楽しむ世界 Faile(23)「ひとくち古代史考」(ツキ)
「ツイてないな」
ふと呟いてしまうことがありそうな言葉です。
そうかと思うと、
「ツイてるんだ」
ついはしゃぎたくなって、叫んでしまいたくなることもあるでしょう。
「ツキ」
不思議な言葉です。
それはいつの時代にも耳にしましたし、二十一世紀の今日でもよく耳にします。しかしこの言葉の原点は、かなり古い時代にあったのです。
いったい、この「ツキ」というのは何のことなのでしょうか。
実はこの「ツイてない」ということは、何かが憑いていないということに違いありません。
果たしてその何かというのは、何のことなのでしょうか。
それは言うまでもなく、「月」のことだと思います。つまり月の霊力を頂いているか、頂いていないかが、「ツイてる」か「ツイてない」の分かれ道になってしまうということです。
「わたしはツキに見放されているみたい。さっぱりいいことがないわ」
そんなことを言って意気消沈していらっしゃる方があったら、自信を持って励まして上げましょう。
月は必ず、毎日東から西へとめぐっているではありませんか。
そうです。月は巡るんです。ツキも巡るんです。
だから古来「月待ち」などという信仰も生まれたのではありませんか。
諸説あるでしょうが、「月を待つ信仰」それは「ツキを待つ信仰」でもあったはずです。
あまり浮かない顔をしている人を見かけたら、ちょっとだけアドバイスをしてあげましょう。
「毎日、慌ただしく生活していて、つい夜空を仰ぐということもなくなっているのではありませんか。時々は月を眺めて、明日の自分にいいことがありますように、力になって下さいと祈りましょう」
そんな気持の余裕を持つようにすると、いつの間にかツキは巡って来るようになりますよと・・・。
最近は、あまり月を見て楽しむような習慣を、お持ちの方は少なくなってしまったように思えます。特に都会地に住んでいる者にとっては、とても月を眺めて楽しむ気分になれないせわしない生活環境に置かれているし、あまりにも照明器具が発達しすぎて、夜の闇を失ってしまいました。そのために私たちは、天の白王である月の存在を見失ってしまいました。さらに昨今は、視界を遮るようにそそり立つ、高層ビルのお陰で、ますます月との出会いが失われてしまいました。かつて月は、太陽と同じくらいに大事にされ、より身近に存在していたのです。
かつて「月待ち信仰」というものが、盛んに行われたのは、この「ツキ待ち」信仰だったのではないかと思います。
とにかく月は、決して同じところに留まってはいません。月は常に巡ってくるのです。つまり「ツキ」は必ず巡ってくるのです。今は運に恵まれなくても、いつかは必ず運が向いてくると信じられ、心の支えとなっていたのです。
十三夜待、十九夜待、二十三夜待、二十六夜待などと言うそれぞれの月待ち信仰の講がありますが、それぞれには、月の霊力とかかわりのある仏様のご利益と、関連付けていったのでしょう。しかし、まぁ、そのような難しいことはさておいて、月は眺める人にさまざまな思いを抱かせる存在であったことは間違いありません。
立待月(十七夜の月の出は早いので立って待つ)
居待月(十八夜は少し遅いので、座って待つ)
伏待月(十九夜は更に遅れるので、伏して待つ)
寝待月(二十日の月は寝て待つ)
慌ただしい日々に追い立てられていても、せめて束の間でも、こんな風に「月待ち」をして月の出を楽しむような、ゆったりとした気分を、少しは持ってみたらどうでしょうか。
現代人はそんな暮らしを失ってしまったので、その分ツキからも見放されてしまっているのかもしれません☆