読む世界 Faile(18)「井戸は最初に掘った人のもの」

いつの時代、どんな業種でも言えることなのですが、一つヒットするものが出ると、その周辺のものには、似たような作品、商品が、次々と現れてしまいます。似て非なるものですが、実にビックリさせられてしまいます。

わたしが脚本家として活躍していた、映像の世界から活字の世界へ移って、幸運にも最初の小説、「宇宙皇子」(うつのみこ)が大ヒットになり、やがて大河小説として、次々と作品を発表していた頃のことです。

関西の某菓子店が、まさに「宇宙皇子」の人気に便乗したとしか思えないようなお菓子を発売しているのに読者が気がついて、そのお菓子の折を送ってくれたことがありました。わたしは早速出版社を通じて抗議いたしましたが、先方は推理どおり、便乗を認めて発売を中止いたしましたが、わたしとしては、こうした便乗商品が出るほどのベストセラーになったのだという満足感がありました。しかしそれと同時に、商品開発がまったくわたしの許可なしで行われたことに、不安を感じていたりしました。

こんなことは映像の世界のほうが多くて、一つヒット作品が出ると、それと似通った作品が次々と現れたり、それの逆の色合いを狙った作品が登場して・・・時には似て非なるグッズがどんどん登場してくるのです。メインライターとして苦心してヒット番組にしたのに、何と無作法なやり方で美味しいものを食い荒らすのか・・・。そんな苛立ちを何度味わわされたか判りません。しかしわたしとしては、その頃から活字の世界には絶対にそんなことはないと信じておりました。そして、いつかあんな世界へいって仕事をしたいものだと思いつづけていたものです。

ところが後年、「宇宙皇子」で活字の世界へ飛び込んだわたしは、思い描いていた世界とは、大分様子が違うということに気がつきました。

どうしてこんなお話を書いたのかと言うと、わたしの古代史を背景にした大河小説・・・「宇宙皇子」が大ベストセラーとなって、かなり話題になった頃のこと、ふと気がついたら、たちまちあちこちの出版社から、古代史を素材とした小説、雑誌が出版され始めたからです。それまで古代史というのは、まったく地味な世界で、ほとんどの作家が手もつけない世界だったのですが、なぜかわたしの小説の大ヒットをきっかけにして、次々と登場してきたわけです。しかも「宇宙皇子」が若い人を中心にした人気を獲得したということもあって、それまで相手にしなかった世代に向けた小説、雑誌まで登場してきたのです。

映像の世界でも、ひっと作品が現れると、それにヒントを得たような作品が次々と登場してきたものですが、活字の世界ではそんなことはないと確信していたのです。ところが唖然としてしまったのは、大きな文学賞を得た人までが、それまでの作風とは関係ないような、古代史に則った作品を書き出したりしたからです。

明らかにわたしの小説の人気に便乗して書いたと思われるものが、次々と発表されるんです。こうなると、夢の世界だと思い込んでいただけに、いささか失望感を禁じえない状態になってしまいました。

いささか不愉快でした。

これでは映像の世界と同じではないか・・・。

わたしたちは、少しでも他人の作品とは違った、その人らしいものを作品化して世に問うということを基本にしていましたし、その結果、それを視聴者、読者に受け入れて貰えるかどうかということで努力してきたのですが、わたしが古代史で成功したからといって、どうして同じような商品を次々と出してくるのでしょうか。内心納得できない状態でいましたが、小説の世界は未知で、大声で不満をいえないままでした。

そんなある日のこと、親しい編集長を中心とした編集の人に、料理屋へ招待されたのです。

わたしは最近感じていることについて、率直な不満をぶっつけたものです。

その時聞かされた、編集子の言葉が、

「井戸は最初に掘った人のものです」

つまりいくら後追いして、同じ井戸から美味しい物を吸い上げようとしても、それは所詮無駄なことで、あくまでも井戸の美酒は、最初に掘り当てた人のものだということだったのです。  わたしはやっと胸のつかえを下ろしたものです。

たしかに便乗して書いた人が、それで成功したという話は聞いたことがありませんし、見たこともありませんでした。やはりどん仕事をしてもそうですが、最初に道を切り開いた人が、その恩恵を受けるもので、便乗して商売をしようとしても、そう上手くはいかないようです。

「井戸は最初に掘った人のものです」

これはどの世界にも通じる至言です。

みな、知恵を絞って、あっと驚くようなアイデアを提供したり、思いもしない世界を開拓したりしなくてはなりません。特に若い人は、それを求められる時代になりました。しかし時代が厳しいということもあって、ちょっとヒットする商品でも登場したら、巧妙に便乗した商品が次々と現れてきてしまいます。

編集子はついでに出版の状況についての裏話まで聞かせてくれたのです。

つまりどこかがヒットを出したら、みんなでその周辺の作品を出して営業をするんだそうで、それについては、あまり目くじらを立てないでいるんだということです。つまりどの出版社も、同じようなことをするかもしれないからなのです。お互いに助け合いをするということなのでしょう。

そういえば・・・!

思い当たることがあります。

こういう便乗する者が次々と現れたりすると、どういうことが起こるのかということを、経験上からお話したいと思います。わたしが、まだ映像作家として夢中で仕事をしていた頃のことですが、SF作品で視聴者を圧倒的に熱狂させた「宇宙戦艦ヤマト」以後、テレビのアニメーション番組はどの局もSF番組ばかりで、何かちょっとでも色合いの違ったものでも作ればいいのにと思うのですが、出てくる企画はほとんどSFだった時代がありました。あれではさすがに視聴者も飽きてしまいます。ちょっとは違った番組でも送り出せばいいのに、なぜか出てくる企画は同じようなものばかりなのでしょうか・・・。実はそれを後押ししていたのが、スポンサーであったわけです。

商品を売るために、そんな状態で延々SFアニメーション番組がつづいていってしまったのですが、しかしそんな状態に不安を感じていたことは、やがて現実のものとなってしまいました。

ある時からすっかりSF作品に飽きてしまった視聴者は、テレビ離れをし始めてしまったのです。もちろん新たな時代の流れが押し寄せてきたこともありましたが、アニメーションはもちろんのこと、実写番組・・・ドラマも含めて、テレビ界がにわかに萎んでいってしまったことがあったのです。

放送界の危機でした。

エネルギーショックという不況も重なって、局内で使うボールペンまで節約させられるようなことがあったのです。そのあとは時代の変化のために、視聴者がテレにかじりつかなくなったことが大きな原因でした。

長いこと同じ色の作品ばかり見せられたら、飽きるに決まっていますし、世の中には新たな時代の波に乗って、楽しめるものが次々と現れてきていたこともあって、

わたしが活字の世界へ転進を図ったのもその時のことだったのです。

書きたいものが、書けない時代がやって来てしまいました。

窮屈な時代が到来してきてしまったわけです。

ベテラン作家、スタッフを、敢えて排除してしまおうとするプロデゥサーまで現れてしまいました。彼らは、これまでの番組企画が安易であったと言うことを棚に上げて、これまでテレビ界を引っ張ってきたアーチストを排除しようとしたわけです 。そうした無茶なやり方は、間もなく否定されてしまいました。芸術の世界・・・特に映像の世界で、経験者をどけてしまったら、できる作品が出来なくなってしまうし、後進にノウハウを受け継ぐこともできなくなってしまいます。

間もなく映像の世界も正常な形にはなりましたが、新たな時代の波は避けがたくて、徐々にテレビ番組の姿を変えていったのでした。

ま、ちょっと本題からそれてしまいましたが、テレビ番組も、一つヒット作品が出てくると、次々と似たような作品が登場してきました。そしてみんなで美味しい井戸水を汲み出してしまい、とうとう一滴の水さえも期待できなくなってしまうという状態になるんです。そのためにさまざまな危機を招いてしまった様子を、何度も見てきました。

とにかくみなが少しづつ違った作品を世に送り出す努力をしていかないと・・・つまり、一人一人が井戸を掘る努力するようにしないと、結局飽きられてしまって、みなで苦しむ結果になってしまうわけです。

わたしはへそ曲がりなのでしょうか、ヒットを出して、みなが同じような作品を書き出すと、直ぐにその井戸を使って作業をすることは止めて、また新たな荒野を目指して流離ってしまうのです。そしてたった一人で、井戸を掘り始めるのでした。

「井戸は最初に掘った人のもの」

是非、みなさんには、安易に便乗人間にはなってもらいたくありません。決して成功もしないし、いい思いにもなりませんから・・・☆



これは旧HPへ載せたものに加筆、訂正したものですので、お琴和いたしておきます。