが、「童謡(わざうた)」という情報伝達の方法だったのでしょう。

大分、後の時代になると、現代でもよく見られる「落書き」というものが登場しますが、古代ではそのような個人的な欲求不満の解消などという手段で、「童謡」が使われることは多くなかったように思いますが、もっと、多くの世の中の人に知って貰いたいこと・・・つまり政変といったような、世の中の様子が変わってしまいそうな異変を・・・つまり庶民にとっても一大事の危機感を、世の中の人と共有したいということから、始まったように思います。

それに比べると、現代の落書きの、何と程度の低いことか・・・古代の庶民のほうが、かなり高度の知識を持っていたということになります。

あまりすべてについて便利になりすぎると、人間は知恵を磨く機会を失っていくもののようですね。☆