2.グループワークトレーニングのねらいは

 

 GWTのねらいは何かというのは、「新グループワーク・トレーニング」の175ページの『パティシペーターシップ』いう所に書きました。パティシペーターシップという言葉を創ったのですが、この言葉は参画者です。参加者ではないですね。「集団・組織に義務的に参加したり、お客様的に参加するのではなく、自ら進んで積極的に参画し、責任を分担する協働者」というふうに書きました。ここでは、共に力を合わせて働く「協働者」これをパティシペーターと名付たわけです。自分の意志で決断をしてそこに参画して、そこでアイディアもだし、汗もかき、力もだし、知恵もだし、そこに関わって行く、共に人と働き、いわばチームをつくって行く、そういう人間を育てて行きたいと思っています。

 それから、初日に岡崎さんがやってくれた、あの個人的なふれあいの部分だけではなくて、チームの課題として成果を出さなければならない、結果をださなければならないのです。成果を上げなければいけないんです。みんなが仲良くなって連帯感で結ばれて、ワーと感動して盛り上がったというのを求めているのではないんです。成果が出なければ何もならないんです。雰囲気が盛り上がっただけでは困る。それだけでは足りないんです。結果をだして、あるいは今日やったみたいに、相手と争って、相手を負かせて、勝って行かなければいけない、結果が出なければいけないんですね。で、プロセスが大事といいますけれども、時々そういう方がいるんですね、「結果よりプロセスが大事でしょう」というんですけれども、私は違うと思う。結果が先ず出て、で、その結果を出すためにはどういうプロセスがあったかというのが大事なんで、結果が出ないで、プロセスが大事というのは間違っている、プロセスだけあってもしょうがないですね。ですから、「一生懸命頑張ったんです。頑張ったんだけれども、時間になっても結果が出せませんでした」ということは、企業では許されないんです。しょっちゅう言っていることですけれども、「あと5分くれたら良い結果がでたんですが」というのはナンセンスなんです。時間内に結果が出なければ意味がない。このことをまず優先的に考えながら、そういう結果が出せる人を育てて行きたい。というふうに私は思っています。

 え、それから参画者、結果が出せる人を増やしていきたいんですという話が、どこでアドラーとつながっているかといいますと、アドラーの共同体感覚というのは、あれは非常に大きいですね。祖先から子孫までつながっちゃいますから、そんな大きな共同体感覚は我々は分かりません。GWTが考えているのは、対面関係にある、対面小集団です。ですから、ビッグな組織はGWTでは扱えないだろうと思います。対面小集団の中でそこでのふれあいの部分、人間関係の部分と役割を扱います。対面小集団の中にはフォーマルなものとインフォーマルなものがありますから、そのフォーマルな方を、重要に考えているわけです。インフォーマルな、お互いがみんなメンバーで仲良しでというそういう集団だけではなくて、決定権をもったチーフがいて、下にメンバーいて、そういう小集団の中でチームとしてどう動いて、結果を出すか、そのためにただ上から言われたとおり動けば良いわけではないであろうから、その中でどういう関わりをもちながら役割をとっていくか。そんなところが大事になってくるだろうというふうに思いますね。

 で、その中で、個人的な部分では、その集団に対して、アドラーのいう「所属感」(私はこのグループのメンバーなんだという所属感)と、私はこのグループのために貢献できるという「貢献感」と、このふたつが大事だというふうに思っています。

 では、アドラーが対面小集団の中でリーダーシップをどう考えていたかということは分からない、まだ、それに関する著作を私は読んでいないですから、たとえばそういうふうな、フォーマルな上下関係のある対面小集団の中でのリーダーシップを、アドラーとしてはどう説明するんだろう、というのは分からないです。ですから、そこのところではGWTとアドラーとでは必ず一致するとはいえない。ふれあいとことろの部分では一致するといえるんでしょうが、そういうずれがある。そのへんはまだ予約の段階ですが、来年GWT研究会「ふれあい友の会」が発表してくれる予定です。ただ、実際出来るかどうかはわかりません。本が出ているかどうかが分からないからね。「調べてみましたが、結果は分かりません」になるかもしれません。それはやってみないと分からないと思います。

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