読む世界 Faile(17)「看板づくり」

町を歩いていると、さまざまな店が並び、その店にはさまざまな看板が掲げられています。そんな風景は、多少色や形は違っても、昔からまったく変わらない風景です。

わたしが育った時代の商店と言えば、どのお店にも、その店その店の特徴をあらわした看板が掲げられていました。そしてその看板を見ると、その店は何屋で、どんなものを扱っているのかも、幼い者にもおおむね見当がついたものです 。そして更にその商店の中でも、こういうものだったら○○屋、こういうものだったらXX屋といったような、大人たちの間で交わされる世間話が、いやでも耳に入ってきたものでした。

商いをする者にとって、欠かすことのできないもの・・・それが看板というものだというものなんです。

今回は作家にとっても、絶対に不可欠なものは「看板」であり、やがてはその何でもないような看板を、「金看板」にしなくてはならないという、努力目標を掲げなくてはならないというお話です。

わたしは映像の世界から活字の世界へ活動の場を移して 、創作の場を広げていったのですが、それまで活字の仕事はしてきたとはいっても、本格的に小説を書くなどということは、まったく未知の世界のことです。右も左も判らないまま、夢中で動くしかありませんでした。

そのはじめての作品が「宇宙皇子」(うつのみこ)でした。

異世界へ転向してはじめての作品だというのに、これは大ベストセラーになってしまうという幸運を得ました。通常は苦節何年とか、何十年とかといわれる世界です。それでもチャンスに恵まれないまま終わってしまう人も多い世界だというのに、デビューしていきなり大幸運に恵まれてしまったわけですから、よほどの幸運としかいいようがありません 。

そんなわけでわたくしは、第一巻を発売した後、ほっとしてだらだらとしてしまわないように、必死で書きまくりました。締め切りがきても原稿を取りに来ない編集者を、怒鳴りつけてしまったほどでした。

つまりそれだけ真剣だったということなのです。

それまでの作家は、ほとんど一作書いたら次をすぐには書かずに、のんびりとしていたようで、せっかく一作目はヒットしても、二作目が出る頃には、すっかり読者の興味が薄れてしまっていて、大して売れないまま終わってしまったということが多かったということを、編集者から聞いていましたから、余計にそんなことにはなるまいと決心したのです。

業界の厳しさについては、映像の世界も同じようなもので、すでに三十年近くもそうした熾烈な世界で生活していたわけですから、あまりのんびりとしていては駄目だということは、充分に承知していましたし、時代も大きく変わっていましたから、ヒット作品を生むためには、とても通常の努力では成し遂げられないということは、充分に体験済みでした 。そんなことからから、第一作が売れたからといっても、それで息を抜いてサボってしまうという気持にはなりませんでした。

そのような状況から生み出された、「宇宙皇子」という作品と藤川桂介という作家は、間違いなく活字の世界で認知されたというわけなのでした。

そんなある日のことでした。

編集部部長以下編集部員など、わたしの出版にかかわるスタッフが、料理屋で執筆の慰労会を開いてくれた時のことです。あまり公にはできない作家たちの現状についての話が出てきました。その中で何と言っても一番多かったのは、なかなか作家の筆が進まずに、結局読者の評価を受けながら、次第にしぼんでいってしまうという例についての話が、かなり生な情報として語られたものです。そんな中から出た話ですが、作家は結局看板作りをする作業だということなのです 。それはわたしを激励する意味も含めてのことだったのですが、活字の世界では、かなり古くから言い伝えられてきたことだったようです。わたしはなるほどと思い、その話をしっかりと心の奥に焼き付けていきました。

映像の世界にいた時は、とてもそんな話は聞きませんでしたが、やはり活字の世界には、活字の世界独特の心構えが必要なのだということを、改めて肝に銘じたのでした。

確かに映像の世界は、ほとんど共同作業ですから、特に個人個人が目立つ必要はありませんが、共同作用だけに、個人の作業の遅れが、スタッフ全体に迷惑をかけることになってしまうので、おおむね個人的に作業を停滞させるような人はないものです。もちろん中にはそういっただらしのない者もいないわけではありませんでしたが、仲間として嫌がられていたことは確かです。そんなことから、映像の世界のようにチームプレーを必要とする世界では、そうした個人の都合は、排除されていきます。それに対して活字の世界・・・特に作家の世界はほとんど個人作業という仕事です。何とか目立たなくては勝負になりません。看板づくりということは、その特徴を捉えた譬えだと思いました。

つまり作家と言う仕事は、個人商店を開くようなもので、作家としてスタートする時は、どんなものを商う店なのか、どんな人が主なのかということを、看板にして店の前に掲げなくてはならないのだというのです。

昔は町へ出れば、どのお店にも必ずそれぞれその店らしい看板を掲げていたものです。そんな中からお客の信用を得て、評判になり、賑わっていくお店が現れてきたものです。 もちろん現代でも、競争が激しくなっている分だけ、趣向をこらしたお洒落な看板が、いや、時にはドギツイ看板が氾濫しています。

作家で生計を立てる者が、どれだけいるか判りませんが、相当数存在していることは違いないでしょう。たしかにそれらの人々が、それぞれ看板を掲げているわけです。その中から突出して目立ち、賑わう店が出てくるし、まったく評判にならずにひっそりと店を開いているところもあるし、目立たなくても、こつこつといい仕事をすることで評判の店も現れます。つまり店が輝くということは、その看板の名・・・店の名を聞いただけで、お客が安心して、その店の商品を買うことができるということになるわけです。

「藤川桂介」は何を商う商店・・・作家なのかというと、「宇宙皇子」を主力商品として売り出し、お陰さまでその看板商品は、発売と同時に圧倒的にお客・・・読者の信用を得ることができたわけです。

担当者たちは他の作家たちが長年かけて為し遂げることを、あっという間に達成してしまったわたしを、激賞してくれました。看板作りにしても、ただ看板を掲げたということではなくて、いきなりそれを金看板にしてしまったと、持ち上げてくれたものです。

確かにそれぞれの作家は、その掲げたごく普通の看板を、やがては金看板にしていかなくてはなりません。志を立てて作家になった以上、売れず、注目もされずにいてもいいという作家は一人もいないはずです。そういう意味では、確かにわたしは幸運だったと思います。とにかくわたしは最初に発売した商品・・・小説で、いきなり金看板にしてしまったわけですから・・・。担当者たちは、それを盛んに激賞してくれたのでした。

お陰さまでその後わたしは、大変順調に仕事をさせてもらいました。

「作家は看板作りをする作業だ」

実に実感として、それを味わいました。

しかしこれは決して、作家だけの問題でもないのではありませんか。どんな仕事をしていたとしても、人から信用されるような仕事をしない限り、成功することはできません。あの人は何をする人なのかということを、より広く知ってもらわなくてはならないし、如何に素晴らしい仕事をする人かということも、知らしめなくてはならないでしょう。

映像から活字の世界へ転進した頃、このような話を書きましたが、後進のために、原稿を整理したり、加筆したりして、三回にわたって、再びお話することにしました。 何か、参考になるようなことがあればと、思っているところです☆



これは旧HPで紹介した原稿に、加筆、訂正したものです。