PDAの明日はどっちだ ――または、LXに捧ぐ



 PDA、携帯情報端末ということばが出てきたのはいつごろだろうか。

 冒頭からPDAということばを振り出しておいて、さもいきなりこのテー マで何事か論じるかのように装う。映画で言えばいわゆる〈アヴァン・ タイトル〉であろうか。思わせぶりに意味ありげなエピソードを紹介し ておきながら、すっと肩すかしを食わせるように、本編がN年前の話か ら始まる。虚仮威しの随筆もよく使う手である(ふふ)。

 まさにそのとおりに、話は一見PDAとは何の関係もないところから始 まる。

 1993年の秋から冬にかけてだったと思うが、忽然と電卓が欲しくなっ て、秋葉原をうろついたことがある。

 電卓なんてそこらの家電屋で売っているだろうと思ってはいけない。 欲しくなったのは「10桁表示、四則演算と百分率とせいぜい平方根、押 しやすい大型キー、太陽電池で電池切れの心配いらず」だけが売り文句 のそこら辺にある電卓ではなく、「エンジニア用関数電卓」だっ た。

 記憶では、16進数と10進数の相互変換を筆算するのがかったるくなっ てきていて、そろそろ文明の利器(笑)のお世話になろうと思ったようだ。 しかもそれまでろくな電卓に巡り合えず、クレジットカード型のものは キーが押しづらいしは物珍しさで買ったものはおもちゃ同然で使いもの にならないはで、電卓自体もまともなものを持ちたかった。で、どうせ 買うならなんだか〈エンジニア〉を象徴するようなものが欲しいと思っ た。どうもその頃、ようやくというか遅ればせというか、〈エンジニア〉 の自負心というか誇りというか、そんなものが芽生えたというか目覚め たというか、そんな心持ちだったようだ。

しかし、〈エンジニア〉っていったい、なんなんだろう? エンジニア (特にソフトウェア技術者)であるとはどういうことなのか。どうであ ればエンジニアと呼べるのか。とんでもない人間がソフトウェア技術者 ぶっているのを多く見てきたせいもあるんだと思うが、未だによく判ら ない。

 エンジニアといえば誰が何と言おうとHP(ホームページ。ではなく、 ヒューレットパッカード)の関数電卓である。これぞエンジニアの一品。 板前にとっての包丁の如く、大工にとっての鉋(かんな)の如く、『ダイ・ ハード』のジョン・マクレーンにとってのベレッタM92Fの如く、かけが えのない相棒にしてもっとも頼るべき道具(ツール)、それが「HPの関 数電卓」である。かどうかは定かではないが(ぉぃぉぃ)、そんな印象 がある。なにしろ素人には皆目使い道を想像できない何十種類から何百 種類もの関数が組み込まれている。表示桁数だって10桁なんてケチなこ とは言わない。プリンタをつないで印刷もできるし、なんとプログラム 可能だった。自分で計算式を作ってパラメータを与えて計算することが できたのだ。それもプログラム通を唸らせるRPN(逆ポーランド記法。 どんな代物なのかは本屋さんでコンパイラ理論の本を見てみましょう)。 これにはキョウレツに憧れた。秋葉原へはそれを見に行ったのだった。

 T・ZONE(当時はまだミナミを侵食していなかった)の三階だか の陳列棚に、HPの関数電卓さまは鎮座ましましていた。HPの関数電 卓さまは憧れの的だったが、高値^H^H高嶺の花でもあった。当時のぼく の財布ではオイソレとは買えなそうであり、鎮座はそれを象徴している ような気がした。

 その、同じ陳列棚の隣に、今思い出せば運命の出逢いなのだが(大う そ)、かの名機HP95LXさまだか100LXさまが鎮座ましましていた(どち らだったのか定かでない)。

 その頃は、大してというよりまったく興味がなくて、ただ黒い筐体が 目を惹いただけだった。関数電卓の隣にいるから、電卓の仲間と思って 見ていた(たぶん)。いかにも不思議だった。こんな小さな代物に、な ぜかちゃんとしたQWERTYキーボードがついている。でも押しにくそうだっ た。

 デモ機も置いてあり、物珍しさに駆られて触ってみた。実はDOSマシ ンだということを、この時に知っただろうか。おそるおそる[123]キー を押したらロータスの1-2-3と思える表計算ソフトが動いたのでびっく りした(なんか、まるで初めて火を見た直立エンジンみたいだな)。で もそれ以上は何もできなかった。何をすればどうなるのか判らないから だ。QUIT(終了)くらいはできたかな? 憶えていない。コンピューター のハードでもソフトでも、説明書など見ずにとにかく触っていじってみ るのがぼくの身上?だが、その手法が通用しないこともあると思い知っ た体験だった(うそ)。

 それがLXとの出逢いだった。でもこの出逢いはそれだけで終わり、ま さか数年後に自分がユーザーになるとは、その頃の自分は夢にも思わな い。

 ちなみに関数電卓は、パンフレットで研究した結果「自分には持て余 す」ということが判って諦めた(やっぱりエンジニアじゃないのかも)。 数年後におとなしくカシオの関数電卓を購入することになる。

 その頃には、PDA―― Personal Digital Assistant ――日本語では 携帯情報端末――というコトバと、実体がこの国に広まり始めていたの だろう。始まりは1990年辺りになるだろうか?

 HPはLXのことを「パームトップコンピューター」と称しているが、 1990年にはその名も「パームトップ」というマシンが華華しく登場して、 ひっそりと消えていった(憶えている人、いますか?)。ぼくが「ペン」 という入力デバイスに触った始めだ。アップルはニュートンを出し、気 を吐いていた。シャープからはザウルスが出ていた。

 本題に近づいてきたように見えるかも知れないが、まだ前置きである。

 ぼくはあまり興味をそそられなかった。コンピューターで文章を書く ようにはなっていたが、当時のぼくはなんでもかんでもデジタル化して 電子データにすればいいってもんじゃないだろうと思っていた、そんな 記憶がある(今でも、思わないでもない)。住所録や電話帳の類をちま ちま入力するのはタイヘンだし、予定表だってあんなちっこい画面で見 るのはかったるいと思ったし、自由に書き込みができないのには苛苛し そうだ。使いやすそうにも見えなかった。だいたいPDAがそのスタイル を模していた「システム手帳」というのが好きではなかった。どこが好 きじゃないかというと、「システム」というカタカナ語と「手帳」とい う漢語が平気な顔をしてくっついているのが好きではなかった。「シス テムノート」とか「体系手帳」とかいうのだったら、試しに使ってみて いたかも知れない。

 なにより、ペンは文字入力デバイスとしては使いものにならないと評 価していた。(これは「指をそこそこ動かせて、かつ、キーボードを打 つのに困らない人」にとっての話である)。ぼんやりと、「キーボード ですべての操作ができるPDAでないと自分は気に入らないだろうな」と 考えていたような記憶もないでもない……

 LXにはその後も出会った。センパイが持っていたので借りて触らせて もらったのは1995年だっただろうか(すでに200LXだった)。けっこう 興味津津だったし、「凄えヤツだ」とも思ったが、何しろ高かったし、 「それで何をするのか」というイメージが固まらなくて、購入に踏み切 れなかった。

 1996年春、これに取りつかれた後輩が買って見せびらかしにきた。巷 (といっても、言ってみれば「好きもの」連中の間)で話題になってい るらしい。そんなところから興味を引かれて改めて勉強してみた。その 気になればいろんなことができることを知った。200LXを盛り上げてい るユーザーの熱意にも惹かれた。PIM(Personal Information Manager、 個人情報管理機ってところか)も思ったより使えそうだ――惚れ込んだ 人たちが書いているのだから、よさそうに見えて当たり前だが。

 何か新しいキカイを買いたい時期になっていたが、高いものは買えな かった。この辺が手頃かなと思って200LXに決めた。といっても当時は 本体価格も高価だった上に、さらに高い「倍速モデル」を買い、その後 メモリ増設も行なったり、あとで40MBのフラッシュATAカード(やはり まだ高価だった)を買ったりしたので、なんだかんだで25万円以上は突っ 込んている。Windowsマシンの価格(当時)とおんなじ (^^;)

 もう少しきちんと紹介すると、HP 200LXは、ヒューレット・パッカー ドというアメリカの会社(もともと計測機などで有名)が何を思ったか 開発した携帯情報端末である。単三乾電池二本で一週間〜一ヶ月は稼働 するという、驚異の電池性能を実現している。大きさは幅16センチ、奥 行き9センチ弱、厚さ2.5センチ。シャツのポケットにはちょっと入らな いが、ズボンのヒップポケット、上着の内ポケットなら充分収まる(厚 みが気になるものの)。重さ300グラム。やや重みを感じる。

 CPUにインテルの80186という16ビットCPUを据え、OSにはMS-DOSを採 用した。米国生まれだから日本語のことなど考えていない(こんなこと を言わなくていいようになりたいね)のだが、このマシンに惚れ込んだ パワーユーザーさんたちが頑張って日本語環境を自作し、世間に広めた。 DOSというOS自体が貧弱なためハングアップすることもあるが、かなり 無理をしているわりには安定していると言っていい。

 小さいながらもちゃんとしたQWERTYキーボードと、なんとテンキーを 備えている。キートップが小さく、これで実用になるのか? と思うが 心配はいらない。キーピッチを大きくとってあるし、タッチが適度に硬 いので、目的以外のキーを押してしまう心配は少ない。配置も絶妙だ。 よく使うアプリケーションはホットキー一発で起動できる。Windowsノー トPCが最近採り入れた機能を6年も前から実装しているわけである。

 れっきとしたDOSパソコンであり、その上で高機能のPIMソフト群が動 く仕組になっている。この仕掛けが絶妙で、感心する。最初は期待して いなかったが、使い始めてみると、PIMとしてもなかなかの機能を備え ている点は大いに気に入った。よく練られていると言っていいと思う。 必要な項目を備え、余分なものがない。一見余分に見えるものも、ある と便利な局面がくる。キーボードですべての操作をするのだが、それが 殆ど苦にならないほど操作体系は整えられ、統一がとれている。メッセー ジやガイドは英語のままだが、それでよいなら、今でも最強のPIMなん じゃないだろうか(褒めすぎ?)。

 PIM回りで一番感動したのは電卓だったと言っていいかも知れない。 「金融電卓」という触れ込みだったが、「HPの関数電卓」をそっくり 内蔵しているのではないかと思うほど高機能で、メモリ機能、スタック、 RPNによるプログラミングなど、ぼくなどには使い切れないほどたくさ んの機能を持っていた。別にプログラマー向けの16進電卓もあった。 「これでもうわざわざ『HPの関数電卓』を買う必要はないな」と思っ たものだ。

 ロータスの1-2-3という、DOSでは有名なスプレッドシートがついてい る。こんなものは不要だろう、それよりはAwkでちょいちょいとプログ ラムを書いてテキストファイルでデータを作って食わせる方がいいナ、 などと思ったものだけれど、使いたい局面というのがやっぱりあって、 そういうときには重宝する。

 シリアルポートを持っているので、モデムを繋げばパソコン通信(そ ういう時代だったのだ、まだ)も楽しめた。当然、小ささを活かして 「モバイル」にこだわるわけである。当時はいわゆる「グレ電」も設置 されだしており、街を歩けばグレ電探しをしたもんだ。そして当然、 「旅先からメイル」を楽しんだりもした。公衆電話から落としたメイル をバスを待ちながら読んだり、夜ホテルの部屋からメイルを送ったり…… 四万十川の河原ですてきな景色を眺めながらのんびりとメイルを書いた のを今でも憶えている(内容はのんびりどころじゃなかったんだけどね)。

 なんといっても、ポケットに入る“ちゃんとした”コンピューターは 気持のいいものだった。PIMの皮を剥せば裸のOSに触れるというのは Good designとしか言いようがない。PIMのデータもプレーンテキストに 落とせるようになっているからデータの持ち運びもしやすい。それに、 プログラムを書いてコンパイルし実行できるのはやっぱりうれしかった。 実際に書いたのはひとつだけ、簡単なプログラミング言語処理系だった けれど、ずいぶん楽しませてもらった。

 DOSが“ちゃんとしたOS”かどうかは意見の分かれるところだろうが、 それでも低水準層へのインターフェイスとしてのOSが直接見えると、プ ログラマーは安心する。いざとなればOSレベルでファイルやシステムを 操作できるからだ。その上いたずら心も湧いてくる(^^)  非プログラマーにとっても、OSに関する知識は必要とはいえDOSのプ ログラム資産やデータ資産が活かせるのは大きな利点の筈だ。

この辺りも意見は分かれるだろう。「PDAなのだからコンピューターで あることを意識せずに使いたい」という考えもある。

 よく使ったのは、予定表、電話帳、ノートテイカーというテキストデー タベース(カタイことばですが、見出しのつけられるメモ帳です)、国 語/英和/和英辞典。こいつらには本当に世話になった。みんな〈紙〉 で揃えたら持ち歩きが大変だ。また、紙の手帳と違い、スパゲッティを 茹でる時にはタイマーとして使えるし、泊まった先で目醒まし時計がな いときは目醒ましにもなる。その年の暮れから、「来年の手帳」を買わ なくなった(用心のために安い手帳は用意するようにしたけれど、それ も二年くらいで止めた)。

 そのほかはDOSのエディタ(もちろんVZです)で文章の構想を練った りした(練るんです)。エスペラント語の勉強を始めてからは、辞典を 入れたり、単語集を作ったり、エスペラント日記をつけたりした。すべ てDOSベースであり、この辺の自由さ融通さは、“ちゃんとしたコンピュー ター”ならではだろう。

PDAって何の略だったっけ、と調べていたら、HP 200LXを取り上げて いるウェブページを見つけた。ここで紹介させていただく。
I Love HP200LX (http://member.nifty.ne.jp/kokuryu/)

 まだまだ、前置きである。

 その昔、「象が踏んでも壊れない」という、筆箱のテレビCMがあった (その昔は筆箱の宣伝をテレビでもしていたのだ! 今じゃあり得ませ んね)が、LXは精密機械だから、象に踏ませたらイチコロ(死語)であ る。その代わり――代わりなのか?(笑)――、少少高いところから落と しても、概ねびくともしない。少少というのは、平均的なテーブルの高 さ。ぼくは立った状態での上着の内ポケットくらいの高さ(120〜30セ ンチほど?)から落としたことがある。彼/または彼女は無事だった。 驚くことに傷もあまりつかない、もしくは目立たない。昨年の夏までの 四年間で10回くらいは落としている。修理に出さなければならないよう な損傷は被ったことがなかった。この頑丈さがLXの隠れた魅力のひとつ。

 それが、昨年秋から今までの約半年間で5回以上落とした。スーツを 着ることが多くなり、内ポケットに忍ばせるようになったのだが、スー ツの内ポケットって口が空きにくい。手探りで、入れたつもりになって 手を離すと、入っていなくてがっしゃーん。ということが度重なった。

 ついに、蓋とヒンジの境いめあたりに罅が入った。落とすたびにその 罅は大きくなり、今や蓋の右端からぱっくり裂けた感じになっている。 データはまったく損なわれていないし、表示とか入力とかメモリなど本 体機能にはまったく問題はない(やっぱりスゴイ)のだが、さすがにヤ バそうである。蓋のストッパーも壊れて、きちんと閉まらなくなった。 電池蓋の留め具が壊れてとれてしまい、今ではテープで押さえている。 落とすとその衝撃でテープを破って電池が飛び出す。

 センパイが別のPDAに乗り換えたため使わなくなったLXを譲ってもら い、代替機はいちおう確保してあるので、今のマシンが壊れてもまだ当 分は困らない。しかし、いつまでもLXでもないだろうとも思い始めた。

 HP 200LXはすでに生産中止になっている。代替機もいつかは壊れる。 それに、20年前のOSと20年前の石の限界からは逃れられない。LXでイン ターネットにつないでメイルを読み書きしたり、なんとウェブの閲覧ま でやるツワモノもいるらしく、その熱意には敬服するばかりだけれど、 自分はそこまでやる気にはならない。

 いい機会だから、「次のPDA」「いまどきのPDA」にも触ってみようと 思い始めた。

 ようやく本題かな? いやまだまだ。

 さて、ではどんなヤツにしようかと思って市場に出かけてみると、欲 しいと思う魚、もといキカイが見当たらないのでした。

 LXを使い続けた5年弱の間に、PDA市場は大きく様変わりしている。こ の間にまるで「PDAはどうあるべきか」が固まってきたとでも言うかの ように、ある種の色に染まって見える。それも二、三色がまだらになっ ている。

 そりゃーまー、PCとは別の世界なんだし、違う使い方が期待されても いい。利用者だってかつての〈パワーユーザー〉ばかりじゃないさ。必 要なとき気の向いた時にシャツのポケットからさっと取り出してぱらぱ らめくってちょこちょこ書き込んでまたしまえればスマートだ。その上、 必要な時にすっとつないでひゅっとメイルを落とせてぱぱっと読めてさ らさらと書けてぴっと送れれば、その方がうれしいに決まってる。

 携帯電話やPHSの登場・小型化・データ通信重視化も拍車をかけたに 違いない。五年前にはモデムをつなげられるPHSは少なかったけれど、 今ではデータ通信がれっきとしたひとつの用途になっている。こいつら とスマートにつないでスマートに使えるPDAでなければ値打ちがない。

 でも、変貌したPDAは、ぼくの目から見て魅力のないものばかりだっ た。新機種購入の期待感は急速にしぼんだ。

 じゃあ「いまどきのPDA」なんかやめて、LXの最期をみとるか? そ れもいいが、「ぴぴっとメイル」は捨て難い(笑)し、一度は使い込んで おかないと悪口だって言えやしない。

 あれこれ考えて、財布とも相談して、秋葉原で実況検分もした挙げ句、 国産の有名なPDAを買った。

 なんで気が進まなくなったかというと、「いまどきのPDA」の殆どは 入力装置としてペンを採用しているんですね。

 五年間LX以外に見向きもしなかったのはペン・インターフェイスに否 定的だったからと言ってもいい。今回実況検分してみたら、やっぱり自 分には不向きだなと思った。PIMとしての能力はどのPDAもだいたい似た ようなものだろうから、あとはペンの使用感といっていい(厳密には記 憶容量、連続使用時間、外部インターフェイス(拡張性)なども評価対 象ではあるけれども)が、これが一長一短、というか一短一短は一長一 短。

 ある機種(OS)は独特の一筆書き入力方式を採用している。あいにく 米国生まれのものでアルファベットと数字だけであり、日本語は一筆書 きでローマ字を入力・変換するか、ソフトキーボード(画面上に現れる キーボード)で入力・変換するかする。この辺りの使い勝手がしっくり こなかった。一筆書きを憶えるのも厭だった。手書きするなら自分が慣 れている書き方・書き順で書きたいではないか。といってソフトキーボー ドも鬱陶しそうだった。それに、ペンを使う以上高速な入力は望めない のは判り切っているけれど、漢字の候補選択、文節区切りの調整などで 手間取るのはうれしくない。

 このOSは各社にライセンスされており、ライセンス先ではハード面で いろいろ工夫を凝らしている。本体背中に拡張スロットを設けてモデム や携帯電話接続用のボードを提供しているものがある。大いに興味を持っ たが、モデムやメモリの類は(機種を乗り換えて無駄にならないよう) 極力汎用的なものを使いたい。別の機種では、本体にダイアルをつけて、 これでメニュー操作や候補選択などをできるようにしている。これは便 利そうだ。日本語入力モジュールに(OS標準添付のものでなく)日本語 ワードプロセッサーで有名な会社のものを採用したものもある。一般に 標準添付品はいかにも「間に合わせ」の感があって、利用者はみんなサー ドパーティ製に流れるものだが、これに限っては標準品の方がマシに見 えた。なぜだろう。ぼくがその会社の日本語入力モジュールが嫌いだか らか(爆)。

 このOSの「弱い」ところは、外部ストレージ(記憶装置)の扱いがス マートでないところだろうとぼくは思った。「スマートでない」という のはかなり配慮した表現であって、率直に言えば、外部ストレージを扱 えない。着脱可能な外部記憶を持てない、持てたとしてもそれをファイ ルシステムの延長として使えないというのはいかにも弱い(「弱い」と いうのも配慮した表現である)。ぼくは巨大なファイルや大量のファイ ルを二次記憶に貯め込みたい。もっともこれはこのOSの設計思想と理解 しているので、この点だけを取り上げて批評する気はない。

 別のあるOSを採用するマシンにはキーボードを備えたものもある。し かしこれらの殆どはもはやPDAという範疇から外れてしまっている。莫 迦でかくてポケットには絶対に入らない(ジャイアント馬場のスーツだっ たら入ったかも)し手に持って歩くのも厭だ。それらも初代がリリース された時はみんなLXより一回り大きい程度のサイズだった筈だが、なん でこんなに肥大化(これはもぉ肥大といってよかろう)しちゃったんだ ろう。各メーカーが揃いも揃ってという感じで軒並み巨大化しているの は奇妙だ(一部例外あり)。シアトルの影を感じるのはぼくだけだろう か。

 忽然と寄り道をする。

 シアトルの、あの見識のなさ、というよりは見通しのなさはどうだろ う。PDA市場を制圧しようと目論んで、「手持ちPC」という構想をぶち 上げ、それ用のOSを発表した。一般にハードに振り回されるのがソフト の宿命なのに、OSの方からハードウェアスペックを規定できるんだから、 気分はいいに違いない。しかし「手持ちPC」構想は結局ぱっとせず―― してませんよね――、「時代は掌」になってしまった。

 「時代が掌」になったと見るや、「手持ちPC」は捨てて、掌用のOSを 出す。といっても「手持ちPC」の衣装を着せ替えただけではあるまいか。 中身が着せ替えなら、Look & Feelなんか、泣けてくるほど猿真似 である。「いつもの手」といったら褒め過ぎになりそうなくらい、シア トルの手口は変わらないし、独創性がない。あそこが猿真似以外に何か やったのは、8ビットマイコン用のプログラミング言語とフライトシミュ レータくらいではないか。

 シアトルのことなんてどうでもいいが、こんな風に場を荒しておいて、 肝心の「手持ちPC」はぱっとせず、ぱっとしないとなったら「いや、ホ ントは掌なのね」という。荒らされた方はいい迷惑である。いや、よく ない迷惑である。見通しのひとかけらもないなら妙な〈構想〉をぶち上 げて市場を混乱させるのはやめて欲しい。メーカーが振り回されるのは ある種自業自得だとしても、利用者まで振り回されて右往左往したり途 方に暮れるのだ。シアトルのおかげで「キーボードを備えた(極)小型PC」 は置き去りにされてしまった。わずかにHPのJornadaが健闘している くらいで、この辺はやっぱりさすがHPだな、と思う(最近は掌バージョ ンも出したが)。しかしいかんせんOSがシアトルじゃねえ。それに、こ れでもでかいし重い。LXより一回りか二回りは太っているし、500グラ ムといったらLXの七割増しだ。

 そう、「手持ちPC」の煽りを食ったんじゃないかと睨んでいるが、 Librettoに代表される「ミニノートPC」が姿を消してしまった。A5サイ ズ以下、x86系CPUを搭載した、MS-Windowsの動く(PC-Unixが動く)小 さなコンピューターのことだ。大きさ的にちょうど「肥大化した手持ち PC」と被るので、メーカーが棲み分けをしてしまったんじゃないだろう か。まったく、ユーザーに不利益になるようなことばかりである。

 ここからが本題か? なんのなんの。

 けっきょく選んだ国産のペン型PDAは、もう10年くらいのキャリアを 持つ老舗の最新機種である。本体価格52290円(消費税5パーセント込み)。 おもちゃとしては高いが接続ケーブル4500円を買えばPHS経由でネット ワークにつながるのはうれしい。H''用の接続ケーブルが品切れと聞い て、かっとなってコンパクトフラッシュ型モデム17640円(消費税込み) も買ってしまいましたが。薄いのもうれしいし、200グラムなのもうれ しい。上着の内ポケットに収めても、服が軽い。

唐突ですが、アクション映画の主人公はよくピストルをショルダーホル スターに入れて肩から吊っている。確かジェイムズ・ボンド(知ってま すか? 007)愛用のワルサーPPKは4〜500グラムくらいあったと思 う。ジョン・マクレーンのベレッタM92Fは1000グラム近いのではないか。 LXをポケットに入れて歩く度に、「これより重いものを肩から下げて、 主人公は肩が凝らないかなぁ」と思ったものだ。

 メイラーの出来は、まぁそこそこ。Reply-Toが設定できないのには一 瞬弱ったが、メイル送受信の設定をいじることで解決。貧弱ながらMIME 複数パートの復号、いわゆる「添付ファイルの取り出し」も実装してい る(画像専門のようだが)。送るときにも「ヘッダーをMIMEに変換する か」「自分にCcないしBccを送るか」などの設定ができる。

 ウェブブラウザーもこのクラスとしてはよくやっている方だろう。PC とは段違いの狭い画面――320×240ドット。いま一般的なPCの画面が 1024×768ドットだとすると、9分の1くらいの狭さ――だけれど、ペー ジレイアウトも画像もそれなりのものが見られる。難点は、ウェブとメ イルとでネットワークへの接続/切断が独立していること。ネットにつ ないでメイルを落としている間にちょっとウェブを眺める、といったこ とができない。通信費が嵩みそうだ。

 携帯端末の多言語対応能力が気になっていたのだが、やっぱり日本語 とASCIIしか表示できない。それはメイラーも同じ。なにしろ読む方だ けでなく、書く方だって日本語と英字以外入力できない。狭い記憶域に 滅多に使わないフォントなど入れる余裕はないだろうし、利用者だって そんなものよりは自分のデータをふんだんに詰め込みたいに違いない。

 当たり前のことではあるが、予定表の仕様がLXのものとはかなり違っ ているので戸惑った。LXで便利だったテキストデータベースもない。で も、使ううちに、予定表にも徐徐に慣れてきたし、テキストデータベー スの代替手段も、まぁ見つかった。

 電話帳で、人名の「よみ」が日本語ひらがなを要求するのは何故なの だろう。もちろんデータをソートするためなんだろうが、日本人以外の ヒトはどうするのだろうか。また、日本人であっても、読みはローマ字 で書くという発想もあると思うのだが。このマシンのPIM群はあちこち で「よみ」を要求するが、どれも日本語ひらがなだ。

 LXで使えていたテキストエディターに匹敵するものは、(まだ)見つか らない。なぜかこの機種向けにはワードプロセッサも提供されていない。

 問題の入力はというと……

 この製品にはキーボードがついているので、最初はそちらを主に使う つもりでいた。しかし、キーボードでは入力できない文字(記号)があ る。さらに、使い込むにつれキーボードですべての操作をするようには デザインされていないことが判明し、そうなるとやはりペンを執るしか ない。ペンを持ちつつ要所でキーボードを操るなんて器用なことはした くなかった(友人は「辞書をがんがん鍛えて、キーボードのみでやりく りしようとしている」と言っていたが……)。

 国産品だけあって、日本語の手書き認識機構を備えている。ぼくの拙 い字でもなんとか解釈してくれるのは助かる。漢字も直接入力できる。 と思ったら、使ううちに、自分にとってグワイの悪いところがけっこう あるのに気づいた。

 この手書き認識はよくある日本語入力と違って「頻繁に採用された文 字を優先する」という発想をしないらしい。それでいて、直前の文字種 によって認識の優先度が変わったりする。それで統一されているならい いが、そうでないものもある。半角アル ファベットを入力している最中に小文字のoを書きたいのに句点(「。」) が出てきたり、ハイフンが長音(「ー」)になったりする。同じ風に書 いているつもりのものがhになったりnになったりするし、「れ」は「山」 になったり「水」になったり「小」になったりと変幻自在だし、大文字 のKと小文字のkはどう書いたらどうなるのか、いつもドキドキ運任せだ。 手書きだから常に完璧に同じ入力ができているわけではないことは差し 引かなければならないけれど、だからこそ、どうにかしてもらえないの か。

 これを使い続けるのは、つらい。アナログの手書きならなあなあで済 むところが、こいつだと、一文字ごとにコンピューターの誤変換と闘わ なければならない。ナカグロ(「・」)のつもりで書いているのに読点 (「、」)になったりするし、ゼロは大文字のOに化けたりするのを見 ていると、拷問を受けているような気分にさえなる。しまいには絶叫し てしまう。

 さらには、手書き認識で入力できない文字(というか記号)も存在す る。そういうのは記号表から選ぶようになっている。当たり前といえば 当たり前だが――記号類まで認識対象にしたら、変換効率(速度)が落ち るだろうし、プログラムの大きさや変換テーブルの大きさにも影響する だろう――、「入力を切り替え、それに合わせて操作を切り替える」と いうのは案外負荷のかかる仕事である。この辺が「いまの手書き認識」 の限界だろうか。

 というわけで、金もちゃんと払い正規ユーザーとなって使ってみた上 での感想を述べる。

 PIMとしては、長年鍛えてきた成果なのだろう、水準は高いと思う。 ソフトによって操作体系に違いがあるのは利用者としては大きな違和感 を覚えるが、これには目をつぶってもいい。メイルリーダーとしては申 し分ない。ボタン一発でメイルを落とせるのはうれしい。ウェブブラウ ザーも頑張っている。

 しかし、ペンは、文字入力デバイスとしては、使えない(自分にとっ ては)。ペンを携えて、こいつらを「personalなassistant」として使 いまくるのは、ぼくにとっては実際的ではないように思う。

 ぼくは日本語の長い文章を書く。エスペラントのテキストも書く。ふ と思いついたことをすっと書き留めもする。場合によってはプログラム も書く(このPDAでは、まさかやらないだろうが)。いずれも、ペンで はまだるっこしい。

 「ペンはそういう用途には向かないのは判りきったことだ」と言われ るかも知れない。たぶんそうだろう。「いまどきのPDAってのは、そん なことをするためのものじゃないんだよ」と言われるかも知れない。そ うなのかも知れない。しかし、用途限定のPDAがあってもおかしくない が、それなら用途非限定のPDAも選択肢として提供して欲しい。

 ペン入力のどこが「いけない」かを、似而非{えせ}科学的に (^^)論証してみよう。ぼくはこの問題について真に科学 的に検証するだけの準備も装備もない。できたとしてもするつもりはな い。入力デバイスの選択は好みとか慣れの問題で、科学的な実証の結果 のみには左右されないからである。が、単に「感触」「感覚」だけで 「だみだよ〜こりは〜」(谷岡ヤスジ調)と言うだけではいかにも説得 力がない。ので、それらしく見せかけるわけである。

 まず、手書きの絶対的な速度を見てみよう。

 手書き認識では、利用者が実際に字を書いて、それをプログラムで処 理し、文字コードに置き換える。ここで、まず「実際に字を書く」時間 がかかる。これは純粋に手を動かす速度であって、画数によって差が出 るが、平均的に一文字0.5秒くらいとしよう。ちなみに、漢字四文字 (ひらがな換算八文字)、総画数34画の字を書くのにぼくは4秒ほどか かったので(正確な計時はしていません)、0.5秒というのはかなり好 意的な数字だと思う。コンピューターは 入力装置(PDAでは液晶ディス プレイが兼ねている)に加えられた筆圧の移動を読み取り、それを点の 軌跡と捉えて表示する。これにも時間がかかる筈だが、体感的に殆ど時 間差は感じないので無視していいだろう。

 次に、入力された点の集合を文字認識にかけて、該当するコンピュー ター上の文字(文字コード)を推定する。これはれっきとした画像処理 であり、けっこう時間がかかる。ぼくのPDAでは一文字1秒近くかかるよ うだ(正確な計時はしていません)。

 一発で目的の文字と認識されたとして、これで[確定]という操作を する。人間の動作であるから認識→反応→動作に不可避的な時間がかか り、これが0.3秒。不幸なことに正解を出してくれなかったら、カーソ ルを[後退]させて別の候補を表示させ、目的の文字を[選択]し、 [確定]する。それぞれ0.3秒で計0.9秒。別候補に挙がってもいなかっ たら、[削除](0.3秒)し、改めて文字を書き(0.5秒)、認識させて(1.0 秒)、[確定]したり[後退]→[選択]→[確定]したりする。これ を下の表にまとめてみる。

一文字の手書き認識とそれにかかる時間
主な工程時間(秒)
幸運な場合文字入力、認識、[確定]1.8
ちょっと手間取る場合 文字入力、認識、[後退]、[選択]、[確定] 2.4
不幸な場合 文字入力、認識、[後退]、[削除]、文字入力、認識、[確定] 3.9

 漢字四文字の場合、上の数字を4倍するよりは小さいかも知れないし、 大きくなってしまうかもしれない。コンピューターが直前の文字を認識 している間は次の文字を書けるし、スムーズにいけばそれぞれの操作が 一回ずつで済む。しかし、誤認識が多いとそれぞれを何回もやる羽目に なる。別の文字を消したりするという誤操作も入ってくる。ちなみに、 上の漢字四文字をキーボードで打ち込んだ場合は、約3秒で変換を確定 できた。単純な入力速度で比較しても、歴然たる差があるわけである。

 ソフトキーボードならどうか。実際のキーボード――といってもデス クトップ用と比較するのは無茶だし、Librettoくらいの大きさでも慣れ れば左右のすべての指を使えるので、LXのキーボードと比較しよう(と はいっても、LXでもその気になれば両手のすべての指を使ってタッチタ イプができる)。

ところで、昔、左右の人差指だけで超高速タイピングを実現していたプ ログラマーがいたが(友人の報告による。ぼくは現場を目撃していない)、 それは例外というもので、フツウの人間は全部の指を使うのが一番速い。

 LXの場合、「両手で持って親指入力」が基本姿勢と言われる(うそ)。 これでQWERTYキーボードを叩くと、そんなに高速入力はできない。しか し2本でも指が使えれば、1本しか使えないときの2倍以上の速さでキー を叩くことができる。一方の指がキーを押している間に、もう一方の指 が次に押すキーの位置まで移動できるからだ。これに対し、ソフトキー ボードではペン一本を、ひとつキーに触れるごとに手全体であちこち動 かさなければならない(しかも、キーの位置を目で探しながらだ)。速 度の差は明らかであろう。

 ペン型PDAのソフトキーボードは、何を考えてかQWERTY配列(英字の 場合)か50音配列(かなの場合)になっている。QWERTYはもともと人間 が文字を素早くタイプしないための配列だという話だし、それ でなくともキーの位置を指で憶えているのと目で探すのとではえらい違 いである。50音配列だって、キーの数が多すぎて決して判りやすく探し やすいわけではない。目的の場所をいちいち目で探さなければならず、 探した位置にペンを移動させなければならない。そして押し間違える。 「キートップ」が小さいからだ。

 以上に分析したように、文字入力に関してペンはキーボードに比べた ら相当に劣ることが明らかである。さらに、その他の操作でもペンは不 自由だ。目的のボタンなり選択項目なりまで、ペンを実際に(物理的に) 移動させなければならない。すなわち、手を動かさなければならない。 この移動には(テレポーテーション式ペンなどが開発されれば別だが) どうしても時間がかかる。しかも一度動かしてそれっきりということは ないので、あっちに持っていった手を次の瞬間にはこっちに動かし、さ らにはそっちへを動かししなければならない。このことは実はマウスな どあらゆるポインティングデバイスに言えることなのだが、マウスの場 合は実際に手を動かす距離が少なくて済み、あまり不満を感じないだけ である。

 ボタンなり項目に触るためにペンを移動するということは、視線も移 動するということである。これが手書きと組み合わさると、文字入力時 には入力領域を注視し、終わると項目の方に視線を移動する、というこ との繰り返しになる。この眼球運動は目の筋肉の疲労をもたらす。

 液晶ディスプレイは表面に湾曲がなく、その意味では、ペンが触れる 画面上の点とコンピューターの表示領域上の点との間に偏差はないと思 える(CRTディスプレイ、いわゆるブラウン管でタッチパネルを実装す ると、ブラウン管の丸みを補正するのが大変だったそうだ)。が、その 代わりといってはなんだが、「視覚のずれ」がある。いつもディスプレ イを目の正面に据えて操作すればいいのだが、手に持って使う時は画面 に対して視線が斜めになる(言ってみれば画面を下から見上げる感じ) ことがあり、そうすると、自分が「ここだ」と思ってペンを触れた位置 が実際にあるべき位置からずれたりする。使い方の問題なのだが、そう いつもいつも「姿勢を正して」ばかりもいられない。

 そしてなにより、とても当たり前の話だけれど、ペンは手を塞ぐ。 PDAの場合だと片手で本体を持ち、片手でペンを持つので、両手が塞が る。キーボードでも塞がるといえば塞がるが、それはキーを叩いている 間だけだ。叩かない時は本体を片手に持ち換えれば、もう一方の手は完 全に空く(もちろん、そうできるのは本体が充分に小さく軽い場合に限 られるけれど、そもそも片手でつかむことが難しい大きさのものをPDA とは呼びたくない。Librettoはぎりぎり片手でつかんだり、片手に載せ て別の手で操作できるが、この大きさになったらPDAではない)。

 ペンを握っていたら、その手は空かない。邪魔にならないような太さ、 長さではあるものの、確実に存在感がある。なにしろ失くしたらタイヘ ンだし、落として先端に傷がついても使いものにならなくなる。だから 片手を空けたい場合はペンを本体のペン差しに収めることになる。必要 があればまた引き抜く。この動作がまた鬱陶しい。

 以上見てきたように、入力速度、操作の速度、目の疲労、手の占有度、 どれをとってもペンはよろしくないのである。

(くどいようだけれど、これは「左右の指を動かすのに支障がなく、キー ボードを打つことにも困難を感じない人」にとっての話である。ペンが 最良のデバイスである人はいるし、キーボードが使えない人や使いたく ない人にとっては、この議論はそもそも成立しない。この文章もそうい う人人に意地悪を言うためにあるわけではない)

 携帯電話やPHSが近い将来メモリを増やしプロセッサーの速度を上げ て本格的なPIM(どころか、本格的なコンピューター)に変化していく のはまず間違いないだろう。

 彼奴(きゃつ)の入力デバイスは「プッシュ式ダイアル」(? という 名前でいいのかな)だが、これがなかなか侮れない。あのテンキーで日 本語を入力するのを、最初は使えね〜と思っていた。が、慣れてくると、 あんがい快適に打ち込める。てゆうか〜、少なくとも手書き認識なんか よりはイライラがないし、ソフトキーボードを使うよりも直観的に見え る。てゆうか〜、ケータイで素早く文字を打ち込むのに習熟した人人を、 先日、とあるテレビ番組で「親指族」とかいって紹介していたけれど―― マスコミってやつぁどうしてすぐに「族」に仕立て上げたがるんだろう?――、 親指入力ならこちらも五年間LXで鍛えてきたから負けないぜ(笑)

 PDAでもこれを採用したらいいと思うのだが、どうだろうか。ソフト キーボードとして携帯電話のプッシュ式ダイアルを表示するのだ。キー ボードを備えるにしても、ヘンなQWERTY仕様よりは(どうせ10本指で叩 くことはないんだから)プッシュ式ダイアルの方がスマートなのではな いか。どこかがもう取り組んでいるかな。

 携帯電話のテンキーなら、キーの数はたかだか12個程度である。それ なら配列を憶えられるし、ペンの移動も少ないし(ということは視線の 移動も少ない)、キーを大きく描けるから押し間違いの危険も減る。一 文字ごとに目的のキーの位置を探して視線とペンを彷徨わせるのと、目 的の文字を出すまでキーを叩き続けるだけとでは、後者の方が楽だと思 う。

 もちろんこれだけで問題がすべて解消するわけではないが、選択肢の ひとつとして実装してくれてもいいだろう。少なくとも今回購入した PDAの手書き入力やキーボードよりは、ぼくはそっちの方を使うんじゃ ないかって気がします。

 PDAとはどうあるべきで、それにはどのような形態がふさわしくて、 どのような入力デバイスが望ましくて、……ということを、今回、改め て考えた。

 結論は出ている。HP 200LXは最高だった。だからこれから手にする PDAも、200LXの水準を満たし、かつ“以上”のものを求めてしまう。本 体の仕様でも、ハードウェアやOSの仕様でも、PIMまわりの機能でもそ うだ。これはもちろん「ぼくにとって」であって、ぼくの見方や考え方 が正しいとか普遍的だとかいうつもりはまったくない。逆に大いに偏っ ているだろう。しかし偏っているものに選択肢を与えないと言われると 困る。

 大きさも形態もHP 200LX程度であること。いや、LXよりもう少し薄い のがいい(笑)。打ちやすいキーボードを備えていて、すべてをキーボー ドから操作できること。ペン・インターフェイスがついていてもいいが、 ペンなしでは操作できないというのは最悪。

 乾電池で1〜2週間は動作すること。充電池方式は外出先で電池が切れ て近くにAC電源がない時に往生する。拡張スロット(ストレージ、モデ ム、LANカード)としてコンパクトフラッシュディスク(こういう規格 名でいいのかな)が使えればいい。

 “ちゃんとした”コンピューターであり、ちゃんとしたOSが動くこと。 その気になればOSのコマンドも使えるし、まともなテキストエディター もあること(なければ自分で創ればいいのだが、創れる環境があること)。 さらに素晴らしいことにできのいいPIMがついていて(爆)、個人情報管 理もできること。

 そういうマシンは今はないし、それに近いものすらない。

 Librettoが切り開いた「ミニノート」PCの流れがいつしか途絶えてし まい、ぼくは「メーカーは目を醒まして、『ミニノート』クラスのちゃ んとしたPCを作り続けて欲しい」と思った。今LXから離れてみて、『ミ ニノート』を『PDA』に置き換えるだけでまったく同じことを思う。

 PDAといえどもコンピューターであり(その証拠にマイクロソフトは 「ハンドヘルドPC」といい、「ポケットPC」と言ってい る)、コンピューターは家電製品ではない。メーカーがペンに走るのを 非難する気はないが、だからといってキーボードを滅ぼすこともあるま い。

 Palmは確かに成功したのだろう。が、それはPDAという狭い世界の中 でもさらに狭い用途ないし領域で成功しただけだとぼくは見ている。 「PDAクラスのコンピューターにはペンが最適」と実証されたわけでは ない。まして、ひとつの商品が成功したからといって競合他社がみんな それを追いかけるという現象は、しばしば見られることだけれど、見て いてなんだか妙な気分になる。OSを販売する会社が自社の商品戦略を転 換するのは一企業として当然あり得ることだ。が、ハードウェアのメー カーがそれにならうことはない。それも揃いも揃って全員という感じで OS会社の指す方向に歩き出す必要はない。

 自分がLXに惚れ込んだ理由はわりとハッキリしているが、世間(?) がこれだけ賞賛したのはどうしてだったのだろう。ユーザー主導で日本 語化が進められた結果、メーカーも日本語化キットをバンドルしたモデ ルを発売したし、価格も下がった。生産中止が発表された時は多くの人 が嘆き哀しみ誰が声をかけるともなく千鳥が淵に集って追悼集会を開い たという。というのはうそだが、抗議する声はあちこちで聞く。LXくら いの大きさで、LXくらいの電池性能で、LXくらいの機能で、LXのような キーボードを備えたコンピューターを求める人って、案外多いんじゃな いだろうか。その利用者の声は何者かにかき消されているように見える。

 HP 200LXが熱狂を呼んだ同時期に、「ウルトラマンPC」というのがひっ そりと市場に出て、ひっそりと消えた。ひっそりと言っては失礼で、当 時としては斬新な特徴も盛り込んだなかなか面白い仕様だったし、メー カーのアイデア溢れるマシンであり、“ちゃんとしたコンピューター” だった。別売の色変わりのカバーを買えば「自分だけのマシン」を仕立 てられるなど、遊び心のあるマシンでもあった(この手の趣向のハシリ だったんじゃないかな)。惚れ込んだ人はけっこう多いと聞く(ぼくも 買おうかどうしようか迷った口)。が、〈シロウトさん〉を巻き込んで の熱狂には至らなかったようで、そのせいかどうか後継機を生むことな く去っていった。こういうマシンが最近殆ど見られないのはさみしい。

 ここに興味深い〈プロジェクト〉がある。LX生産中止を惜しむ人が誰 ともなく千鳥が淵に集まり……もとい、「メーカーがやらないなら、自 分たちで創るぜ」と言い出し、デザインを手がけ、回路を組み、工場を 見つけ、部品を調達し、顧客を集め、生産&販売しようとしている人た ちがいる。そのマシンの名をMorphy Oneという。ハッカー魂溢 れる証拠に、そのハードウェア規格を公開し、個人であれ企業であれ参 照を許すという戦術をとった(ソフトウェアのオープンソースになぞら えて、オープンハードウェアという)。自分たちの手で自分たちが欲し いハードウェアを創ってしまおうという発想も異色なら、そのプロセス や手法も異彩を放っている。この国でこんな活動はこれまでなかったの ではないか。

 このプロジェクト、そしてこのマシンにはとても惹かれている。けっ こう真剣に購入を考えたりするし、プロジェクトを支援することにも思 いを馳せないこともない(といっても、大したことはできないけど)。 「本当の掌サイズのPCが欲しい」と思う方は一度 こちらをご覧になってはいかが

 ペン型PDAを使い始めて三週間が過ぎた。

 ペンで手書きではまだるっこしくて苛苛して長い文章を書く気になれ ないことが、実感として、しみじみ判った(笑)。といってこのPDAにつ いているキーボードではぼくの役には立たない。今のところ。それらの 弱点に目をつぶるとしても、よいテキストエディター(ワードプロセッ サーでもいいんです)がないというのは、予期していたことではあった けれど辛いものだ。

 どうせペンに触るなら触りまくってやろうと、友人が持っているPalm を譲ってもらうことにした。ソフトキーボードがそこそこ使えるならそ れを執筆マシンにすればいいかとも思っている。といっても「ついでに 体験しておこう」「使えるなら使おう」といった軽い気持であって、期 待はしていない。入力は我慢できると判断したとしても、Palmのメモ帳 も最大4KBまでしか書けないそうで、「使えるエディター」を探さなけ ればならない。

 だから「文章執筆」専用マシンとしてLXを使い続けるのがいいのかな とぼんやり考えているこの頃である。眠らせるに惜しいのは間違いない し。40MBフラッシュディスクもそろそろ素子がクタビレテきた頃だし、 新しいカードを買って、命ある限りつきあってもらうか。でもそうする と結局PIMもLXのものを使い続けることになって(だって使いやすいん だもん)、新しいPDAは電子メイルとウェブくらいでしか用がないって ことにも……



 本文中に現れる商品名、特撮ヒーローの名前等は一般に各社の商標です。


(おわり ―― 2001.04.16)


(付記)

 正確な日にちは忘れてしまったけれど、この5月に、東芝がN年ぶりに Librettoを発売した。その名も「Libretto L1」。

 ぼくの求めていたLibrettoではなかった。B5ファイルサイズ、バッテ リー込みで1.1キログラムでは、大きすぎるし、重すぎる。東芝は市場 調査を行なった結果ビジネスユースを重視するという結論を出し、その 結果が新Librettoらしいが、いくらその前のLibrettoでCCDカメラを搭 載して失敗したからといって、ここまで路線を変えなくてもいいのに。

 しかし、現物を見て、気が変わりました。一点、惹かれたのはキータッ チが自分好みということだけなのだけれど、なにか、いい感じがした。 あ、それから安いところも(^^)

 今も使い続けてるLibretto60の代わりに「毎日持ち歩く書斎」にする 気はないけれど、一台買っておくのは悪くないなと思うこの頃です。


(おわり ―― 2001.06.04)





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