楽しむ世界 Faile(22)「ひとくち古代史考」(初詣)

まだちょっと早い話になるかも知れませんが、年が変わると、新たな年がやってきます。最近はイベント好きな世代が中心になってきた所為でしょうか、伝統の年中行事といっても、普段はあまり関心を寄せない者でも、お正月の初詣ともなると、除夜の鐘を聞くか聞かないうちに、神社へ出かけて行く若者がかなりいます。しかも地元の神様よりも、参拝者の多い有名神社へ出かける者が多いということも聞きます。とにかく賑やかな所、賑やかなことが好きな民族・・・つまりお祭り好きな国民性によるのかも知れません。しかしまぁ、どういう形にしても、神社へ行って、雰囲気を味わってみるということは、大変いいことだと思います。

ただその多くの場合、神様への参拝の仕方が、徹底していないということが気になってしまいます。

もちろん、普段から神様と向き合うことのない人々が、なぜか押しかけるのですから仕方のないことかも知れませんが、せめて初詣へ出かけるのですから、ただ「お願い」などという祈り方だけはしないようにしたいですね。死後の来世をお願いするお寺での場合とは違って、神様はあくまでも現世を司っておられるので、活力のない者は大嫌いなのです 。

従って初詣に出かけても、拝殿の前で、今年はいい年でありますようにとか、何とか幸せを掴めますようによろしくお願いいたしますなどと言っても、まったく駄目なのです。

願いは通じるわけはありません。

あなたも結婚式・・・神前結婚式に出たことがあるでしょう。

その時新婚夫婦は神前に進み出て、誓詞というものを読み上げますが、あれは神様の前で、これから二人で一生懸命に生きて行きますからよろしくと、決意を表明して援護を頼むはずです。ただお願いなどとは言わないはずです。つまりこれから夫婦として力を合わせて生きていきますから、よろしくお願いいたしますというように、誓いを立てるわけです 。

つまり神様は活力・・・「気」というものを大事にしているので、お祭りの時など荒々しく活気のあるものほど好みに合うはずです。どこの祭事を見ても、みな荒々しいでしょう。

当然のことですが、神様の一番嫌いなのは、「気」が涸れているもの・・・つまりその象徴的なものは死者です。死んだ者に活力はありません。つまり「気」が涸れてしまっているわけです。それを突き詰めていくと、「気涸れ」・・・気がれということになり、やがて「けがれ」と言われ、更に「穢れ」という言葉になってもいくわけです。つまり昔よく言われた「けがらわしい」などという言葉は、元気のない、死者のような者に投げかけられた侮辱の言葉だったわけです。

あと一か月ほどすると、新年がやってきます。

どうかあなただけでも、「お願い」などという情けない頼み事は止めて、「今年はこんな意気込みで生きていきますから、後押しをして下さい!」と、力強く誓いましょう。きっとその活力溢れた参詣者に力を貸してくれるはずです。

今年はこのところ世界的な経済危機のせいで、神社には「願い事」をする者が多いと思うのですが、是非、あなたはそんな中で、本来の神の好みに合う祈り方をしてきて下さい 。今回は、幸運があなたのものになりますように、ちょっと早めかもしれませんが、初詣の話にしました☆