勝手なおしゃべり

拗音の表し方
点字は盲人だけのもの?
私の盲ろう者との出会い
私の「点字との出会い」

私の「手話との出会い」
魔魅さんとパソコン
「大点字」の提案
「カラフルなキーボード」くまもとUD大賞(アイデア・夢部門)受賞
大点字
白状の色
視覚障害と郵便


勝手なおしゃべり-2-

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視覚障害と郵便
    点字郵便のサービス
 「盲人のための郵便サービス」が考えられ始めたのは、昭和30年代のようです。
 郵便とは、紙に書かれた文字を離れたところにいる相手に届けることです。日本語を書き表す文字には、墨字と点字があります。便箋に書かれた墨字の手紙に比べて、点字で書かれたものは、同じ内容を書いても、大変かさが増えます。点字が立体文字であること。点字を打つためには、ある程度の厚手の紙を使う必要があること。漢字がないので、長くなること。文字の大きさがほぼ一定で、小さく書くことが出来ないこと。
 これらのために、重さとかさ(大きさ)で料金を決めた一般の手紙と同じに考えると、値段が高くなってしまいます。
 そこで、点字の手紙や書籍の郵便料金に、割引制度が出来たのだと思います。初めは半額。その後、割引率がどんどん大きくなってきます。

 次に、文字情報が増えていく社会の中で、書籍、新聞、雑誌などが読めないということが、盲人の情報不足につながることが問題になり始めます。点訳奉仕者も増える中で、盲人福祉増進の一貫として、点字郵便物は全て無料になります。
 これに助けられて、盲人の知識や情報摂取量がある程度保たれることになります。
 開封にして、切手を貼る代わりに「盲人用」と書けば、点字の郵便物は無料で集配されます。
 点字に墨字が添えられていても、その墨字が全て点字に置き換えられていれば、同封していいことになっています。

    録音物へのサービス
 昭和30年代後半には、テープレコーダーという物が一般に普及し始めます。
 盲人の中でも、中途失明者にとって、点字の触読を習得するのは難しいこと。なんとか読めるようになっても、長い書物を読み通すのは大変です。テープレコーダーは、声による情報を盲人に届けることを可能にしました。
 ところが、当時のテープは、オープンリールといって、幅はカセットテープの2倍ぐらい、60分の録音用リールで、直径15cmほどのものでした。書籍を1冊分テープに録音して送ろうとすると、重い小包になってしまいます。
 郵政省では、この盲人に情報を届ける録音テープも、郵送料を無料にしようと考えます。

 ここで新たな問題が起きます。点字の書類と違って、録音テープは、盲人だけが利用するものではないということです。
 録音テープの郵送先が視覚障害者であることを、郵便業務の中でいちいち調べることは不可能です。
 そこで考えられたのが、盲人福祉増進のための活動をしている施設。活動実績を審査の上で郵政省が認めた施設に、「盲人用録音物等発受施設」としての認可お出すという制度です。
 この場合も、開封にすることと、宛先または送り主が認可を受けた施設名であることが必要です。
 施設のある地域の集配郵便局では、地域内にある施設を知っていますから、そこから発送されるか、その施設に当てたものなら、無料で集配してくれます。
 認められている施設とは、盲学校、点字図書館、国公立図書館、盲人福祉施設、民間の音訳グループ、そして、音声テープによる、盲人中心の交流グループなどです。
 
 よく間違えられるのは、自分あるいは相手が視覚障害者だから、カセットテープは無料で送れると考えてしまうことです。
 個人間の郵送は、盲人であっても有料です。
 
 以上のことが、郵便法の中では、第4種郵便の中に組み込まれて定められています。
 ねこの目グループは、民間の小さなグループですが、30年の実績を認められて、現在6箇所に「盲人用録音物等発受施設」の認定を受け、年間5000本以上のカセットテープを往復させています。つまり、ポストに投函する回数は、1万回を超えている。それだけのことを、郵送料無料でさせていただいているということです。
 こんなグループでこれほどになるのですから、点字図書館などでの集配料は相当な量になると思われます。

    盲人文化と郵便
 なぜ、盲人にとってこんなサービスが必要であり、そのおかげでどんな部分で助かってきたかを考えてみます。

 私たちが毎日触れている活字情報はすごい量に上ります。
 朝、新聞が届きます。街に出たり、電車に乗れば読みきれないほどの広告が目に飛び込みます。雑誌を買って好きなページの拾い読みをし、書店に入って好きな本を選びます。
 これらの活字情報が取り込めないことで、視覚障害者が情報から取り残されることになります。
 お金さえあれば、点字本や録音された図書を買えばいいと思われます。でも、本屋さんに入って、点字本を売っているのを見たことはありますか?録音図書は、多少市場にも出ていますが、探し回らなければ見つからない程度です。
 1、読む人が少ないために、商品として売りに出したら値段がすごく高くなってしまうこと。
 2、値段がつけられないこともあって、点訳や音訳は無償ボランティアの仕事として始まっていたこと。
 3、点字本もテープもかさばるために、そのつど買い取って家においたら、たちまち部屋が埋まってしまうこと。
 4、点字本に関しては、パソコンが普及するまでは、ほとんどが1冊ずつの手作りであったこと。
 こんなことから、盲人の読書は、図書館などから貸し出しを受けての読書が主でした。いまでもほとんど同じです。
 しかも、ただでさえ少ない点訳・音訳図書を歩いて行ける図書館で全て探せるものではありません。日本中の図書館や文庫に問い合わせて、それでもなければ点訳や音訳を注文する。
 つまり、読みたい本に出会うためには、どうしても郵便物として、運んでもらうことになります。
 新聞は新聞屋さんが届けてくる。本は書店に行けば並んでいるという、一般の環境とは大きく違って、盲人の情報摂取は、初めから「郵便」とは切っても切れない縁がありました。

    郵便サービスの効用
 視覚障害は、「情報障害」ともいえます。
 新聞・雑誌・書籍・テキストなど、視覚に頼る情報は点字または音声に換えることで初めて摂取可能な情報になります。
 この障害の穴埋めは、ボランティアの人海戦術と、郵便サービスの2本の柱が支えてきたと言えるように思います。
 もちろん、ハンディの穴埋めは完全とは言えず、リアルタイムともいえませんけれど。

 社会の一員として基本的に必要な役所からの広報類。そして手紙や葉書といった信書類も、点字を使えるようになれば、盲人用郵便サービスが受けられます。
 視覚障害のもう一つの障害である、「移動障害」によって少なくなりやすい人との触れあい、会話のチャンスがこのサービスによって助けられました。出歩くことの困難さにかえて、各地に散らばっている仲間とのやり取りに、分厚い点字の手紙が郵便サービスによって飛び交います。

 盲人郵便法が、「情報提供」と「人との触れあい」という、二つの部分で役立っていたことが分かると思います。

    音声による情報と交流
 「点字」という文字の存在が広く知られるようになると、多くの方に「盲人には点字という文字がある」と、考えられ勝ちです。
 しかし、「指先の触覚を使って文字を読む」というのは、簡単なものではありません。感覚の鋭い子供の頃から使い始め、文字を読む機会の抜群に多い学生時代に点字を使った人でなければ、なかなか活字を目で読むような速さで点字を読むことはできません。
 障害の中でも、視覚障害は社会の高齢化とともに増えている障害です。そして、障害の原因が、成人病によるものが上位を占めるようになっています。現在、視覚障害者の半数が、40歳以上になってからの失明者です。
 つまり、盲人の中で、点字使用者の割合は、小さくなる一方です。

 ここに、必要性を増してきたのが、カセットテープです。
 カセットテープは、まずは点字を使えない盲人にも情報提供ができるようになります。「墨字出版物の音訳」です。
 盲人用録音物等発受施設としての大きな図書館等は、情報提供の部分に、カセットテープを取り入れました。「録音図書」というものです。

 カセットテープの持つ特長として、点字のような特別な知識や技術がなくても、誰にでも簡単に録音が出来ることがあります。手紙の代わりさえできるものです。
 ところが、初めに書いたように、「盲人なら誰でも、カセットテープを使っての信書のやり取りを盲人用郵便法で無料にしましょう」ということは出来ませんでした。
 かといって、大きな図書館などが、個人相手に声のやり取りおすることもできません。
 
    民間グループの活躍
 ここで、新たな分野として活躍を始めたのが、小さな民間グループです。ねこの目グループもそんな民間グループの一つです。
 活動方法はさまざまにしても、小さなグループが、小さいからできる身近に目にとまった情報を、自分の言葉で伝える。盲人会員の細かいニーズに応える。盲人からも、録音した声が返ってくる。語らいの場にもなる。

 今、ねこの目グループがやろうとしていること。
 この、小さなグループだから、カセットテープを使って出来てきた、「交流」の部分を、郵政局企画課の方たちに再認識していただこうとしています。
 点字の信書を使っての交流は、「盲人の、しかも点字使用者仲間」だけの交流でした。
 大きな図書館などでできたことは、情報の提供でした。
 
 音声を使ったからこそできたより多くの人たちとの交流が、盲人の社会を大きく広げ、盲人の社会参加につながった。
 こんなことを、伝えたいと思っています。
 目立たないけれども、一番大切にしたい部分だと思っています。
 郵便法がどう変っていくにしても、忘れて切り捨てられたりしないように、理解しておいてもらいたいと思っています。
2002年05月04日 00時03分07秒


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白杖の色?
視覚障害者が杖を持って歩くと言うのは、ずっと古い時代から考えられていたことだと思います。道の状態が悪く、「足下に障害物がないか、杖を先に出して調べる」。
この時には、杖の役割と色は余り関係はなかった訳です。
そこに、視覚障害者が杖を持つ意味が新たに加わってきます。
「他の人に視覚に障害があることを伝える」ことです。
道路を走る車が増え、交通事故を防ぐ為に、交通法規が整い始めます。その中で、視覚に障害のある人の歩行の安全を確保するために、杖に統一した色をつけ、他の目的の杖と区別しました。色は、アスファルトや土の道で目立つ、「白」と決められました。車の運転をする人は、この白杖を見たら、一時停止して、視覚障害者の安全を確保をします。
この法規が出来たのが、昭和35年ごろです。初めは抵抗のあった白杖を持つことに、視覚障害者達が慣れたころ、車の数は益々増えて、車社会になります。
ここで、白杖が視覚障害者の安全確保に役立ったように、他の交通弱者、聴覚障害者と視覚や聴覚の衰えたお年寄りを守るために、対策を考えてほしいという要望が出てきました。
白杖から10年ほど遅れて、「黄色い杖」が交通法規に取り入れられました。(46年?)
視覚障害者とそれに準ずる交通弱者(聴覚障害者やお年寄り)は、白杖または、黄色い杖を持つように奨励され、運転手は「白または黄色い杖を見たら、一時停止して、これらの歩行者の安全を確保する事を義務づけられます。反対に、この交通弱者に入らない人が、白または黄色の杖を持つことは禁じられました。
10年間に「白杖イコール盲人」というイメージが出来ていた為に、新たに杖を持つ事になったお年寄りなどは、白を避けて、黄色にする傾向が見られました。また、聴覚障害者の場合は、交通弱者という自覚が少なく、若い人の場合、全く杖を使う人は見られませんでした。
つまり、聴覚障害者は、「黄色い杖を持って、身の安全を確保すること」を許されながら、棄権したという事でしょうか。
白杖の製造をしている作業所に聞くと、白杖に混じって、黄色い杖も1割ほど作っているようです。その使用者は、初めから白杖では、多少抵抗を感じるお年寄りが多いようです。
ここまでの事をまとめて考えると、黄色い杖を持っているお年寄りと言うのは、視覚と聴覚に衰えを感じている人です。
使用する目的は、初めに上げた、「白杖の効用」の内、「運転手に見てもらって、安全を確保するため」です。「足下の安全確認」のために使う事は余りありません。杖の持ち方が全く違ってきます。
もし今、黄色い杖を左右に振って「足下の安全確認」のために使っていたら、これまでの交通法規を良く理解している人なら、「目が見えないので杖を左右に振って足下確認をしている。そして、杖が黄色いということは、耳の聞こえが悪いのだろう」と、わかるのではないかというのが、私の意見です。
こんな所から、盲ろうである事を示すために、「黄色い杖、または白と黄色を交互に塗った杖」などが役に立つのではないかという考えが少しは聞かれル庸にもなっています。
盲ろうの方たちの中からは、他にも色々な「盲ろうである事をわかってもらう手段、印し」についての案がでますが、もし、勝手に決めても、交通法規に入らない以上、運転免許取得の段階で運転手達に知らせる方法はありません。
せっかく、既に法規の中で取り上げられている「黄色い杖」を使うという権利を、無駄にする事はないとも言えるのではないでしょうか。真面目に交通法規を勉強した運転手なら、
黄色い杖を持っている人は、耳の聞こえも悪い人と、分かっているはずなんです。
杖にある赤の部分については、「目立たせるため」だと、思います。
「視覚障害者の雪道での歩行」。この場合には、白では目立ちません。雪の深さも考えて、一番目立つ「赤」の部分をつける事が必要です。ここから、一部に赤を入れる事が許されているのではないかと思います。
雪ばかりではなく、最近の道路は、アスファルトや土の色だけではなく、カラフルになってきています。白、または黄色だけでは、背景の色にとけ込んでしまう恐れもあります。
そんなことから、一部に赤の入った白杖が、見られるようになったのではないかと思います。
また、白杖の付属品として、夜道で目立つように蛍光塗料のついたマグネット式のテープなども貼ることが許されているようです。この、「一部」と言うのが、どこまでをいうのかなど、良く分からないところはあります。多分、全部を赤く塗ったらいけない。白杖とは、認められないでしょうね。
白杖は、白または黄色と、決まっていながら、他の色のものをつけることがどこまで許されているのか、調べて見る必要がありますね。でも、私の友達の視覚障害者が、「白い杖」を持っているかというと、そうでもありません。だって、白杖は、ご主人様を守るために、あちこちにぶつかって、ほとんど白い部分ははげてしまってまだらになっているものが多いですよ。
2001年10月13日 00時32分55秒


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「大点字」
 人生中途で失明した人たちにとって、「文字を失った」ということは、歩行の自由を失ったことと並んで、大きな打撃です。文字を、「情報を得る手段」と考えた場合には、現代では、「音声情報」が発達しています。ラジオ、テレビ、CD、カセットテープ、MD。
 文字には情報を得る役割の他に、「書き留める」と、いう役割があります。これも、テープ等に録音したり、パソコン入力もできるでしょう。
 そんな中で、なおも、中途失明者が文字が欲しいと感じるのは、「自分で書いて、自分で読み取れる文字」なのです。
 例えば、たくさんたまったCD、カセットテープ、MD、FD。自分でタイトルを付け、ジャンルに分けて整理したい。たったこれだけのことが難しい。カタカナの浮き出し文字なら読めるけれど、簡単には書けない。鉛筆書きは出きるけれど、読み取れない。
 視覚を失った人が、簡単に書けて、読み取りもできる文字。これが点字です。点字は合理的に組み合わされた文字で、その組み立ては比較的簡単に覚えられます。ところが読み取りとなると、どうでしょう。就学年齢から点字を使っていた人のように指先の感覚も発達していない中途失明者。既存の点字を触読できるようになるには、血の出る思いの訓練が必要です。
 点字は、狭い範囲に小さな点が並んでいることに意味があります。大きな点より小さな点のほうが、指先に鋭い刺激を与えます。
 6点式点字は、一つのマスに6個の点をはめ込む訳ですが、そのマスの大きさは、ある程度の規格が決められています。点と点の間隔は、指先にある末端神経の散らばりとも関係して、いるので、読み取りやすさと用紙に書ける文字数の両方から、標準サイズ、初心者用の少し大きめなサイズ、そして、ノートを取ることの多い学生などのためには、小さ目のサイズも有ります。いずれにしても、このマスの大きさは、6mm×3mmといったような物です。
 こんな小さなますに並んだ点を読み取るのが、いかに大変か想像できます。音声機器の発達とともに、点字離れも起きています。中途失明者にとっては、「点字の読み取りを習得している時間があったら、一人歩きを先に身につけたい」と、いう声も多く聞かれます。しかし、一方では、先に書いたように「自分で書いて自分で読める文字」は、必要なのです。

 ここで、提案です。弱視の人のために、大活字が普及し始めているのと同じように、点字にも「大点字」を考えてもいいのではないでしょうか。「大点字」とは、点を大きくするのではなく、点と点の間隔、散らばり具合を広くする、つまりは1マスが大きくなるという意味です。
 点字を書くためには、点字器が必要なために、自分の好きな大きさに、大きく書いたり小さく書いたりする事ができません。そこで、「大点字」の提案は、「大点字器」を作ると、いう提案になります。現在の標準点字(1行に32マス)を3:4の長さの比率で拡大すると、1行に24マス。1枚の紙に書ける文字数は単純計算でも、16:9と、半分近くに減ってしまいます。しかし、この大きさのものなら、点字の組み合わせを覚えさえすれば、ほとんどの人はその場で触読が可能です。
 用紙にびっしり文字を書く目的でなく、「自分で書いて、自分で読み取る」ことが目的なら、これでも充分役立ちます。
 この大きさを最大として、何段階かの大きさの点字器があれば、使い慣れて来次第、少しずつ小さいものにかえて、いずれは標準サイズの点字が読めるようになる。図書館にある点字本まで読めるようになるかも知れません。
2001年10月13日 00時31分20秒


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「カラフルなキーボード」(アイディア・夢)
 私の母が1年ほど前にパソコンを使い始めたとき、母は83歳でした。これは目的があって始めたことです。母の趣味は囲碁。毎日でも囲碁仲間の所に行きたいところですが、なかなか体のほうが動きが鈍くなってきました。そこで、パソコンの前に座って、世界中の囲碁好きな方にお相手をしてもらえるように、マウスを握る事を覚えました。マウスはコードレスにして、PCの立ち上げと終了を覚えれば、顔の無い対戦相手との勝負も、なかなか面白いと言うまでになりました。
 毎日、PCの前に座っていれば、欲が出てきます。「自分で文章を書いてみたい」と、言い出しました。それはいいことだと、キーボードの使い方を覚え始めました。画面の文字は、見やすいように大きくし、指1本でゆっくり打てばいい。とは言え、目的の文字を探すのは容易な事ではありません。眼鏡を上げたり下げたりしながら、キーを捜します。
 そこで考えたのが、キーボードカバーに文字を大きく書いてしまうことです。母はローマ字式入力を使いましたから、アルファベットを大きく書く。でも、26文字の中から探すのも、また大変。そこで、母音と子音の色を変えました。次に、濁音、半濁音の子音も色分けしました。
 キーが楽に打てるようになると、変換もしたくなる。記号も使いたい。カーソルを動かして、消したり挿入したり。だんだん使うキーが増ていきます。
 もっぱらメモ帳に書いては、私に頼んでメールを送っていましたが、今度はコピーをして、メールに貼り付けて見る。そして送信。今では母は84才。私の留守中に、子供や孫たちにメールを書いて送ったり、返事を受け取ったり、掲示板を覗いたりして、楽しんでいます。
 我が家のキーボードカバーは、とてもカラフルです。母が使うキーには、それぞれの役目が分かるように、カラーマジックで書き込みがしてあります。初めはカバーの上に書いたのですが、油性でも、手の油でだんだん消えてしまいます。
そこで、カバーの裏に書くようにしたところ、なかなか快適です。他の人が使う時に邪魔ならカバーを外せば言い訳です。実際には邪魔にはなりません。
 お年寄りこそPCを上手く利用して、社会と繋がりを持っていて欲しい。
 こんなカラフルなキーボードカバーが、商品として作られてもいいのではないかと思います。もっとも、本当はそれぞれの人が使いやすいように、作ってあげるのがいいのかも知れませんが。
2001年10月13日 00時28分36秒

                                写真はこちらです。


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「大点字」の提案
 点字の大きさは、平均的なもので、横3mm縦6mmほどのマスに、6個の点が並んだ文字です。初心者のためなどには、このマスを多少大きめにしたものもあります。点字使用のベテランにとっては、あまり大きなマスは、かえって読みにくいと、聞きます。
 神経の鋭い指先の面積に合わせて、研究の結果割り出された大きさなのでしょう。
 今、点字離れが懸念されています。高齢化社会での中途失明の方達も多くなっています。その上、オーディオ機器の普及、パソコンの音声使用の性能も進んでいます。点字による読書が、どうしても必要という切迫感がなくなったのでしょうか。
 特に、私のまわりでは、糖尿により手先の感覚の鈍りを感じている方。また、聴覚障害からの盲ろう者で、たとえ点字を習得しても、長い文章を読破するのは難しい方なども多く、点字の読みとりをどうお教えしたらよいか、考えてしまうことがあります。
 反面、視力を失った方達全てが、強く文字を求めていらっしゃいます。その文字とは、「自分で書ける文字」「自分の書いたものを、後で読み取れる文字」です。
 長い小説を、点字で読む気持ちは無くても、テープにタイトルを付けたり、簡単なメモをとったり、「自分で書いて、自分で確認出来る文字」です。カタカナやアルファベットなら、浮き出していれば触読は出来ます。しかし、自分で手軽に書くことが難しい。
 こんな考えから、点字に入っていくとしたら、読みとりのスピードを上げるための「点字のマスの大きさ」とは別に、もっと6点の間を広げてしまった点字が存在してもいいのではないでしょうか。間隔を広げれば、大きなスペースは必要になりますが、50音の組み合わせさえ覚えれば、1文字ずつ読み取ることは、その場で出来ます。
 弱視の方のために、大活字が普及しているように、ここで、「大点字」の利用を提案します。
 経験としても、上に書いたような方達に、点字を覚えていただくために、私自身はすでにこの、自称「大点字」を利用しています。既存の点字器の、お隣と下のマスまで利用した、大きな点字を使っています。大きさは、6mm×11mmぐらいでしょうか。
 点字は、点の組み合わせを覚えることはわりと簡単です。その点の並びが確認出来る大きさ。しかも、1度に指先の広さに入る大きさです。
 こんな点字を、「点字文化への冒涜」ととられる方もあるでしょう。しかし、こんな使い方から、指先の感覚が鋭くなり、意欲が湧いてくれば、だんだん点字のサイズを小さくし、既存の点字資料を読みこなせるようになっていくことも有るのではないかと思われます。
 既存の点字器を利用して書いた大点字は、ちょっと大きすぎます。しかも、「自分で書く」という目的には、煩雑で、使っていただくわけにはいきません。
 そこで、この考えを分かってくださる方が増えてくれば、どこかのメーカーで、「大点字器」なるものを、作っていただけるのではないかと期待して、こんなお話をさせていただきました。
2001年04月19日 23時19分51秒

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魔魅さんとパソコン
    魔魅さんとパソコン
 魔魅さん(大正5年生まれ)のパソコンとの出会いは、2000年秋です。囲碁が大好きな彼女は、それまでは、部屋に閉じこもることなど考えもせず、毎日、囲碁クラブに出かけていました。それが最近、足腰の弱りを感じ始め、「寒くなったら、毎日出かけるのは難しい」と話す中で、インターネットで碁が打てる機会を探してみることになりました。思い立ったらすぐに取り掛かる性格で、尾団子さんの見つけてくださったネット上の囲碁グループに即、入会。入会手続きと平行して、PCを使う練習が始まりました。
    マウスとカーソル
 初めに出会った問題は、マウスでカーソルを動かす問題です。水平面でマウスを動かし、垂直面のカーソルを移動させる。これが難しいということを、初めて気づきました。カーソルを上に移動したいという気持ちで、顔が上に上がります。顔が上に上がると、手は身体のほうに引き寄せられます。つまり、カーソルは下に移動する。
 やっとカーソルが目標地点に到着。クリックすると、指だけが動かず、マウス全体が動いてしまう。こんな状態のまま、既に囲碁対局は始めてしまうという大胆さです。最も、初めは、魔魅さんは耳掻きを手に持って、画面に出た碁盤の上を「はい、ここに打ちます」。隣に座った葛餅が、マウスを使ってカーソルを耳掻きの指示どおりに動かします。
 こんなことは、何時までも続けるつもりも有りません。一方で、マウス使用の特訓です。これには、フリーセルが役に立ちました。細かい碁盤の目にカーソルを合わせるのは難しくても、トランプの札なら、目標が広い。ゲーム好きが手伝って、フリーセルの腕を上げると同時に、何時の間にかマウス使用が楽になっていました。マウスは、ワイアレスにしました。
      一人で遊びたい
 葛餅は留守勝ちです。留守中に葛餅の部屋に入って、一人で遊びたいという欲が出てきたところで、PCの立ち上げ、ゲームの呼び出し、終了の操作を覚える。
 次に、プロバイダーに接続して、ネット上の囲碁対局も、一人でできるようになる。初めは、PCやマウスを使うことに神経のほとんどが行ってしまい、負けの込んでいた囲碁も、勝負を楽しめるようになり、世界中の会員を相手に、毎日対戦しています。
 これだけ毎日、PCの前に座っているのですから、メールや掲示板も気にはなります。その度に、ヘルパーが呼ばれ、「掲示板を読ませて」「メールの代筆をして」「手紙を書いて」と、こき使われます。「自分で書いてみたら」と言っても「できっこないわよ、ヘルパーがいればいいわよ」。
 それが、ある日突然「自分で書いてみようかしら」と言い出したのは、年が明けて、2月になったころです。2月3日、早速パソコン教室を開きました。講師は、パソコンのパの字しか知らない葛餅です。
      キーボードに挑戦
 既に4ヶ月ほどもPCの前に座っていながら、触ったことの無かったキーボードに初めて触れることになりました。
 魔魅さんが使うために、パの字しか知らない葛餅は、PC内を、あちこち引っ掻き回して、どう操作したのかまったく分かっていませんが、いろいろ魔魅さん用の設定をしました。デスクトップの文字を大きくし、コントラストも選びました。ダブルクリックの間隔を長くしました。HPもメールも大きな文字。書き込みようのメモ帳は、20ポイントぐらいの文字が出ます。見やすいだけでなく、カーソルを移動したり、反転させる操作がしやすくするためです。
 キーボードにはカバーをかけ、マジックで色分けをして、大きな文字を書きました。
 まずは、ろうマジ入力のために使う19文字。
母音がオレンジ色、清音子音が紺色、濁音半濁音子音がブルー。
 記号類では、−「」、。これだけは黒。他に!()?これは、同じく黒ですが、グリーンの枠がつけてあります。同じグリーンで、一つのシフトキーに、色付けしてあります。同時に押すと、いう意味です。
 赤は、魔魅さんにとって、一番大切なキーの場所を示します。「半角・全角」「無変換」「スペースキー」「変換」「エンターキー」です。でも、上に書いた文字は、変えてあります。順に「(真っ赤に塗ってある)」「カタカナ」「マスアケ」「漢字」「いいよ・改行」となっています。
 「半角・全角」を、真っ赤にしたのは、とにかく、漢字かな混じり文にするためには、まず、押しておくキーだからです。
 「いいよ」と言うのは、魔魅さんに、「パソコン君は、いつも『これでいいの?』と聞いているから、こまめに『いいよ』と答えてあげるように」と、教えたからです。
 後は、「バックスペースキー」と「デリートキー」に、カーソルの右(左)を消す、という矢印をつけました。
 そして、コピーや貼り付けが始まったとき、「コントロールキー」と、「C」「V」にも、文字を入れました。
 初めは、マジックの色があせてくると、書き直しを頼まれましたが、今は、S・D・Aあたりは、随分薄くなっていますが、文句を言わなくなりました。覚えきった頃には、全部消えてしまうかも知れません。
      メールと掲示板に仲間入り(ヘルパー利用時代)
 文章作成は、全てメモ帳を使いました。
 次に、書いた文章を保存することを覚えました。
 そして、保存した物を開くことを覚えました。
 保存場所は、とにかく一番に出てくる「マイドキュメント」です。
 ここまでできるようになると、留守中に、気が向いたとき、いろいろ書いて保存してあります。時には、張り切って葛餅に見せようとしたのに、消えうせてしまっていることもあります。「書いたから、これを○○さんに送ってほしい」と、いう場合は、隣で順序を教え、できるだけ操作は魔魅さんにしてもらって、メールや掲示板に送ります。
 コピーや貼り付けは、意外と簡単に覚えました。
 よくやる失敗は、「カーソルの位置の確認を忘れる」。「コントロールキーと、CまたはVという、二重操作が難しい」。
魔魅さんの文が、よく繰り返しになるのは、Vを長いこと押し続けている証拠です。「左手のコントロールキーはオルガン。右のCやVは、ピアノで、スタッカート」。これが難しい。
 以下は、魔魅さん用レシピです。
 このレシピは、完全に魔魅さんのためのもので、魔魅さんが、意外と簡単に覚えたことは簡単に、良く間違える部分は、くだらないことも書いてあります。例えば、インターネットエクスプローラを開くと、書き込みたい掲示板が開くようにしてあったりします。葛餅と魔魅さんだけに通用する言葉も出てきます。それを考慮して見てください。お年を召した方がPCを始めるときの参考になるかも知れません。

    −−1枚目ーー

      文章を書こう
1.パソコン立ち上げ。
2.メモ帳を開ける(ダブルクリック)
3.メモ帳の画面を大きくしておく。
4.ひらがな「あ」にしておく。
これで書けます。

      保存しよう
1.思い切って×をクリック。
2.「保存しますか?」に「はい」と答える。
3.「ファイル名」が青く塗られているので、⇒(デリート)を押すと消える。
4.タイトルをつける(日にちでもいい)
5.保存をクリック。
これで安心。画面にあるもの全部消して、パソコンの電源を切る。 
     呼び出してみよう
1.メモ帳を呼び出す。
2.ファイルをクリック。
3.「開く」をクリック。
4.開きたいタイトルをクリック。
5.「開く」をクリック。

     −−2枚目ーー
   
     メールを送ろう
  1.メモ帳に書いた文章を、反転(ぬりぬり)。
  2.コピーする。
 キーボードの一番左下の「Ctil」を押したまま、Cを押す。
  3.メモ帳を画面からどける。[最小化]する。
  4.メールの画面[Outlook]を開く。
  5.[新しいメール]をクリック。
 出てきた新しいメールの画面を、大きくする。
  6.文章書き込みスペースに、カーソルを持って来る。
 「Ctil」を押したまま、Vを押す。
  7.宛先を入れる。
 宛先の文字ををクリックすると、名簿が出てきます。その中から、相手の名前を探して、ダブルクリック。
 「宛先」欄に、上手く名前が入ったら、「OK」を押す。
  8.タイトル(件名)を入れる。
 件名の欄にカーソルを持っていく。
 ひらがな「あ」になっているかどうか、確認してから、タイトルを入れる。
  9.送信する。
 「送信」をクリック。
 出てきた画面の「OK」をクリック。
 「送受信」をクリックすると、送信できる

    −−3枚目ーー

    掲示板に投稿しよう
 1.メモ帳に書いた文をコピーする。反転(ぬりぬり)
「Ctil」を押したまま、Cを押す。
 2.メモ帳は「最小化」しておく。
 3.電話をかける(hi−hoに接続)
 4.ブルーの「e」の形の「Internet Explore」をダブルクリックで開ける。
 5.「内容」と書かれた、文章書き込み欄に、カーソルを持っていく。
 6.貼り付ける(「Ctil」を押したまま、Vを押す)
 7.「投稿者」の欄が「葛餅」になっていたら、消す。
カーソルでぬりぬりしておいて、⇒キーを押すと消える。
 8.ひらがな使用になっているか確認してから「魔魅」と書き込む。
 9.「題名」の欄に、タイトルを書く。
 10.灰色の「投稿」をクリック。
2001年03月09日 03時42分21秒

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私の「手話との出会い」
 手話と出会ったのは12年ほど前、盲ろう者の会に行ったときからです。当然「手話」というものがあることは知っていましたが、実際にその手話を使って会話をしているところを間近に見たのは初めてでした。手話以前に、聴覚障害者とこんなに近しく出会うことが初めてでした。
 盲ろうの会の皆で神奈川にあるドリームランドに行ったとき、2人の可愛い女の子を連れたろうの女性と親しく話す機会がありました。その女性は私の唇の動きで話を理解してくれます。そして音声で答えてくれます。その音声は多少癖があり、聴き取りにくいことはありますが、ごく普通の日本語の会話でした。
 その後、たくさんのろうの方たちとの出会いが増える中で、「ろうの方ともっと親しくなりたい」と思うようになりました。どうしたら、ろうの方と親しくなれるのか。まず、手話を覚えるのも一つの方法です。40年前と違い、街には手話教室などもたくさんあって、手話の勉強のできるチャンスはいくらでもあります。でも、「教室」「勉強」といった言葉にアレルギーのある私は、別の方法を選びました。
 しばらく会うチャンスのなかったドリームランドで親しく出来た女性、Hさんに手紙を書きました。その頃私は小さな喫茶店を経営していました。「週に何回でも、出来る範囲で私の店でアルバイトとして手伝っていただけませんか?」。忙しい子育ての中で、時間を作ってHさんに店に来てもらうことが出来ました。
 店には若いバイトさんたちもいます。Hさんを交えて仕事をするにはどんな工夫をしたらいいか。皆で相談です。
 まず、メニューのサインを決めます。店は紅茶専門店でしたから、いろいろな種類の紅茶メニュー、ケーキ、軽食もありました。サインは簡単に、しかもトレーを持ったまま伝えられるように手先と指だけで伝えられるように、手話と指文字の一部で表せるようにしました。紅茶、コーヒー、砂糖、アイス、ホット、ミルク等は手話、レモン、ロイヤル、セイロン、ケニア、キーモン、など、細かい種類は頭文字の指文字と同時に口を動かします。
 親しくなるとみんな遠慮のない話をします。バイトさんを交えての3人以上の賑やかな話になると、唇の動きだけでは読み取れなくなります。そして気が付いたことは、「唇の動きを読み取ってもらい、発声だけで答えてもらうのは、苦労をすべてHさんだけに任せていることになる」ということです。私たちが少しでも手話の単語を覚えて、覚えた単語の部分だけでも手話の真似事をすれば、何について話しているかという大枠が解り、それを補助として唇を読むことで楽になります。また、Hさんが口話に手話を添えてくれると、音声だけでは聴き取りにくい言葉は手話が補ってくれます。仕事の最中でも、言いたいことがあると「手話ではどう表すの?」と、たくさんの質問が飛び出すようになりました。

 こうして覚えた私の手話が「ちょっとおかしい」と気付いたのは大分みんなと手話で話をするようになってからです。どこがおかしいかと言うと、私の手話はほとんど片手だけで表す手話だったのです。トレーを持ったままの手話は当然片手。仕事中にHさんにが教えてくれる手話は、例えば洗い物をしているときなら右手を簡単にエプロンで拭いて、左手には洗剤だらけのお皿を持ったまま教えてくれる。真似をするのも当然片手。そして手話のベテランの聴障者の方たちはこんな片手手話でも解って下さるのです。
 「『今日』という手話はね、右手の手のひらを床の方に向けて、その場所を押さえ込むように・・・」。私が得意になって視障者の方たちに手話の形を言葉で説明していたら、手話をよく知っている視障者の方に、「それは違うわよ。『今日』という手話は両手を使うのよ」と、直されて初めて気付きました。私は左手の動きはほとんど省略して手話を覚えていたのです。
 何時になっても私の手話は「いいかげん手話」ですが、少しの手話を覚えたことで得られた友達はとてもたくさんいます。
2001年01月12日 00時09分01秒

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私の「点字との出会い」
 年齢がばれるけど、45年ほど前のこと、高校生のときでした。退屈しのぎに何気なくつけたテレビ。「・・・このように目の見えない人の使う点字と言う文字は、たった六つの点で出来ているのです」。これだけでちょうど番組が終わってしまいました。
 「六つの点だけで表す文字?」この言葉が頭から離れなくなりました。勉強は嫌いでも何かを考え出すことは好きで、カンニングに役立つような「仲間だけにしか解らない文字」の研究?に余念のなかった私。興味のもてない授業中は、○や△や線を組み合わせて50音をいろいろ工夫するのが私の時間潰しでした。そんな私が六つの点だけで出来ている文字にどれほど興味を持ったかお察しください。
 忘れもしない高校3年の春、京都の西大路を歩いていると「目の愛護デイ」という大きな看板を見つけました。その看板を見てひらめいたのです。「そうか!点字と言うのは確か目の見えない人の使う文字と言っていた。目の見えない人を探すのは大変だけど、眼科のお医者さんなら目の見えない友達が多いに違いない」。その足で私は眼科のお医者様を探して入って行きました。
 受付で「どうしましたか?」と聞かれて、「点字が教えてほしいのです」と言いました。奇妙な顔をして奥に入った看護婦さんの後ろから、白衣を着た目医者さんが出て来られて、「私は残念ながら点字は知りません。でも、盲学校に行ったらきっと教えてもらえますよ」と、言うと、京都府立盲学校の場所を、地図を描いて教えて下さいました。「盲学校」と言う言葉も初めて知りました。
 勿論、その地図を手にすぐに盲学校に行ってみました。授業は終わって静かな学校でした。
 「受付」と書かれた札のある部屋に向かって「ごめんください」と何度か大きな声を出すと、男の人が出てきてくれました。話を聞くと私を職員室に案内してくれました。晴眼の国語の先生が話を聞いてくださり、帰りに「これを使って覚えてごらんなさい」と、点字の50音表と古い点字器を貸してくださいました。
 飛んで帰ると、わら半紙1枚に書かれた点字50音表にかじりつきました。何と簡潔な、六つの点だけを使って文字を表す工夫! 嬉しさに興奮しながら、その日の内に初めての点字の手紙を書きました。

 45年前という時代。高校生だった私には「ボランティア」も「視覚障害者」も「点訳」も聞いたことのない言葉でした。盲学校の生徒さんたちは、私が覚えた点字という新しい文字を使って文通の出来る友達でした。
 こうして私には、何時の間にかたくさんの視覚障害のあるお友達が出来ていきました。
 出会いの段階から、私にとって点字は、友達を作るコミュニケーション手段だったようです。いま、多くの盲ろう者と点字を利用して会話を楽しんでいるのも、初めから私が求めていたことのような気がしています。
2001年01月11日 23時07分32秒

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私の盲ろう者との出会い
 今から12年ほど前のことです。ある視覚障害者のグループが主催する研究会に出席しました。そのグループは真面目で、時間もきっちりにとても堅い話が始まりました。出席者は30人ぐらい、部屋の中は緊張した雰囲気でした。
 始まると間もなく、部屋のドアが開いて、一人の中年の女性と若い学生が入って来ました。「皆さんどうもお久しぶりです。寒くなりましたね。今日はお誘いいただいてありがとう」。女性の場違いな大声に私はびっくりしました。一見してその女性が視覚障害者であることは分かります。でも、この緊張した部屋の雰囲気がなぜ彼女に伝わらなかったのか、不思議でした。
 2人が空いている席に着くと、学生が荷物からなにやら機械を取り出してガチャガチャと音を立て始めました。点字のタイプライターのようです。部屋の緊張した空気はしばし途切れていました。しばらくその女性は点字を読んでいるようでしたが、また大きな声で言いました。「あら、もう勉強会が始まっていたんですね。大きな声を出してしまってごめんなさい。そういう様子が私にはちっとも分からないものですから」。
 この時が私には始めての「盲ろう(視覚聴覚重複障害)の方」との出会いでした。この日はじかにお話をすることはありませんでした。

 2度目に彼女と出会ったのは居酒屋での飲み会の時でした。狭い席に大勢が座る。これだけでも窮屈なのに、私も太目、そしてちょうど背中合わせに座っていた女性はもっと太目。自然と背中がぴったりくっつきます。「袖触れ合うも・・・」どころか、もたれあっているのですから、ご挨拶ぐらいと思って後ろをふりむくと、そこに座っていたのが例の女性でした。一緒にいる通訳の若者に「どうやってお話をすればいいの?」と聞いてみました。「手のひらにカタカナを書いてくだされば分かります」。私は彼女の手を取ってその手のひらに指で文字を書いてみました。「○ ○ ○ ○ ○ ○ デ ス  ヨ ロ シ ク」。
 「あら!○○○さんですね。初めましてこちらこそよろしく。随分力強い文字の書き方をなさる。はっきりした方ですね。お友達になれたら嬉しいわ」。     
 これが私が盲ろう者と係わりをもつようになったきっかけでした。彼女とは年代が近かったこと、彼女のコミュニケーション手段がブリスタ(通訳用点字タイプライター)または指点字で、点字を使い慣れていた私には可能なコミュニケーション手段であったことから、すぐにお友達になりました。
 
 出会って間もなくのころ、あるパーティーに彼女と2人で参加しました。
 会場のセッティングの様子、集まった方たちの様子などを伝えている内に、司会者の話が始まります。今度はその話の内容を伝えることになります。立食パーティーで飲んだりつまんだりしながらマイクに流れる話を聞く。グラスやお皿を持ってしまうと手が塞がる。ということは、食べていると何も彼女に伝えられなくなるということです。いかに短い言葉で、パーティーの雰囲気を伝えられるか。しかも、せっかくのご馳走も彼女も私も充分に食べたい。自然と私の感覚にあわせて何を省いて何を伝えるか選ぶようになります。
 盲ろう者と一緒の場合はありきたりな通訳介助意識では足りない。何も伝わってない中で「何を伝えたらいいか」、すべてを当事者に選んでもらう余裕もない。当人が何に興味をもち、何を優先して伝えれば最もその場の雰囲気を捕らえてもらえるか、常に選択していなければいけない。こんなことを感じました。
 それより大切なことは、会場にいる人たちとの交流のチャンスを作ることです。声をかけてくださる方は多くても、双方が手を空けて、お名前だけでも手のひらに書いていただかなければなりません。私が通訳をしてしまえば早く済みますが、言葉数が少なくなっても、じかに手を触れて挨拶をしていただくことに意味があります。こんな中で何とか5,6人の方に彼女の手のひらにお名前を書いていただくことが出来ました。
 
 帰り道に彼女は「今日は楽しかったわ、あなたのお陰で5人もの方とお会いできた」と言って下さいました。会場には100人を超える人がいたのに。これは喜んでいいのか、反省しなければならないのか。
 例え1メートルと離れていないところに何人もの人がいても、じかに触れてもらわない限り、盲ろう者は一人なんです。分かっていることではあっても、このときの彼女の言葉「5人もの方とお会いできた」を聞いたとき、背筋に電気が走ったような感覚を今でもよく覚えています。

 あれから12年、お友達としてのコミュニケーション、通訳、介助、平均して「上手くできた」と思えたことはまだありません。だから、まだ続けています。
2001年01月01日 13時02分29秒

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点字は盲人だけのもの?
  ―― 日本語の新しい表記法として ――                  
 私は年齢に似合わず、割と早くからパソコンを利用しています。とは云っても、ほとんどワープロとして利用していただけです。「だったらワープロを使えば済むじゃないですか」と云われそうですが、私の場合「6点式利用」をしていたのでパソコンでないと駄目なんです。点字の原稿や手紙を書く量も多いのですが、墨字の文章を書くことも大変多いです。ところが私の古いパソコンのキーボードを見ると、薄汚れたキーの中で「fdsjkl」の6箇所のキーだけがピカピカと光って、キーの上に書かれた文字は消えかかっています。墨字文を書くときも6点式入力をしているからです。
 若い人たちがすごい速さで指を動かしてパソコンのキーを叩いているのには感心しますが、もしかすると私の入力スピードも、これに引けを取らないのではないかと思います。速さではかなわないにしても、エネルギーの消費量はまったく違うので、相当量打ちつづけても疲れません。これがたった6個のキーだけを使う6点式入力の効率の良さです。  私が点字と出会って既に40年、「点字の好きな変な晴眼者」と云われます。 点字ほど合理的で現代に、そしてこれからのパソコン時代にマッチした文字はないと思いませんか?
 「6つの位置に点が打たれるか打たれないか」。これだけで出来ている文字。つまり二進法の文字です。随分むかしにも、「皆が点字を知っていたらすごく便利なのに」と思ったことがありました。それは街で電光掲示板を見る度に、「あんなにたくさんの電球を並べなくても、もし点字を使えばたった3列に電球を並べれば済むのに」と思ったのです。 日本語の漢字かな混じりの表記法は独特の味わいがあり、視覚に訴える表意文字としてすばらしい文字ですが、この複雑さがタイプライターやワープロ、パソコンの普及の足を引っ張ることにもなりました。パソコンの入力には50近くあるかな文字や、26文字のアルファベットを使わなくても6点式入力を取り入れればこんなに入力が軽くなるのにと思っています。どのパソコンにも「かな文字入力」「ローマ字入力」と並んで「6点式入力」が使えるようにセットされるようになることが私の夢です。
 「点字という文字があります。これは墨字を読むことの出来ない目の見えない人たちが、墨字の代用品として使っている文字です。皆さんも点字を覚えて、大きくなったらおきのどくな目の見えない人たちのために力になってあげてください」。
 小学校の国語の時間に点字が取り上げられても、こんな言葉が使われてしまうのではないかと心配です。

 さて、こちらはある小学校での国語の時間です。 「日本語には、いま皆さんが使っている漢字やかな文字の他に、とても便利な文字があるのです。既にこの文字を生活の中に取り入れている人たちもいます。皆さんも覚えるとパソコンを初め、これから開発されるいろいろな機器を使いこなすのにとても便利な文字なのです。それは6点式文字と言います」。
 パソコン時代の特に頭のやわらかい子供たちはあっと言う間に覚えるでしょう。そして6点式でパソコンを使い始めます
。 このクラスに全盲の生徒が転校してきます。「君、6点式文字を知っているかい?」「知ってるよ、これがそうだよ」と、点字の教科書を出します。「違うよ、6点式文字っていうのはパソコンを使うときの文字だよ」。「へえー、どんな文字なの?」・・・教えあっている内に、2人の話している文字が同じ物であることが分かります。「なんだ、君って進んでるね、前からもう使っていたんだ。尊敬しちゃうな!」

 これは私の書いた空想童話の一節に過ぎないかも知れません。
 長い歴史の中で出来上がってきた漢字かな混じり文に対して、点字は一人の考えをもとに知恵を出し合って組み立てた文字です。しかもそのときに「音声言語により近い表記法」ということを大切にして作られました。パソコンなどの機器類に適した文字であることは当然なのかも知れません。
 「点字は新しい時代に作られたすばらしい日本語の表記法の一つです。視覚障害者だけが独占するのはもったいない。皆で共有させてください」と、言っても、ブライユさんや石川先生に叱られることはないと信じています。
2001年01月01日 12時59分49秒

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拗音の表し方 
 点字の拗音が覚えにくい人に説明をしたメールの一部です。
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 点字の拗音の表し方は、とても理にかなっています。
 私が小学校のころは、墨字の拗音はあったのかな? ちょうちょうは「てふてふ」と書いた。今日というのは「「けふ」と書いた。こんな記憶があるので、多分拗音が国語審議会で現在の書き表し方に変わったのはその後だったと思う。でも、小学校時代にローマ字を習った覚えがある。私は終戦後第1回目の小学校1年生です。ローマ字は考えれば分かるように、終戦後に入ってきた進駐軍が、日本人の言葉をアルファベットで書き取るためのもの。その時代には現代的発音になっていたわけですね。蝶々の発音が「てふてふ」に近かった時代もあったのかも知れないけど、むしろ日本語の50音を表すかな文字の中に「拗音」というものが無かったということのほうがこの書き表しかたの原因になったような記がします。かな文字が出来たのが平安時代だとして、文字文化と音声による言葉文化とは隔たりがあった。これはずっと長く残った傾向で、80歳を超える母にとっても「チンオモウニワガコウソコウソウ・・・」。教育勅語だってちんぷんかんぷんのまま暗記しただけで意味はさっぱりわからなかったと云いますから、すでに話言葉は今と変わらず、ただ会話と文章というものの間に壁があったということが分かります。
 日本語点字は100年前に作った当初から、「音声を文字に表す」方法を取りました。その結果できたのが点字の拗音。これがいみじくも日本語の発音を書き取ろうとしたローマ字と同じ捉え方だった。
 例えば「キャ キュ キョ」と発音するとき、口を「キ」と発音する時の形にしたままでは無理です。
口の形は「カ ク コ」と同じになる。舌の使い方が少し違うだけ。
 ローマ字では キャ=KYA カ=KA の間に拗音をあらわすYが入ります。
 点字では キャ=Y・KA カの前に拗音を表す記号を添えます。

 こう考えると、点字がいかにコミュニケーションに向いた文字かが分かり間す。声を出しながらその声を文字に置き換えていく。「キャ」は口の形が「カ」と同じだから「カ」を使う。「キ」とは口の形も違います。
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 ここまで考えると、メールや掲示板でリアルタイムのおしゃべりをするのに、文章専用に作られた文字を使うのはおかしい。こんな需要が増えたところで、日本語の拗音表記も点字やローマ字を参考に変えていったらいいと思うんだけどな。一番いいのは濁音・半濁音の仲間に入れて、「カ ク コ」などの右肩に△とか☆とか×とかをつけることでしょうね。音節から云っても1音節。原稿用紙2マスを使うのはおかしい。
 ただし、あまり急に受け入れられると困る人もいます。その一つがクロスワード作者でーす。 2000年11月27日 23時58分35秒

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