神戸&天橋立&舞鶴
--- 勢いお盆旅行 ---

1. 唐突に神戸

 気が付くと、のぞみのグリーン車に乗っているふじもと。そう、何をどう思ったのかよくわかりませんが、突如神戸への旅行を思い立ったのでした。いや、厳密に言えば理由ははっきりしていて、「アウェーの対神戸戦を見に行く」ためだったのですが、たかがサッカーの試合のために1泊旅行するか?しかもグリーン車に乗るか?とまあ、はたから見ればえらく唐突な行動パターンかと思われるでしょう。とは言え、ふじもとも普段ならわざわざアウェーの試合を見に新幹線に乗るほどのことはしないわけで、今回はたまたまお盆休みにぶつかり、「ここのところフラリと旅に出るなんてことをしてないなあ」などと考え、神戸戦をある意味口実にして出かけてみた、というようなもんです。ちなみに今回はノートPC持参でして、リアルタイムで文章書いてる部分があります。ここまで書いて、最近アザラシが溯上しているらしい多摩川を通過。

 何せ、神戸戦のチケットすら購入したのは前日の夜(別に前売りでしか買えないわけではなく、前売りの方が500円安いから)。ホテルは当日の朝、JTBのサイトでその日泊まれる宿を検索して一番安かったマークすホテル神戸なる宿(素泊まり5800円也)を予約。これもまあ、飛び込みでも何とかなるんでしょうし、別にケチるほどのことも無いんですが。困ったのは新幹線。なにぶんお盆ですから通常の指定席は売り切れ、自由席は帰省する親子連れなどで修羅場と化しているだろうことは容易に想像できます。それならば、ここで一点豪華主義(笑)のぞみのグリーン料金(+5150円也)を奮発して、13時ちょうどに東京を出発。これも本当はもっと早く出て神戸の市内観光でもしたかったのですが、朝に弱くてねえ……前日までに指定席を取ってその通りに乗れたためしが無いというアホですから。そういえば、乗車まで若干余裕があったので駅構内をフラフラしてみたのですが、ずいぶん改装されてますね。中央付近に謎のぶち抜き通路ができているし(これは便利!)、南側通路の方には大きな書店、情報端末、お土産街など、大規模なモールができていました。まあそうは言っても、普段なら「一番早い奴」で切符を買ってさっさと飛び乗ればいいわけですから、飛行機みたいにどうしてもこういう「暇つぶしスペース」が必要なわけでもないんですが。ここまで書いて、そろそろ富士山が見えてくるあたり。快晴なので山頂付近がしっかり見えますが、夏の富士はやはり若干殺風景です。

 ふじもとは以前、修学旅行の臨時「ひかり」でたまたま割り当てられたのがグリーン車だったことがありますが、グリーン車はそれ以来です。のぞみのグリーン車は当時と同じ1列4人(普通車は5人)、ふじもとのように縦のみならず横にも広い人間には落ち着ける幅の広さです。フットレストもありなかなか快適。ヘッドフォンがあれば飛行機のように肘掛のところへ接続して車内放送を聞けるようですが、あいにく用意が無くノーチェック。照明も間接型で比較的高級。座席前のポケットにはこれも航空機並に無料広報誌のようなものが用意されています。さらに、キャビン・アテンダントというのでしょうか、要するにグリーン車担当らしきお姉ちゃんがおしぼりを配り、さらに客の持っているゴミを回収して回るという懲りよう。いや、正直ここまでは要らないから、普通の指定料金に+3000円くらいでワイドシートに、ってわけにはいかないもんですかねえ、JR東海さん。

 名古屋ではそれほど客が降りず、また駅のホームもそれほど混んではいないようです。ここしばらく名古屋での用事が多かったので、名古屋の先は1年半ぶりくらいですが、驚いたのは岐阜の三洋電機。巨大な --- 工場1個分の横幅の --- モニュメントが新幹線沿いに立っていて、その表面が一面太陽電池。何考えてんのかよくわかりませんが、とりあえずインパクトだけは十分あります。次の京都ではそれなりに降りる客がいますが、やはりホームはそれほどの混雑ではなく、観光目的の客が多いのかも。やがて電車は終着駅、新大阪に到着します。Webでの事前チェックでも、博多行きはほとんど満席だったのですが新大阪行きには若干の余裕があり、東京→近畿地区という帰省パターンは比較的少ないことが伺えます。新大阪駅も東京駅同様、書店や買い物スペースなどが以前よりずいぶん充実しているようです。それからやはり、USJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)ですね。新大阪駅にもちゃんと広告スペースが設けられていました。いろいろ不祥事があるとはいえ、やはり近畿地区におけるUSJ一人勝ち状態はゆるがないようです。新大阪からは新快速で神戸・三宮へ。毎度のことですが、新快速への乗り継ぎはとても便利だし、新快速自体がとても速くて快適です。JR東日本もこのくらいの電車を走らせて欲しいんですが……。三宮で降りてホテルにチェックイン。ここから先はほとんどサッカーネタなので、FC東京観戦記に書くことにしましょう。何せ神戸にはもう5、6回来てて、異人館もメリケンパークも居留地も南京町も六甲山もポーアイも一通り回っちゃってるもんですから。行ってないのはモザイクとかくらいだけど、東京からわざわざモザイク行くか?

 ま、結局試合は何ともフラストレーションの溜まる負け方で、しょうがないから南京町でブイブイ言わすかなどと思ってみたら、10時過ぎだっつーのにもう全て閉店。地方都市の常というか(仙台あたりもそうなんですよねえ)夜が早い早い。フラストレーションのやり場も無いまま、コンビニでアイス買って食ってフテ寝しちゃいました。

新大阪駅構内のUSJブース。

2. 日本三景は暑かった

 ホテルにて朝7時起床。普段からは想像もできない早起きです。というのも、「駅前探検倶楽部」では7時58分に三ノ宮→尼崎、ここから特急北近畿1号で福知山、さらに普通列車で11時前に天橋立に到着、という検索結果だったのです。とは言え、朝の弱さはいつものこと。だらだらしているうちに8時。しょうがないので次善の策、特急北近畿3号→(福知山)→はしだて1号で行くことにしますが、駅探が「阪急三宮→西宮北口→宝塚」と阪急線を乗り継いだ上で宝塚からJRに乗り換えるコースも提示。この方が運賃は安くなるし、ふじもとの気分にも結構ストライクなので、こちらを採用。

 日曜とは言え、阪急三宮や西宮北口の雰囲気はごく普通の通勤路線です。宝塚の手前に「宝塚南口」という駅があって、ここがJRとの乗り換え?と一瞬とまどったのですが、どうも関西では「北口」とか「南口」とかいう駅名は全部中心部から見てどっち側かを表してるみたいです。宝塚南口は、劇場とか温泉のある場所の南側にあるから「南口」なんでしょうね。

 宝塚で1時間近い待ちが入るので、ちょっとブラブラしてみます。阪急宝塚はふじもとが乗った今津線のほかに梅田から来る宝塚線もあり、ちょっとしたターミナルという雰囲気。駅もずいぶん綺麗ですし、南口(これは「駅の南側」の意味)には大きなショッピングモールもあります。南口の先には川があり、川を挟んで宝塚温泉。北側は小高い山になっていて、なるほど阪急がリゾート地としたのもわかるようなロケーションです。JRの駅はローカル然としたたたずまいですが、大阪の中心部へ30分で直通する電車も走っていて、利便性は高そうです。みどりの窓口で北近畿3号→はしだて1号の指定券を頼んだら、すんなり取れました。本数が多いので席に余裕があるのか、それともこっち方面への帰省はあんまり多くないんですかね?

瀟洒な造りの阪急宝塚駅。 車内停電!エアコンも停止。

 北近畿3号で福知山へ。車内は家族連れが多く、行楽・帰省という感じです。まあふじもとも行楽客には違いないわけですが……途中からは単線になり、篠山川らしい渓谷と並行。眺めはすばらしいのですが、上流に向かっていると思ったら下流に向かっているのがちょっとびっくり。福知山で同じホームの反対側にいる「はしだて」に乗り換えですが、1分ほどで発車なので結構慌しいです。ふじもとを含めてかなりの客がこちらに乗り換えた様子。「はしだて」はここから北近畿タンゴ鉄道宮福線なる第3セクターに乗り入れ、山の中へ。トンネルが結構多く、いかにもまっすぐ作ってるという感じです。まあ、ものの30分ほどで海に出てしまうのですから、そのショートカット効果はかなりのものがあるのでしょう。宮津駅で同じ北近畿タンゴ鉄道の宮津線に合流。「はしだて」はここで進行方向を変えて宮津線に入っていくのですが、何と車内の電気が消灯。冷房も停止。どうやら電源の切り替えか何かに問題があったようです。しかし車内はそれほど殺伐とした雰囲気もなく、むしろ「こっから機関車に引いてもらうんやろ」とか「皆さん降りて押してくださーいとか言われるんちゃうやろな」など、一ネタ振られると人数分のボケが返ってくる、と言われる関西ならではの会話が漏れ聞こえてきます。ほどなく電源も復旧、電車は数分で終点の天橋立駅に到着しました。

シンプルだけど綺麗な感じの天橋立駅。 文殊堂。日本海で「文殊」……

 天橋立駅はいかにも地方の観光駅といった風情で、小奇麗な駅舎の向かいには土産物屋や観光客相手の飲食店が並びます。駅で地図を入手し、まずは「股のぞき」で有名な笠松公園へ。途中、文殊菩薩を奉ってあるらしい「文殊堂」に立ち寄り、賽銭を投げたり猫の写真を撮ったり。往路は歩いて天橋立を渡ろうかと思ったのですが、ちょうど船着場を通りかかったところで遊覧船が着いていたので、さっと乗り込んでしまいました。他に高速艇というのもあって、こちらは2300円とかなりの値段です。どてっぱらに「スペースシャトル」とか書いてあるのはご愛嬌ですが、中には「ガンダム」なんてのも……いいのかガンダムって?

文殊堂の(?)猫。日陰で昼寝。 ガ、ガンダム……
船上から見た天橋立(内海側)。 暑いのでカモメも休憩中。

 遊覧船は天橋立を右手に見ながら内海(阿蘇海)をまったりと進行し、10分ちょっとで桟橋へ。ここを降り、目の前の鳥居をくぐって参道を歩いて……と思ったら工事中なので脇を通って神社に入り、左手側を抜けていくと笠松公園へのリフト・ケーブルカー乗り場です。関西に来るといつも思うんですが、神社やお寺が関東に比べてずっと威厳というか、風格があるんですよね。あんまり工事をしてコンクリで固めなくてもいいと思うんですが。

鳥居前の池にて。暑いので亀も休憩中。 かなり年季の入ったいい感じの神社。

 リフトとケーブルカーは、券があればどちらを利用することも可能で、ちょうどケーブルカーが出た直後だったので上りはリフトを使いました。しかし、ふじもとの身長だと途中で足が下についてしまうのがちょっと……。ここを上りきると、展望台です。ご丁寧に「股のぞき台」なんてのまで用意されています。10年前なら「んなことやってられっかよ」と斜に構えていたところでしょうが、まあこれも歴史的お約束だからなどと股のぞきをやってしまうあたり、ふじもとも丸くなったもんですよ本当。しかしこの天橋立、確かに奇景という感じの眺めではあるんですが、「作ったんじゃねえか?おい」とか言いたくなるわざとらしさもあるんですよね。

笠松公園の展望台から望む天橋立。 で、これが「股のぞき」の視点。

 公園では他に特にすることもなく、その奥にあるというお寺も大したものでは無さそうなのでパスして、今度はケーブルカーで下へ。さらに、帰路は天橋立を走破するルートを選択します。最初は民家が並んでいる道を歩いていくと、やがて松林に到達。途端に周囲の雰囲気は海水浴場。何と言うか、侘びも寂びも無いなあと思っていたら、付け根から遠ざかるに連れて少しずつ人が減っていって、中央付近ではまったく海水浴客がいなくなりました。もっとも、この辺まで来るとこちらもいい加減飽きてきます。なんせどこまで行っても「松林、右も左も砂と海」ってな風景が数十分続いてますからね。やはり天橋立は遠くから眺めてこそ、ということでしょうか。

天橋立の付け根を歩いていくと…… やがて松林に入っていきます。

 しかし、さすが日本海側は水が綺麗ですねえ。水際まで寄って見たのですが、とにかく底までスケスケ。海水浴客でごった返すのも致し方ないところでしょう。反対側の付け根、つまり駅の側まで戻ってくると、やはりこちら側も海水浴客で芋洗い状態。ここには「天橋立は日本三景の一つだよ」という証明と言わんばかりの石碑も立ってます。いやー、どこの誰だか知りませんがそのように言ってくれた人のおかげで、天橋立の観光業界が成り立ってるわけですな。名水百選とかじゃ希少価値が無いですもんね。

水も清らかな砂浜。 駅に近いところは芋洗い海水浴場。
日本三景の由来を述べた石碑。 橋から下を見る。しかし、本当に綺麗な水!

 橋を2つ渡って元の場所へ。先ほどの文殊堂のあるお寺さんの山門前にはたくさんの土産物屋や飲食店が並んでいますが、その中の一つでカツカレーに挑戦。駄目でした。

3. 母は来ました、今日も来た……

 ここで諦めて素直に帰路につけばいいものを、またも「回り道の虫」がわくふじもと。ここまで来たんだからいっそ舞鶴あたりを見て帰ろうと思い立ち、2時半くらいの各駅停車で舞鶴方面へ。今度は宮津でそのまま直進し、30分ほどで西舞鶴に到着。舞鶴と言ったらやっぱり「岸壁の母」(古いねー)、引揚げ関連の場所を見るべしということでJRに乗り換えて東舞鶴に向かいます。が、これがまた乗り継ぎに時間が掛かり、さらに東舞鶴から引揚記念館までのバスも全然無い。しょうがないのでタクシーに乗って2000円ほどで資料館へ。ふじもとの家はご先祖様が呉の出だったので何度か呉には行ったことがあるのですが、同じ軍港としての歴史を持つ舞鶴は何となく雰囲気が似てるように思われます。

 ようやく記念館に到着。運転手さんの「市役所がやってるから閉まるのが早いんだよねー」という言葉の通り、4時半に入館締め切りだったため結構ギリギリでした。中はシベリア抑留兵の遺品や召集令状などの資料、シベリアでの生活状況の模型、さらに満州や朝鮮半島から引揚げてきた人たち(三波春夫から宇野元首相まで!)の言葉など、結構バラエティに富んでいます。正直、「恐慌からの経済回復を目指して大陸に進出して不幸な戦争に……」など、ちょっと手前味噌過ぎないか?という解説も目立つのですが、まあこういう苦境に直面した人たちはそうも言ってられないのかも知れませんね。

資料館裏の丘を登っていくと…… かつて引揚者が上陸した桟橋の跡地。

 それほど大きな資料館ではない(1フロア)ので、すんなりと通り過ぎて館外へ。見晴台があるようなので、裏手の遊歩道を登ってみます。ここから見える入り江の最深部、今は貯木場のように使われているところは、かつて引揚者たちが上陸した桟橋があったところだと、水撒きをしていた老齢の職員(と思われる人)が朗々と語ってくれました。「ここは祈りの場所。普通の人は資料館だけ行って、こちらにはなかなか登って来ない。あんたは偉い。」だそうで。いや、ふじもとは単に煙と同じで高いところが好きなだけなんですが(笑)入り江の口 --- といっても、舞鶴湾自体が大きな入り江で、さらにその中にある小さな入り江なんですが --- には真新しい斜張橋が架かっていて、時代の流れを感じさせます。職員(と思われる人)は、大型船では桟橋につけないのであの辺に投錨したとか、あっちの海では浮島丸が沈んで9年も放っておかれた(戦中に連行された朝鮮人を帰国させるための船で、舞鶴湾内で謎の沈没)とか、いろいろな解説をしてくれました。

引揚船が投錨した湾には綺麗な橋が。 記念公園……の向こうに謎の煙突。

 丘を登るときにも妙な焦げ臭さを感じていたのですが、下っていくとどうやら記念館に隣接した公園のさらに向こうに、工場のような煙突があるようです。せっかくの記念施設ですから、この辺も少し考えた方がいいかと思うのですが……

 さて、行きもバスが無かったのですが、帰りも無い。路線バスも観光用巡回バスも、次の便は1時間後。7時までに東舞鶴に戻れば何とか東京駅までは辿り着けるだろうけど、さてその後をどうしたものかと、バス停にいた年配の職員(と思しき人)お二方と話をしていたら、そのうちのお一人様が「もうそろそろ仕事も終わりだから、西舞鶴まで送っていってあげるよ」とのこと。ええっ、何か悪いなあと思いつつも、時間が心配なのでお言葉に甘えることに。このお二方、バスの便や案内が悪いことを盛んに恐縮していましたが、ふじもとがその場の勢いで下調べもせずフラフラ来たのも問題だったわけで……ともかく、殿様商売チックな天橋立(いや、あっちでも頑張って商売してる人たちもたくさんいましたけど)から来ただけに、この人情味溢れる雰囲気にはすっかりメロメロです。舞鶴にもうちょっと時間をタップリ使えば良かったと後悔しつつ、車中ではほとんど舞鶴市内即席観光状態でした。是非とも機会を見つけて、もう一度じっくり見て回りたいです。

 てなわけで、無事(ただし今度は指定席取れず)6時過ぎの特急「タンゴディスカバリー」に乗って京都へ。京都ではかねてよりチェック済みの蓬莱の売店によって「551の豚まん」を購入。のぞみの車内でビール飲んで肉まん食って、昨日の敗北ショックなんかすっかり忘れて東京に帰りついたのでした。


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