WEBMASTER の 今月の述懐 . . . . .
「JIA大学」構想に注文あり
神宮前のJIA本拠地で今、「JIA大学・建築家空間講義」と題した、
建築家(デザインをJIAの主要テーマとお考え?の 自称 JIA大学設立準備委員の方々)の、
建築家(デザインマインド型 気鋭建築家)による、
建築家(建築家願望溢れる大学院生・20代建築家)のための、
デザイン論シリーズが 毎回 盛況です。
若い人たちにJIAに目を向けてもらうための戦略だそうです。
関係者のご努力には敬意を表します。
そして実は 私もデザイン論を仲間としだしたら徹夜してしまうタイプなので
面白いのは十分判っていますし、創造意欲を刺激するものだとは 思います。
しかし!
これはJIA独自の「建築家教育」の本来的姿なのでしょうか?
JIAはアーキテクトの社会的定位を目指した私たちの自省的集まり、つまり
建築の価値を 建築家の占有物から 広く市民のものとする活動の場のはずです。
日本の建築家の ある部分が、自身の社会的使命をあまり自問せず、
デザイン村のデザインゲームをいかにカッコ良くこなすかに熱中している間に
街並みは悪くなる一方、しかもこれは日本特有の悲しい現象です。
そして その もともとの原因の一部分が これまでの日本の建築教育と
建築ジャーナリズムにあったのは 火を見るより明らかです。
このことの是正こそ JIAが その独自の「教育」活動で なすべきなのではないですか?
そして大学でない、JIAこそが、それをするべき職業団体のはずです。
一部のスノッブ建築家が (空間への愛でなく) ひたすら自意識(時に知識)の顕示を旨とし、
そのせいか、と言うより それでなくても、日本では もともとアーキテクトが社会から信用されていない。
建築を社会的ストックと考えず短期的表現媒体と捉える少数の建築家が
一部ではその姿勢ゆえ礼賛される、
それでは社会に信用してくれと言うのが 無理というものです。
市民のなかに今や広まる兆しさえ見えてきた「”建築家”嫌悪」からこそ
私たちが、そして若い建築家達が、啓蒙され自戒することがまず先決です。
デザイン論議はそのベースの上でやりませんか?
この論の目的が 「設計者性悪説」「デザインマインド否定論」 でないことは 次回にて。
続きあり (^_^) 安達
98/06/29