Libretto/BSDものがたり

Last update on 2000.03.10




ことのなりゆき

 ワシントン州シアトルがどんな街なのか全然知らないし、特産物とか、 そこの人々の性向とかについてもまったく知らない。だからシアトルに ついての偏見はない。が、この業界ではときに「シアトルもの」という 言い方がされるようだ。というのは嘘だが、このことばはぼくもしばし ば使う。というのも嘘である。

 「シアトルもの」なんて呼び方は、シアトル製のGUI OS(らしきもの) が生まれてからのものだろう。それまでのコンピューター生活で、ぼく はうまい具合に「シアトルもの」を使うのを避けてきた。

 1997年夏、Libertto 60を買い込んで、シアトルもののOSを仕事場に しつつ(公私ともに、だが、ここでの話は「私」の方)、仕事にはUNIX 由来の道具たちを使う、ということをやっていた。

 が、1999年秋についに《切れ》、Unix世界に完全移住することにした。 これはその顛末である。

 Libretto60などという《Windowsマシン》でUnix由来の道具を使うと いうのは、その道の人(最近はその道の人でなくても、かな)にならだ いたい判ってもらえるのではないかと思う。こまごまとした理由を書く なら……

 ひとつには、盛んにサスペンドするのだが、DOSボックス(正式には 「DOSプロンプト」か)を開いたまま、あるいは一度でも開いてからサ スペンドすると、動作が不安定になる(ようだ)という現象があった。 (後で、「フル・ハイバネーション」にすれば大丈夫そうだと判ったが、 その時はもうDOSボックスとは縁が切れていた)

 なんでDOSボックスなんか使うのかといえば、そもそもDOS育ちなので、 DOSコマンドやDOSのエディタが手になじんでいるから。GUIもどき(い ささか過激だがそう言いたい)を泣く泣く使うくらいなら、コマンドラ インの方が快適だ(GUIの宣伝戦略のおかげでコマンドラインインター フェイスをまったくの悪者のように思う人がいるかも知れないが、それ は誤解です)。

 ぼくはマッキントッシュ育ちでもあって、世の多くのマッキントッシュ ユーザーが認めるごとく(認めてなかったっけ?)、マッキントッシュ のGUIとシアトルもののそれとは比較にならない。マッキントッシュで GUIに快感を覚えたからといって、シアトルでもそうとは言えないのだ。

 ふたつめは、そもそもUnixへの移住を考えていた。この辺りのあれこ れは長ったらしくなるので省略するが、Unix生まれのソフトウェアツー ルが続続とWindows世界に移植されている現在、使って気持のいいもの ならば、使った方がいい。

 みっつめは、出先でPHSでメイルを落とす(モバイルでふね)という ことをしていたのだが、初めに使ったMUA(いわゆるメイラー)が、途 中で通信が切れるとそれまでダウンロードしていた筈のメイルまでふっ 飛ばしてしまう。これはたまらない。もっとよさそうなMUAに乗り換え たいが、なにしろマシンはLibretto。ディスクスペースを食ったりメモ リを食ったりするのは避けたい(メモリは増設とはいえ32MBだし、ディ スクは800MBのままだった)。ひとつのアプリケーションであれこれで きるのがいい。それならEmacs/Mule、というのは、まあ、自然な選択だっ た。

 というわけで、OSこそシアトルものなのに、使っているソフトはMule、 tcsh、pLaTeX、grepにgawkにtarにgzipに……という、なんともハイブ リッドな〈書斎〉になって2年が過ぎた。

 これは、そこそこ快適な仕事場ではあった。相変わらずNetscapeは唐 突に落ち、tcshからでは動作がおかしいプログラムもあり、などしたも のの、我慢できない環境ではなかった(移住までのtrangentでもあった し)。

 しかし、ある出来事をきっかけに、ついに(そもそもの目的であった) Unix世界への移住、それも完全移住を決心する。



それまでの経緯

1997年某月某日

 Libretto60を買うことにする。

 発売後すぐに店に行ったが、「マグネシウム不足で生産が追いつかな い」とのこと(筐体に使っているマグネシウムのこと)。なんでマグネ シウムが不足するのか判らなかったが、東芝からのファクシミリを見せ られたら納得せざるを得ない。人間でもマグネシウムが不足すると健康 を損なうくらいだからな。

 8月になってようやく入手。ちょっと電気街を覗きに行ったらたまた ま出ていて、少し考えて一度家に現金を取りに戻って買うという、「思 い立ったが吉日」そのものだった。

1997年某月某日

 いろんなソフトを入れて使い始める。VZ、Netscape Communicator、 Winbiff、などなど……

 ほどなくハイバネーションからの復帰時に問題が発生する経験をする。 げんなりする。

 さらに、電子メイルのダウンロード中に電話回線が切れてしまうと、 ダウンロード済みの筈のメイルが消えてしまう出来事があり、MUAを替 えることにする。当時はPHS(みなし音声)で接続してメイルを落とす、 ということをよくしていた。そういう環境だからしばしば接続が切れる のだろうが、これにはまいった。

 少し考えて、Mule for Windowsを使うことに決めた。

 それから2年近くは、不満はあっても我慢できないことはなく、特に 大きな出来事もなく過ぎる。

1998年某月某日

 メーカー保証期間が切れたのを記念して、改造計画を実行に移す。

 まずはハードディスクを内蔵の800MBから、3GBのものに換装。 Librettoのハードディスクは8.45mm厚なのに対し、換装したのは9.5mm 厚。本に書かれてある手順に従ってやったが、ちょっとしくじったよう で、最初はキーボードが妙に膨れ上がるありさま。なんとか完了したが、 本体底の拡張I/Oコネクタの蓋が開きっ放し(閉めると開けられない) というかなしいマシンになる。

 ハードディスクの区画を二つに分け、FreeBSD2.2.6をインストール。 Xウィンドウシステムは当然入れ、Muleなどもインストールしておく。 勢いでそのままUnix世界に居つきたかったが、電子メイルの読み書きに 不安を残したため、そのままの状態で(BSDのパーティションはろくに 使わぬまま)時が過ぎる。

1999年某月某日

 ふとした出来事をきっかけに、ついにFreeBSD世界に完全移住を決意 する。

 RCSにチェックインしたら、そのファイルがMule for Windowsでは読 み取り専用になってしまうというものだった。RCSとMule for Windows との相性が悪いのかもしれない。なんとか工夫すれば使えるのかもしれ なかったが、もう忍耐力は残っていなかった。 なんでこんなシアトルもののために(これ以上)我慢なんかしなきゃな らないんだ?

1999年某月某日

 pLaTeXのパッケージ、Netscape、ウィンドウマネージャー、各種ユー ティリティ、各種ゲーム(笑)などをインストールし、使い始める。極 めて快適。チューニングに勤しむ。

 LaTeX、メール、ウェブが問題ないため、シアトルものへの心残りは なくなった。最初からここまで進めておけばよかった。

 また、安いLANカードを買い込み、ネットワーク接続を試みる。問題 なし。ファイルを転写するのにFTPが使えるようになったので、シアト ルからはますます遠ざかる。

1999年某月某日

 年末を利用してディスク換装(6GB)からFreeBSD3.3-RELEASEインス トールまで一気にやっつける。必要なソフトもインストール。基本的な 作業環境はあっという間に整う。インターネットサービスプロバイダと の接続を確認して、すんなり移住は完了。

 以来、自宅ではシアトルものには触っていない。



LibrettoへのFreeBSDのインストールと初めてのX

 Libretto60にFreeBSD 2.2.6-RELEASEをインストールしたのは1998年8 月のことでした。一年前に購入したマシンの保証期限を過ぎたので、ど うせ過ぎたのならと(いうのは嘘で、過ぎるのを待っていたのですが) HDDを3GBのものに交換し、インストールしました。マルチブートです。

 パーティションの切り方や、細かいところでしくじりましたが、基本 的にはインストールは一発で成功。XFree86の設定もすんなり通り、 「夢のUnixマシン(おおげさ)」がようやく自分のものになりました。

 PC UNIXというものの存在は1994年ごろには知っていたし、以前にも 自分でデスクトップPCにインストールしたこともあったけれど、改めて 自分のマシンで使えるようになってみると、感慨はひとしお。Unixとい えばそれまでは高価な専用ワークステーションがなければ使えないもの だったのに、一台いくらのPCで、それも自分のPCで本もののUnixを触れ るのは、感動ものとしかいいようがありません。ぼくは大して昔を知ら ないし、Unix歴も古くはありませんが、それでも感動したのです。

 最初のウィンドウマネージャーにはmlvwmを選びました。「一見 Libretto、よく見るとマッキントッシュ、実はUnix」というのがカッコ よさそうに思えました。電車の中で使ったりする時(笑)。

 真面目な理由もあって、なにぶん画面が狭いので、仮想デスクトップ が使えるのはうれしいものでした。しかしほどなく諦めてしまいます。 あまりにも「マッキントッシュ風」で「1ボタン操作」まで真似ており、 これは「モバイル」の状況では使いづらいこと、仮想画面(というのか な。実際の解像度以上の画面を使える機能)をサポートしていないため、 ウィンドウの大きさが640x480 を越えるアプリケーションが使えないこ と、が理由。

 何にしようか雑誌の特集などを見つつ考えた末、fvwmにしました。 fvwm95でもfvwm2でもなく、fvwmのバージョン1.xです。これが気に入っ たからではなくて、軽そうなこと、デスクトップやウィンドウがごてご てしないこと、などが理由です。ウィンドウマネージャーの「あるべき 姿」に対するこの考えは今でもそんなに変わりません。



ハードディスクの換装(2回目)と、FreeBSD3.3-RELEASEのインストール

 「裏を返す」というけれど、二度目ともなればお気楽そのものです。 ましてハードディスク自体を入れ換えるので、いざとなれば古い方のディ スクを入れ直せばまた使えるようになる。ディスク交換もOSのインストー ルもそういうわけですんなり進みました。が、SCSI CD-ROMドライブが 使えないのには焦りました。

 これはFreeBSD 3.3では仕方のないことなのですが、そのためにパッ ケージの類を一度DOSパーティションにコピーしておいて、そこからイ ンストールするという「技」も使いました。これだけではとてもやって いられないので、しまいにはネットワークインストールもやりました。 もう、インストールは手慣れたものですね。



本格的な運用を始めて

 運用といっても、個人で使う分には、普通のPCというか、シアトルも のとなんら変わりはありません。変わりがあるとすれば、

  1. Xウィンドウシステムを使えばGUI OSにもなるけれど、操作体系や 哲学(あるとすれば)はシアトルものとはけっこう違う。
  2. OS自体はシアトルものよりは遥かに安定している。動作も軽い。毎 日すこやかに眠れる。
  3. アメリカ生まれのOSをほぼ原形のまま使うので、日本語で苦労する かも知れない。
  4. 環境づくりは自力でちまちまやらなければならない。面倒くさいし 慣れないとミスがミスを誘ったりする。でも呑み込めば「勝手に何 かしてくれてしまう」シアトルものよりはずっとすっきりしている。 自分が何をするとどうなるのかがシアトルに比べれば判りやすいの で、安心できる。
  5. GUIアプリは、シアトルものやマッキントッシュに比べれば、そりゃ あ少ない。
  6. 周辺機器は、ふつうこの手のOSでの動作を保証してくれないので、 買うたびに勝負。ユーザーズグループからまめに情報を仕入れてい 安心。

 ネットワークは、モデムやデータ通信カードからサービスプロバイダ 経由でインターネットにつないだり、LANカードを使ったりしています。 FreeBSDはLANカードの種類ごとにIPアドレスを設定できるので、家庭で 使う場合は家庭用のアドレス、よそで使う場合はそこのLANに合わせた アドレス、ということが簡単にできます。シアトルでもできるのかも知 れませんが(やったことがない……)、できてもシアトルより簡単なん じゃないかな。



LibrettoとPC UNIX

 Librettoについてはここまで特に触れていませんでしたが、言うこと もないからで、なんというか、自明の選択です。ぼくにとってLibretto 「よくぞこの世に生まれてくれたPC」「究極の《持ち運べる書斎》」 ということばに尽きます。

 最新機に比べれば遅いのは事実ですが、重いOSや重いアプリケーショ ンを使わなければよろしい。メモリもたかだか32MBだけれど、これもOS の選択次第で凌げる。ハードディスクは容量が増すばかりなので問題あ りません。画面の解像度が640x480で狭い? 画面が広くたって、大し たものを広げるわけじゃないでしょ。

 可搬性を重視して、自分用のコンピューターはマッキントッシュプラ スを除いてみなノート型のものを選んできました。

 しかし、「持ち運ぶことが可能」のと「実際に持ち運ぶのがたやすい」 のとは別で、ほかにもLet's note SF21EJ81を持っていますが、毎日持 ち歩くのにはB5サイズでは厳しいと感じています。Librettoはその中に あって、「本当に気軽に持ち歩けるPC」だと思います。このコンピュー ターのおかげで、死にそうな目に遭った仕事もなんとか乗り切れたし……

 Librettoが切り開いて、Let's note(松下)やVAIO(ソニー)が追随 しかけたかに見えた「ミニノートPC」も、同じ頃莫迦な「戦略(なのか、 ほんとうに?)」をぶち上げたシアトルの「ハンドヘルドPC」に塗り換 えられてしまったように見えます。「ハンドヘルドPC」にフリーUNIXを 載せようというプロジェクトもあるようで、それに参加することも考え なくはなかったけれど、茨の道を進む勇気もありませんでした。

 願わくはメーカーには目を醒ましてもらって、A5サイズ、B6サイズ (これは無理か)のまともな(つまりは複数のOSを動かせる、はっきり いえばFreeBSDが載る)PCを創り続けて欲しいのですが。





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