歴史は教科書の中で起こってるんじゃない



*もくじ*

「教科書問題」
『[市販本]新しい歴史教科書』
教科書検定はまた別のはなし
『歴史教科書 何が問題か ―徹底検証Q&A―』
ぼくたちは自分の国の歴史を見つめられない
歴史はどこにある?
たねぼん




「教科書問題」

 2001年、「教科書問題」が日本で起こり、韓国、中国が反応した。こ の経緯についてはここでは追わない。

そういえば、1982年だかにも「教科書問題」があったのだった。 そのときは韓国や中国への「侵略」を「進出」と表記した(逆だったか な?)教科書があって、これでひと悶着あった。時が経つと忘れてしま うものだ。

 3月か4月ごろ、教科書検定のニュースでこの「教科書」のことを知っ た。当時、新聞報道を見て思ったのは、日本の歴史を捉え直したいとい う主張はいささか独善的で詭弁的で、「自分たちが気持よいように捉え 直したい」と言っているように聞こえる、ということだった。

 しかし、詳しいことはよく知らない。どんな箇所に修正を求められた かというのは知っている。だが、その教科書の何が「イケナイ」のかと いうことについて正確に認識しているとはとうてい言えない。これはい い状態ではない。問題をよく知らず、情緒や気分だけでものを言っても それは何の意見にもなっていないし、ましてそれで何かを断ずるのは好 ましいことじゃない。

 その「教科書」が市販されたというので、読んでみることにした。こ れは本屋の歴史コーナーなどに置いてある。教科書問題、日本の歴史、 日本の(歴史)教育などに関心がある人は、読まれた方がいいのではない かと思う。

『[市販本]新しい歴史教科書』、西尾幹二ほか13名、扶桑社、 ISBN4-594-03155-2

 もちろん、これだけを読むのでは片手落ちだ。一方の考えや 考え方を知り、対立する側の考えや考え方を知る。これでこそバランス がとれるし、冷静な判断を下せるというものだ。

 ぼくが選んだのはこんな本。編者小森陽一の著書を以前読んだことが あり、バランス感覚のある、誠実な書き手だと思っていることと、執筆 陣がよさげだったので。もちろんこちらだけを読むのではいけない ので、ぜひ両方を読んでみるようお勧めします。

『歴史教科書 何が問題か ―徹底検証Q&A―』、小森陽一/坂本義和ほか、 岩波書店、ISBN4-00-002525-2

 この本に影響されて「もともとの自分の見方」がぶれてしまうのを避 けるため、この本は、ぼくの文章をひととおり書いてから読むことにす る。また、できることならこちらの本も批判したい。

 ぼくは歴史の専門家ではないし、日本の歴史に詳しいとも言えない。 ぼくたち自身にもきっと問題はある。 これから記すのは、そういう人間が、この「問題」について殆ど予備知 識もない状態で『[市販本]新しい教科書』(以下、『扶桑社版』と記す) を読み、感じたこと考えたことである。

 なお、引用に当たっては適宜省略を施している。引用文中で「(略)」 「……」とある箇所は、引用者による省略の印である。引用のために文 意が不鮮明になる恐れがある場合は、(このように丸括弧に入れる形で 引用者が)語句を補っている。

『[市販本]新しい歴史教科書』

 とかくの風評がある本だから、読む側も身構えますね。でも、のっけ からものすごいことが書かれてあるかと思ったらそうでもない。

 序章冒頭の「歴史を学ぶとは」に、こんなことが書いてある。これが この『扶桑社版』執筆者陣の共通見解と考えられる。

  1. 歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を 裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの 時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。
  2. 事実をいくら正確に知って並べても、それは年代記といって、いま だ歴史ではない。いったいかくかくの事件はなぜおこったか、誰が 死亡したためにどういう影響が生じたかを考えるようになって、初 めて歴史の心が動き出すのだといっていい。
  3. 歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史 に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよ う。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ね て、じっくり事実を確かめるようにしよう。

 一番目の「現在の基準、価値観で過去を見るな」は、いちおう、まと もなことを言っている。なぜ古代ギリシアやローマなどに奴隷制があっ たのか、今から見ると不思議だし「非人道的」だが、人間観が当時と現 在とではまったく違うから、古代人を非難しても意味がない。

と書いた後、考えたのだが、15世紀から19世紀にかけての南北アメリカ 大陸における先住民族「虐殺」はどう解釈すればいいのか判らない。 昔の時代の制度や昔の人人の所業について「今の価値観から見て許し難 い」などと言うことはしばしばあるし、今の基準から過去に遡って断罪 することも、ときには必要なのではないかという気もする。

 二番目もまともと言える。ある事件がなぜ起こったのか、そ の人、あるいは人人はなぜそんな風に生きていたのか、その国、 あるいは国国はなぜそのように振舞ったのか――「なぜ」とい うことを知りたいし、それを問わなければ、歴史とは言えないだろう。

 「なぜ」と問うことは、必然的に問う側の歴史を見る視点、足場を設 定することである。それがなければ、なぜAであって、BでもCでもなかっ たのかという疑問が出て来ない。そして足場があってこそ、その理由や 原因がXでもYでもなくZだったことを検証できる。人を殺した理由とし て「頭がかゆかったから」と答えられて「そうかそうか。んじゃしょう がないねー」と納得していては裁判にならない(きっと)のと同じように、 歴史の回答も吟味するには吟味するための足場が必要だろう。この足場 が「史観」と呼ばれるものだろう。

 であれば、三番目で言っている「自由」「とらわれのない」は、無条 件な、絶対的な「自由」ではなく、「何かから自由である」と いう足場、特定のものの見方を設定しているのだろう。

 ところで、「事実をいくら並べても、歴史ではない」「『なぜ』を考 えるようになって、初めて歴史の心が動き出す」とのことだが、一方で 「数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう」とい うのは、歴史教科書には少少酷いのではないだろうか。この本で実際に 読者に対して「数多くの見方」を提供できているのだろうか。特定のも のの見方を強要していることはないだろうか?

 ともあれこの本は上のような観点から日本の歴史を中学生向けに書い たものらしい。であれば、そういう観点で読むべきだろう。

 読んだ。

 一読して目をそむけたくなるというか、凄惨で見ていられないという か、そういう光景が繰り広げられているのかと思っていた(偏見?)が、 そんなことはなかった。がっかりするやら、ほっとするやらである。

 以下、次の点に着目して、気づいたことをあげていく。

  1. 「なぜ」を問うているか?
  2. 数多くの見方を重ねているか?
  3. ヘンなことを言っていないか?

 三番目の項目は、執筆者陣の観点が統一されていないのか、歴史その ものの矛盾によるのか定かではないが、あちこちにおかしいと思えると ころがあるので入れた。

*古代

 古代の部分では、神話からの引用・紹介が多い。日本という国が形成 される時期のことなんて神話の形でしか残っていないのだから、神話を 引くのはよいとしよう。 しかし、神話が事実の客観的な記録でないことは、これはいくら何で も誰もが認める事実と言っていいだろう。また、『古事記』にしろ『日 本書紀』にしろ、時の権力者が編簒した、すなわち「〈体制〉から見た 物語」であって、そういうものは体制に都合よく事実を編集するのが当 たり前で、体制に不都合なことなど書くわけがない。これに対する〈反・ 体制〉の側からの記録、あるいは一民間人の書き残した同時代記などが あれば別だが、そういうものがないなら、史料としての意義は低いと言 えるのではないか。65ページに「古事記は……文学的な価値も高い」と あるけれど、「文学的な価値高い」の誤りであろう。

 「自由な、とらわれのない目で」「数多くの見方を重ねる」と主張す る本書ならば、「こういう話も伝えられているが、朝廷が自らの権威を 正当化するために作ったまったくの作り話とする説もある」とか「神話 ではこうなっているが、学者の中には別の説を唱える人も入る」とか、 違うものの見方も紹介してこそバランスがとれるというもので はないだろうか。

*中世

 武家政権について述べている箇所で、「武家は政権をにぎるさい、 (略)どちらにしても天皇の権威を頼りにしている。それが武家の権力 の限界だった」(108ページ)と記し、初代武家政権最高権力者・源頼朝 の天皇家に対する姿勢が朝廷と幕府の関係を規定したとしている。

 ぼくも、「なぜ、武家政権は自らの正当性を天皇家に求めたのか?  なぜよその国のように、旧権力を完全に打倒して自らが権力の頂点に立 たなかったのか? なぜこのような〈二重構造〉を採用し続けたのか?」 ということは、日本史に興味を持って以来ずっと気になっていた。

 その答が「それが限界だった」では、しかし、答になっていないでは ないか。歴史の心が動き出していないぞ。源頼朝の態度がその後600年 以上の武家政権の路線を決定したというのも、それで納得するよりはさ らに「なぜ?」を誘発する。

*近世

 「豊臣秀吉は社会に平和をもたらすために刀狩を行った」(132ページ) とあるが、これには異なった見方もある筈である。「百姓や坊主に武器 を持たせておいては何をしでかすか判らず、権力の基盤が安定しないか ら」というのがそれで、権力者の発想としてはこちらの方がずっとあり そうな話だ。けっきょくのところ己れの地位が安定することが「社会の 〈平和〉」につながるのだから。というものの見方も重ねた方が、「自 由にとらわれなく」歴史を見る目を養うのではないだろうか。

 129〜130ページでは「幕府には国を閉ざす意図はなかった。(略)海 外との交流を維持しようとした。そのための制度を、のちの時代の人が 鎖国と呼んだのである」としている。通商の制限はキリスト教を抑える ことと、幕府が海外との窓口になることが眼目だったと言う。が、それ にしては、154ページには「ロシアは……使節を日本に派遣し、通商を 求めた。幕府がこれを拒絶すると……」と書かれている。国を閉ざす意 図がなく、むしろ海外との交流を維持しようとしていたのなら、このと きなぜロシアとの通商を断ったのか。なぜ異国の船と見 ればおかまいなく打ち払うようなお触れを出したのか。ここも筋の通っ た説明が欲しいところだ。

 157ページでは、松平定信の「寛政の改革」に触れ、「もっとも重要 なのは、やはり倹約の徹底であった。社会全般の華美な気分を引きしめ るため、文化や風俗の取りしまりがなされた」と記す一方、「(定信の 後、将軍家斉が実権を握った)この時期は、ぜいたくにより、ゆるんだ 気分がただよい、大御所時代とよばれた」と書いている。

 「華美な気分を引きしめる」ことが重要だ、というのもよく判らない が、「贅沢により、緩んだ気分が漂う」というのも判らない。贅沢をす るとそれが原因で気分が緩むのだろうか。それがために「大御所時代と 呼ばれた」というのはもっと判らない。気分が緩んでいるのは「大御所」っ ぽい、ということだろうか(どういうことだ、それは?)。判るのは、 執筆者が「贅沢は敵だ」という見方の持ち主らしいことくらい で、別にそう思うのはかまわないけれど、この記述は一方的な押しつけ で、「歴史を自由な、とらわれのない目で」眺めることを妨げているよ うに思える。

 158ページ「大塩平八郎は、豪商が幕府の命令で米を買い占めて江戸 に送っていたことに怒り、1837年、門弟や民衆をつれて豪商を襲撃した」 は、豪商に怒ったように読めるが、これは誤解ではないか。大塩平八郎 の乱は、腐敗・堕落した政権への怒りによるものと見るのが今では一般 的のように思う。

*近現代

 192ページ、「この藩籍奉還(筆者注・藩が自らの領土を返還する)に よって、全国の土地と人民は天皇(公{おおやけ})のものとなった」。 天皇イコール公、なのだろうか。当時はそういう観念だったというなら かまわないが、もしそうなら、けっきょく当時の世界観は天皇中心だっ たということではないだろうか。

 193ページでは「四民平等をかかげ、人々を平等な権利と義務を持っ た『国民』に再編成した。まず、従来の身分制度を廃止し、藩主と上層 公家を華族、藩士と旧幕臣を士族、百姓や町人を平民とした」と書いて いる。しかし、封建的な身分制はなくなったかもしれないが、華族や平 民というのはリッパな「身分」だったのではないだろうか。

 195ページ「より高い教育を受けた者がより出世することを保証した 『能力主義』の考え方である」とあるが、この説明から想像できること ばは、能力主義よりもむしろ「学歴主義」なのではないか。

 明治維新を解説している箇所(208ページ)に「もし西洋式革命であっ たのなら、市民が貴族を打倒する(略)ということがおこったであろう。…… しかし町人に暴力革命を考える者はいなかった。下級武士たちは藩の意 思統一をはかりながら、粛々とことを運んだ」とある。それは事実かも 知れない。しかしこれでは執筆者のいう「事実を並べている」だけでは ないか(事実ですらないかもしれない)。「日本の独立と名誉を守るのが、 当時の日本人に課せられた命題であった」と理由めかして書き添えてあ るけれど、当時の町人がそんなことを考えて「暴力革命」を「控えた」 とは考えられない。それ以前に、ヨーロッパと日本では背負っている歴 史が違うのだから、「西洋式革命」が日本で起こり得たのかどうか自体 が問題となる筈だろう。町人や下級武士に「西洋式革命」に訴える者が いなかったのはなぜなのかを踏み込んで書くべきではないのだ ろうか。

 近代産業の発展と社会問題を述べている部分では、「日清戦争後には、 労働組合運動が開始され……政府はこれら社会主義の運動をきびしく取 りしまり……」(229ページ)。さて、政府はなぜ取りしまったの でしょうか。それが書かれていない。

 「晶子(引用者注・与謝野晶子)の人生観や思想そのものは、家や家 族を重んじる着実なものであった」(235ページ)。〈家〉を重んじるの は「着実」なのか。だとすればそれはなぜか。それが着実と思 われたことがあったのは事実かもしれないが、しかしそれは特定の時代 の特定の価値観ではないのか。〈家〉に束縛されることなく自分の生を 謳歌しようというのが近代婦人運動に通底する理念のひとつでもある筈 だが、そういう考え方への言及があってもよいだろう(言及がないのは なぜなんだろう?? 意図があってのことなのかナ?)。

 251ページではその婦人運動が紹介される。「女性の地位を高める婦 人運動も開始され……婦人参政権が主張されるようになった」。この 『扶桑社版』、これまでのところは「明治以降日本は平等な社会を目指 した」という論調をとっている。ここに来て初めて、実は女性は差別さ れていた(男性に比して地位が低かった)ことが明らかにされる。ではそ れはなぜだったんだろうか。それが書かれていない。そして 『扶桑社版』がこのような論調をとるのはなぜなんだろうか。

 256ページ、関東大震災。「この混乱の中で、朝鮮人や社会主義者の 間に不穏なくわだてがあるとの噂が広まり、住民の自警団などが社会主 義者や朝鮮人・中国人を殺害するという事件が起きた」。これは、意図 的にこう書いているのでなければ、歴史的事実を記す立場にしてはそう とうに不注意な文章だろう。これでは読む人(中学生なのだ)に「朝鮮 人とか社会主義者とかいう人人は何か恐ろしい〈不穏なくわだて〉をし て殺されたのかも知れない」という先入観を与える恐れがある。「不穏 なくわだて」が何かということと、この「噂」がデマだったことを明記 するべきではないだろうか。さらになぜそのようなデマが飛ん だのかも書くべきだと思う。

 太平洋戦争関連。

 266ページ、「関東軍が……満州への支配を強めようとすると、中国 人による排日運動もはげしくなり……関東軍の一部将校は、全満州を軍 事占領して問題を解決する計画を練り始めた」。そして陸軍(の一部)が 突出する形で満州事変が起こり、全満州を占領したが、「これは国家の 秩序を破壊する行動だった」(267ページ)。

 国家の秩序が破壊された日本は、「中国の国民党軍との間で戦闘状態 になった……以後8年間にわたって日中戦争が継続した」(270ページ)。 長期化する戦況の中「日本も戦争目的を見失い……民政党の斎藤隆夫代 議士は帝国議会で『この戦争の目的は何か』と質問したが、政府は十分 に答えることができなかった」(271ページ)。

 272ページ、「近衛文麿首相は東亜新秩序の建設を声明し、……これ はのちに東南アジアを含めた大東亜共栄圏というスローガンに発展した」 とあるが、その実態は、上に並べられた事実から見て、軍部が突出して 起こした軍事行動の結果獲得した領土を守るために続けた戦争の中、国 家としての秩序が破壊された国家が掲げたスローガンだったと思われる (「国家としての秩序が破壊された」のち、「秩序が回復された」こと を示す記述がない。ということは、秩序が破壊されて以降はずっと破壊 されっぱなしのまま、この国は動いていたということではないか?)。 また、言うまでもなく戦争は国家の名においてなされる事業だ。陸軍 (の一部)が突出したのが事実であろうと、責任を負うべきは国家であろ う。その国家が何もできず、当時の政府がろくに戦争の目的を答えられ なかったような戦争を、後世の人間が美化したり正当化したりする必要 はないのではないだろうか。というよりできないのではないだろうか。

 『扶桑社版』を読む限り、「大東亜共栄圏」はいわば苦し紛れの自己 正当化のように見える。4ページも後になった277ページで「日本の戦争 目的は……『大東亜共栄圏』を建設することであると宣言した」とある けれど、後づけのこじつけもいいところではないだろうか。「大東亜共 栄圏の考え方も、日本の戦争やアジアの占領を正当化するために掲げら れたと批判された」(281ページ)とあるが、『扶桑社版』自身が〈事実 の列挙〉で証言しているとおり苦し紛れの正当化ならば、批判する側の 方に理があるというものだ。「批判された」と不服めかして書くほどの ことはないだろう。

 280ページ、「1943年11月、この地域の代表者を東京に集めて大東亜 会議を開催した。会議では各国の自主独立、各国の提携による経済発展、 人種差別撤廃をうたう大東亜宣言が発せられ、日本の戦争理念が明らか にされた」。

 思うにこれは当時の政府ないし政府関係者の公式発表を鵜呑みにした 記述ではないだろうか。この執筆者はずいぶんナイーブな人なのだと思 う。為政者側の公式発表など、ホンネを隠してきれいごとしか言わない のは当たり前で、その裏にある真意を解き明かすのでなければ「歴史の 心」なんて動き出さない。それでなくとも、対立する立場はどう考えて いたのか、中立の立場ではどうだったかなど、多様な見方を重ねなけれ ば、「本当のところはどうだったのか」なんて判らない。

 実際には、「しかし、大東亜共栄圏のもとでは、日本語教育や神社参 拝が強要された」(281ページ)のではないか。各国の自主独立を謳って おいて、日本の言語や宗教を押しつけるとはどういうことか。そしてそ のような政策をうったのはなぜなのか。 また、「連合軍と結んだ抗日ゲリラ活動がさかんになる地域も出て来た」 (同)のではないか。ということは大東亜会議に参加した各地域の代表は 民意をまとめるのに失敗したか、名ばかりの代表に過ぎなかったのか、 大東亜宣言は単なる題目であって実態はこれとは大きく異なっていたか のいずれかではないのか。前二者のいずれかなら、これは大東亜会議が 失敗または無意味だったということであり、最後の理由なら、その実態 を明らかにすべきではないか。執筆者にはもっと数多くの見方を重ねて せめてナイーブな歴史感覚からは脱却して欲しい。

 283ページに「第一次世界大戦以降、戦争は……総力戦の時代となっ ていた。日本も日中戦争勃発とともに総力戦に備え……」とある。しか し、それに先立って249ページではいみじくも「その一方で、大戦景気 に酔う日本は、これからの戦争が、総力戦になっていくという世界情勢 の動向に注意を向けなかった」と記されている! これからの戦争は総 力戦になるということにろくに注意を向けずにいたまま戦争を始め、始 まってから総力戦の準備を始めたのだ。あの戦争を解く手がかりのひと つやふたつはこの点にあるだろう。当時の日本の国力で、総力戦を闘い 切ることはできたのか? そういう冷静な予測の上で戦端を開いたのだ ろうか。世界の動向に注意を向けずにいた国に、冷静な情勢分析ができ たのだろうか。

*おかしい語法、言い回し

 この「教科書」問題にあっては枝葉だろうが、文章で何箇所か気にな る部分があった。

 245ページ、第一次世界大戦でのエピソードとして、「日本駆逐艦は 連合国船舶の前に全速で全速で突入して盾となり、撃沈されて責務を果 たした」とあるが、これ(身を挺して連合国軍を守る)は「責務」 だったのか? 敵の攻撃を一身に浴び、味方を守る盾となって撃沈 されるとは、なんとも凄絶なる任務ではないか。まるで太平洋戦争時の 特攻隊を思い出させる。よくまぁ当時の大日本帝国はこんな無茶な任務 を引き受けたものだ。担当者に因果を含めるのは上官としても断腸の思 いだっただろう……。戦争では人死にが出るのは避けられないけれど、 最初から死ぬのが任務であるなどあり得ないしあってはならないのは、 別に戦争を学ぶ軍人でなくとも誰にでも判る常識の筈である。

 またそれに続けて「犠牲になった日本海軍将兵の霊は、今もマルタ島 の墓地に眠っている」というのは、撃沈されるのが責務だったのだとし たら「犠牲」というのはおかしいじゃないか、ということにもまして、 教科書にふさわしくもない情緒的な表現ではないだろうか。この教科書 の他のどこを見ても「霊」などということばは出て来ない。情緒的な表 現がいけないとは言わない。だが、ここで情緒的な表現を使うなら、他 の箇所でも「元寇でやってきたモンゴル人の霊は玄海灘に眠っている」 とか書くべきではないだろうか。情緒的な表現をある箇所では採用し、 ある箇所では用いないのはなぜなんだろうか。

 257〜8ページ。「太平洋への進出を始めたアメリカにとって、対岸に あって、強力な海軍を備える日本は、その前に立ちはだかる存在でもあっ た」と言いつつ、「16隻の戦艦で構成されたアメリカの大西洋艦隊が…… 太平洋を西へ向かって進んできた。日本には7隻の戦艦しかない」と言っ ている。この記述が語っているのは日露戦争後の時期で、日本海軍の勇 名が轟いていただろう時期だし、戦力は保有する兵器の量とは関係がな いという見方もできなくはないから、あながち間違いとは言えないけれ ど、アメリカの16隻に対して7隻しかない海軍が「強力」であり、「立 ちはだかる」というのはちょっとおかしい気がする。

 260ページの共産主義の説明、「豊かな階級と貧しい階級との対立が 発生する矛盾を解決するために」というのは、文章としてヘンである。 「対立が発生すること」が「矛盾」だと言っているのだろうか。だとし たら何と矛盾するのだろうか。矛盾というのは「二つのものが、論理的 に整合しないこと」(三省堂新明解国語辞典第五版)なのだが。それにそ もそも資本主義の枠組の中で持てる階級と持たざる階級が生じるのは矛 盾ではなく論理的帰結であろう。

*従軍慰安婦問題

 まっっっったく書かれていないので、知らない人は何も知らないまま 通り過ぎるだろうし、知っている人でもうっかり見過ごしてしまうと思 う。ぼくは見過ごしてしまった。(注意が他のことに向いていたせいも あるが)

 こういう歴史の汚点は、後になって振り返ると当時の証拠などが消え て(消されて)いて後になると実態がよく判らない、ということがよくあ る。だから「あった」と主張するのが大変で、「なかった」という方が たやすい。ここではどちらの立場にも立たないようにして論じてみる。

 「慰安婦」とはよくぞ名づけたという感じの名前で、いつごろからこ の名称があったのだろう。敗戦前からあったのだろうか。あるいは戦後 にこういう呼び名に替えられたのだろうか。この名称は、呼び替えるこ とで実態をぼかし隠そうとしている点で「差別語の言い換え」と同じ要 領だと思える。ぼくは「差別語の言い換え」というのにはあまり好意を 持てないのだけれど、この場合は言い換えられて正解だと感じる。教科 書としては、戦争という行為が単に「かっこいい」と思われないために も、戦争といえども生身の人間の所業であることを知らせるためにも、 慰安婦のことは書いておいてよいと思う。

 「慰安婦」という立場ないし役割は、大日本帝国陸海軍の周縁として すでに認知され組織されていたのだろうか。それとも太平洋戦争とそれ に先立つ朝鮮・中国への侵略の際に、駐留や戦線の長期化に伴って導入 されたものだろうか。 この場合の「慰安」とは、何も日日の苦しい闘いを紛らすために愚痴を 聞いてあげるとか「童心に帰っていっしょにお遊戯しましょ♪」と言っ てくれるとかいうものじゃない(タダシ幼児ぷれいハコレヲ認メルモノ トス(たぶんうそ))。男性兵士の性欲を処理するわけで、それも直感的 に言って不特定多数の男性を相手にするわけで、本人の自由意志による 選択の結果でなければ到底受け入れ難い立場である。

 そういう立場に、自分の意志でなくして置かれた女性がいるという。 これはもう、そんなことが言われるというだけで一国の正規軍としては 責任重大と言える。軍内部で犯罪行為(横領、収賄、窃盗、殺人など)が あっては軍の規律が乱れる以上に国民からの信頼を失うのと同様に、性 の規律もきちんと正さなければならない筈だ(アメリカ合衆国海軍、い い気になるなよ)。妙な噂が立たないように、後で何も言われないよう に、「慰安婦」も法的にも道義的にも厳格に組織されなければならない 筈だ。敗戦後にこのような非難をされるような行状だったというだけで、 日本軍の責任は相当重いと言っていい。そんな事実はなかったと主張す るならすればよいが、「あったという証拠がない」などの消極的な論法 ではなくて、「大日本帝国軍の性処理設備は完全に組織化されており、 強制連行などは起こり得なかった」と言い切るくらいの証拠は揃えるべ きだろう。

 性というものが人間の自我にとってどんなに重要な要素なのかようく 考えた上で、正面きって謝罪するくらいの度量は見せて欲しい。それが できないのだとしたら、軍は国家権力の体現である以上、大日本帝国は 性犯罪者国家だったと言っているに等しい。自国の歴史に誇りを持ちた いなら、これは受け入れられないことだろう。誇りを持つためにも謝罪 するべきである。

 しかし、この件についても、「連合国軍も日本人女性を慰安婦として 徴発したが、謝罪も賠償していない」という話もあり、日本だけが謝罪 するべきなのかなど、ムツカシイ問題を孕んでいるようだ。戦争という ものを考えるのは本当に難しい。

*もうこの辺でいいでしょう

 あれっと思うことは他にもあるけれど、このくらいにしておく。

 ほかの教科書を読んでいないから、『扶桑社版』がどれほどの出来栄 えなのか判らないけれど、こんな調子で中学生に歴史を教えられるのか なと感じる。

 教科書をこんな風にじっくり読むなんて、もしかしたら初めてかも知 れない。自分が中学時代に使っていた(使わされていた)教科書も、実は これと五十歩百歩のものだったかも知れない。オトナの目で冷静に読め ば、いろいろおかしなところがあったのかも知れない。その意味では、 いい経験をさせてもらったと思う。

教科書検定はまた別のはなし

 この『扶桑社版』について、韓国、中国が記述を改めるよう日本政府 に強硬に申し入れている。韓国は先頃(7月12日)この問題が解決される まで日本文化の流入を中断するという措置にまで出た。(1999年からか な、韓国はそれまで禁じていた日本文化(日本語が使用されている音楽、 映画など)を解禁した)

 『扶桑社版』の問題をこれと絡めて考える向きもあるようだが、残念 だけれども、教科書検定は切り離して考えなければならないと思う。

 どんなに多くの人がどんなに「悪い」と思う内容の本であれ、検定を 通過した教科書は、日本の学校教育で使用される資格があることになっ ている(正直に言って、教科書検定という制度にはぼくはいささか疑念 と不信を抱いている。が、教科書検定の実態に詳しくない)。日本国政 府の名において行なっていることなので、ひとたび通過した以上、日本 国政府が必要と認めない限り、また正規の手続きを経ることなく内容を 変えてはならない筈だ。まして外国から苦情や要請があったなどという だけの理由で修正してはいけない。政府が認めた文書をそんな理由で直 したのでは、それこそ諸外国に(また)笑い者にされ、舐められる。(も ちろん、「なんでこれを検定に合格させたのだ」という疑問はあり、そ れはそれで追及されなければならない)

 ひじょーに遺憾だが、それが法を重んじる態度というものだと思う。 一般人が「ねえ、隣の国がこう言ってるんだから、直してやんなよ。直 さないの。なんで直さないの。こんなに言ってるのに。ばか。判らずや。 お隣さんと口聞けなくなってもいいって言うの。きいい」といった感じ で政府に言う筋合いじゃない。

 もっとも、ぼくは非常事態においてなら法を破ることも止むなしとい う考え方も知っているし、その考え方の重要性も理解できているつもり でいる。だから日本政府が緊急対応をするなら、歓迎しないでもない。 政府には、問題の『扶桑社版』の検定合格の経緯および趣旨と、この国 の内政と外交の諸方針と、国際情勢の冷静な分析とを踏まえた上で慎重 に対処していただきたい。

 それにつけても、文部科学省は何を思って検定を通したんだろうな。

『歴史教科書 何が問題か ―徹底検証Q&A―』

 最後に読むことにして、よかった。先に読んでいたら、ぼくはこの随 筆を書けなかっただろう。

 ぼくが『扶桑社版』を読んであれっと思ったことが、この本には微に 入り細をうがつ調子で取り上げられている。どこがどのように問題なの かを詳しく書いてくれている。それにとどまらず、現在の教科書検定制 度も取り上げられている。『扶桑社版』に限らず、教科書問題全般を知 りたい方は、こちらをお読みください。

 今回の『扶桑社版』で問題が突如生まれたわけではなく、ずっと前か らあったものが今噴き出してきているらしいことが判る。もはや批判の 時期を超えて「闘争」モードに入っているようだ。背後にこんな大きな 問題の群が横たわっているとは知らなかった。

 残念ながら、というか、さいわい、と言うべきか、気になる部分もい くつかある。

 全体を貫く理想主義的な論調はいいと思うし、ぜひその理想たちの実 現に向かって邁進して欲しいとも思うのだが、その理想の実現にどれだ けの「工数」がかかるのだろうか。いちど見積もってみられたらいかが だろう(まさか、語るだけで充分で、実現のことなど考えていないとい うわけではないでしょう)。

 この国の現在は「戦前」を全否定して得られたのかもしれないが、過 去を全否定すればいいというものではないのではないか。 ぼくたちが「戦前」も「戦後」も同じ〈日本人〉という枠組みの中で生 きているならば、ぼくたちの中の〈日本人〉は、全否定したってずっと 続いているのではないか。……ヒステリックな全否定よりは、冷静な現 実直視と過去の分析の方がぼくには好ましい。

 まぁ、「戦前」を糾弾するのはいいとしよう。でも現在のこの国、政 体や制度や思想や自由が「フィクション」でないと、誰に言えるだろう。 今のわれわれも巧妙に思想統制されていて、誰かに都合のいいように考 えたり喋ったりしているのでないと誰に言えるだろう。戦前の日本人だっ て多くはその時の政体や制度、自分の考えに疑念を抱かずに暮らしてい たに相違なく、それはこの本でも何人かの筆者が「騙されていた」と語っ ていることからも窺える。今の世界、今の政体、今の自分の考えに疑念 を抱いたことはないのだろうか。また、日本の過去を糾弾するなら欧米 の過去も糾弾されて然るべきだと思うが、この本にはそういう視点はな いようだ(そんな趣旨の本ではないと言えばそれまでだが)。

 「世界市民」ということばを使う筆者がいる。確かに時代はそちらに 向かって流れているように思う。これからの中学生に「世界市民(コス モポリタンでふね)」という観点を教えるのは必要なことだろう。この 国だって現実に世界のさまざまな国との関わりの中で成り立っているの だし、もはやひとつの国だけに縛られる時代じゃない。ネットワークで は国境など気にしようにも存在しないのに、社会科の授業でだけ「国」 「わが国」に拘るのは時代錯誤的とも言える。

 そこで問題になるのは教える側の視点だろう。世界をひとつと見なす 視座と、ひとつの国の中で暮らす視点とをバランスよく教えることが重 要だろうと思うが、教える立場の人間がバランスのとれた世界像を持っ ているかどうか。世界はひとつという視点を持つことと世界がひとつの 国になるということとは違うし、無国家主義ということとも違う(筈)。 よその国とうまくつきあっていくことは、よその国に迎合し続けること ではない。教える立場の者が、世界の多様性、人間の多様性ということ を教えられる程度に、多様な価値観を認められるか。世界のあちこちで はナショナリズムの勃興ないし復興もまだ見られるが、それをどう教え るのか。それから、「英語は国際語だ。みんな英語を学べ」などとかわ ゆいことを言ってもらっちゃ困る。「世界市民」を指向するなら、いち どはエスペラントを学んでみることをお勧めします(笑)

ぼくたちは自分の国の歴史を見つめられない

 『[市販本]新しい歴史教科書』を読んで思ったのは、ぼくたちはまだ 自分たちの国の歴史、特に近現代史を正面からまともに見据えることが できない(できていない)のではないか、ということだった。

 自分の中学生時代に近現代史でどんなことを教わったのか、大して記 憶がない。通りいっぺんのことを通りいっぺんに教えられてあっさりと 終わった気がする。高校では三年次で日本史を履修したが、受験の二文 字が大きくなるにつれてご無沙汰してしまった。最後まで出席していた 記憶もあるけれど、教える方も教わる方も最後は上の空だった(笑) (「進学校」だったのでそういうこともできた。だいたい三年次で大学 受験に関係ない科目を履修するのは奇人扱いだったのだ)。いずれにし ても、歴史はいつも古代から教えるので、近現代史は常に年度末のアタ フタの中でそそくさと片づけられる。「最初に現代史を教えて、その後 古代からやり直せばいい」という意見があるが、ぼくもその方がいいと 思う。

 大日本帝国陸海軍が朝鮮や中国、東南アジアで何をしたのか、何を考 えて戦争したのか、あるいは明治以降の日本がどういう動機で何を狙っ て「大陸に〈進出〉」したのか、ぼくは学校でろくに教わった記憶がな い。事実を隠すことなく見せてもらったことがないし、いつも歯切れの 悪さがつきまとっていたように記憶する。これはとても残念だったと思 う。だいいち、自分のご先祖が何をしでかしたのかはっきり知らないの は、気持が悪い。同じような居心地の悪さを持っている人は多いんじゃ ないだろうか。そして東南アジアの「買春ツアー」なんて、太平洋戦争 当時を知っていたら、やっぱりできないのではないか。(やるかも知れ ないが)

 なぜ、事実を事実として語れないのだろう。なぜ単なる事実としてさ え記すのが憚られるのだろう。なぜそんな風に思ってしまうのだろう。 なぜいつも核心は靄の中に隠れているようだったり、ひとつのことに複 数の立場から矛盾する主張がなされたりするのだろう。それが近現代史 の難しさなんだろうけれど、なぜ過去を過去のこととして見つめられな いのだろう。正面から見つめられなければ、謝るべきことも謝れず、誇っ ていいことも誇りに思えない。おかげで、謝ってみたりふんぞり返って みたり、態度が定まらず落ち着かない。

 ぼくにも答なんて判らないけれど、今、コワい想像をしている。徳川 幕府滅亡以降のこの国が確たる方針も定かでないまま、その時時の国際 情勢やほかの国の振舞いや一部の人間の思惑に影響されて、ある時はこっ ちに揺れ別の時にはあっちに惹かれしてふらふらと過ごしてきたからな んじゃないだろうか。明治以降のこの国に、そもそも自分を冷静に見つ める目がなかったからなんじゃないだろうか。

 「建国」以来外国というものとまともに対決したことも殆どないまま 過ぎて、さらに直前の200年以上小さな窓を通す外は諸外国との交流を 断ち、その間権力者はのうのうと惰眠を貪り国民は世界から取り残され ていたのに、欧米列強の脅威に屈する形で開国してからはものすごいエ ネルギーと速度で国力をつけあっという間に列強と競り合うほどにまで なった。そのこと自体は、つまり「あっという間に国として『成長・発 展』したこと」は誇りに思っていいと思う。ほかにこんなことをやって のけた民族はそうそうあるまい。しかし、これは極めて不自然な「成長」 だったように思える。人間が寝起きで100メートルダッシュをするよう なものではないだろうか。いや、病み上がりの人がフルマラソンに出場 して最初からスパートをかけるようなものではなかっただろうか。ろく に体力もなく準備運動もしていない状態でそんな無理をしたら、どこか で何かがおかしくなるだろうし、その走るさまが正視に堪えないとして も当然だ。そして間違ったゴールに飛び込んでしまったのだとしたら。

 『扶桑社版』271ページの「世界恐慌のあと、日本国内でも、ドイツ やソ連のような国家体制のもとでの統制経済を理想とする風潮が広がっ た。……(大政翼賛会は)ドイツやソ連の一国一党制度を模倣しようとし たものだった」というくだりを読むと、「この国はヤッパリはやりもの に弱いんじゃないかな」と思う。風潮が広がったくらいで全体主義に突 き進んじゃうのはどうにも困ったものだが、そのときはそれがナウかっ た(死語)のであろう。開国以後の朝鮮や中国に対する態度もそれと同じ フィーリング(死語?)だったのだとしたら。欧米列強と肩を並べようと 頑張るついでに帝国主義にもイカレテ(死語)、時あたかも欧米列強がア ジアに食指を動かしていた頃で、これはまずい、早くしなければ手遅れ になってしまうとばかりに飛びついてしまったのだとしたら。

 明治以降のこの国の朝鮮や中国に対する行動は、「侵略」であり「近 代帝国主義的植民地政策」でしかないように見える。太平洋戦争はその なりゆきでいい加減な思惑のまま突っ込んでいったように見える。それ に対して「いやそうじゃないんだ」という見方は当然あるだろう。だが、 論じられる対象である「あの頃のこの国」が実は大した見識も国家理念 もなかったのだとしたら、後になって立派な理屈をつけたって空しいだ けではないだろうか。

 ところで、日本にとっては、戦争に負けたのだから「敗戦」の筈。な のに平気な顔して「終戦記念日」などと言うよね。あれ、アブナイと思っ てます。「日本は戦争に負けたんじゃない」と言いたい気持が「終戦」 ということばに隠れている気がしてならない。『扶桑社版』を批判する 人には、大きな声で「日本は太平洋戦争に負けたんだ。だから8月15日 は敗戦記念日なんだ」と言うことをお勧めします。

歴史はどこにある?

 『扶桑社版』282ページに、「(東南アジアの)これらの地域では、戦 前より独立に向けた動きがあったが、その中で日本軍の南方進出は、ア ジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった」とある。

 「結果としてそうなった」というのは、事実かも知れない(もちろん、 事実なのかそうでないのかは、見る人や当事者の立場によって見解が異 なるだろう。なにぶんたかだか五十年くらい前の生生しい過去だから仕 方がない)。しかし、それが結果として事実だったとしても、それを理 由に誇りとするかどうかはまた別の問題だろう。

 「結果としていい方向に進んだからよかったのだ」という論法でいい なら、「原子爆弾の投下により太平洋戦争が終結したのだから、核兵器 はよい兵器であり、平和のために必要なのだ」と言ったっていいし、 「武力に訴えることで国際紛争が解決するのだから、戦争はやはりよい ことなのだ」ということもできる。「オウム真理教が事件を巻き起こし たから、サリンという毒物の存在が世に広く知られたし、カルト宗教の 恐ろしさが判った。オウム真理教はいいことをしたのだ」と言うことだっ てできるのだ。

 アジア各国の独立運動に触れた249ページでは、「一方、朝鮮では…… 朝鮮総督府はこれを武力で弾圧した」とある。南方では諸国の独立を早 めるひとつのきっかけとなっていながら、東アジアでは独立運動を抑圧 する矛盾はいかなることなのか。矛盾とぼくには見えるのだが、統一的 に説明する理屈があるのだろうか。

 この『扶桑社版』作成の動機のひとつとして「日本人としての誇りを 取り戻すため」というのがあるとは、以前に新聞で知った。

 ぼくとしては、過去の愚かな戦争、してはならない戦争を肯定し美化 しなければ取り戻せないような誇りなら、なくたってかまわない。念の ために記しておくが、これは大局的見地から書いている。太平洋戦争で 「国のために闘って」亡くなった方々やそのご遺族ご親族、また戦争関 係者を誹謗したり軽蔑する意図はまったくない。

 「してはならない」というのは、人道的見地とか単純な正義感からで はない。どんな戦争であれ自国の人命・産業・経済を含めた国力を消耗 するし、他国の国力も消耗する。また近代戦争は非戦闘員すら攻撃の対 象になってしまうし、大量殺戮が容易にできてしまう。戦争は人を疑わ せるし、狂わせる。どこから見ても「やった方がいい理由」など見つか らない。これはこの言説を認められない人人に戦争を仕掛けたくなるほ どアタリマエのことだ。侵略戦争も防衛戦争も、してはならない点では 同様だろう。が、絶対悪といっていいくらいのことなのに起こってしま うから、戦争は始末に負えないのだ。でき得る限り避けなければならな いものなのに、でも戦争をせざるを得ない場合があるから困ってしまう のだ。

 戦争は最後の最後の手段なのであって、監視すべきは戦争を避けるた めにどれだけの努力をしたのか、どれほどの客観的な政局分析に基づき どれだけ上手に外交したのか、戦争になったと仮定しての冷静な計算を したかどうか――そういったことではないか。勝てる見込みのない戦争 を始めるのは国民や国家元首に対する裏切りだろう。 あの戦争に至る過程は、冷静に考えてほかの選択肢を許さないものだっ たのか。日本という国に、あの頃、戦争を勝つための展望があったのか どうか。最後まで闘い抜くだけの力があったのかどうか。ぼくは戦争に 至る過程自体莫迦げていたと思うし、勝利への確たる見通しがなかった と思っている。だから「愚かな戦争」といい、「してはならなかった戦 争」と言っている。

 そんな戦争に誇りを求めなければならないほど日本人はダメな民族な のかと、ぼくは逆に『新しい歴史教科書』執筆者に問いたいくらいであ る。

 なお、ぼくは、いま現在の世界情勢を冷静に見た場合、国防のための 軍事力は必要だろうと思っている(もうそろそろ戦争なんてやることに 意味がまったくなくなる時代なんだとは思うけど……あともうちょっと、 かな……)。

 ただし、それと同じくらい冷静に考えて、日本は戦争をしてはいけな い国だとも思っている。これも人道主義とか正義感からではない。日本 という国は天然資源のない国だから、戦争などいう、資源をひたすら食 い潰す行ないができる筈がない。それに、日本人という人人はどうもあ るひとつのことが気に入るとそれだけに熱中してほかのことには注意が 向かず、それだけでなく熱中してない人たちのことを平然と非難する性 向があるように思えてならない。そんな人たちがまた戦争に熱中したら、 また同じことの繰り返しになってしまうのではないかと恐れている。 (いま戦争を大声で非難している人たちだって、何かの拍子に(国家的) 自尊心を傷つけられたら、戦争に傾斜していくんじゃないだろうか)

 この対立する意見をどうまとめればいいのか、まだ自分にもちゃんと したアイデアはない。

 ぼくの「この国の近現代の歴史、諸外国との関わりについての見通し」 は、学校教育とはあまり関係なく、いろんな書物や映画などを通じて得 たものになっている。その人なりの歴史観、歴史感覚というものは、学 校のお世話になるのではなくそのような方法で自分で形成していくもの なのではないだろうか。

 『徹底検証』の筆者たちはしきりと「この教科書で教わったら、誤っ た歴史認識を植えつけられたまま大人になってしまう」と心配する。確 かに誤った認識を持ってしまうかも知れない。だが、死ぬまでその認識 を抱え続けるとは考えにくい。教科書以外の媒体を通して歴史を知ると いうことをまったくしない人がいるとしたらそのことの方が大問題だし、 中学生や高校生が参加する国際交流の機会はどんどん増えるだろうから、 その場で痛い思いをして誤りを知るなら、それはそれでいいのではない だろうか。もちろんまともな教育が受けられるならしなくてもいい思い には違いないが、ぼくたちが生まれ育ち暮らしているこの国はそういう 教育をする国なのだ。

 教科書でひととおり学んだから充分、と言えるほど、この国の近現代 史は単純でも平凡でもなかった。だから、学校で教わった後に改めて自 分の手と足と目と耳で歴史に触れてみるのがいいと思うし、そうするべ きだと思う。(「よい教科書」で教わったからといって「よい認識、よ い考え」を持つものでもないだろう)

 本屋の歴史書コーナーを覗けば、教科書と違って統一見解などという ものはなく、いろいろな人がさまざまなものの見方を提示している。 「日本はアジア諸国に対してひどいことをした」という人人もいれば 「日本は悪くなかった」という人人もいる。どちら(あるいはどれ)が正 しいのか、なんとも判らない。そうした数数の言説にあれこれ接してみ て、何が正しいと思うかを自分で決めるのもいい。もちろん、韓国、中 国を初めとしてアジアの人人と直接に接するのも有益だ(自分は、まだ ろくな経験がありませんが)。そのためのツールとして、エスペラント なんて言語を勉強するのも悪くありません(^^)

たねぼん

 何の根拠もなくナイーブな直観だけで書いていると思われるのも困る ので、以下にぼくが自分の「歴史観」「戦争観」を形成するのに影響し た本や著述家を挙げる。

 小説家・小林信彦は多くの著作で〈戦後民主主義〉の幻影を取り上げ、 「戦中と戦後とで態度が180度変わった言論機関、教育者」に言及して いる(これを指摘する人はかなり多い)。また、『ぼくたちの好きな戦 争』では、太平洋戦争が始まった当初、街のふつうの民間人が無邪気に 戦争を喜び楽しむ描写がある。こういう同時代者の証言をわりと早いう ちから読んできたので、「民主主義は絶対だ」と言われても白ける自分 は確実にいるし、「戦争中、国民はみな一様に暗い表情で苦しい生活に 堪えた」「みんな戦争には反対だった」なんて話を聞くと身構えてしま う。

 精神分析家・岸田秀の「唯幻論」には大いに共感し、今も共感してい る。日本の開国以降の国家としての振舞いを精神分析的に論じた文章が あり、一発で参ってしまった。(今回ひさびさに再読したら、やはりマ イってしまった)

 塩野七生は日本の歴史を書く人ではないが、氏の描く地中海世界の歴 史、古代ローマの歴史を読むと、戦争という人間の営みの一端は窺える。 そこには侵略のための戦争、防衛のための戦争、覇権確立のための戦争、 領土保全のための戦争、駆引きとしての戦争、いろんな戦争がある。戦 争に先立つ外交の表裏も描かれている。ぼくの「戦争観」はこれで形作 られたといっていい。

 山本七平の『ある異常体験者の偏見』『一下級将校の見た日本帝国陸 軍』には、大日本帝国陸軍がどのような組織だったのか、現場の体験者 からの報告が詳しく書かれている。これを読めば、「あの愚かな戦争」 をいかなる意味においても美化する気はなくなる。

 本稿を書き終えてから読んでみたのが『日本陸海軍の生涯』(吉田俊 雄、文春文庫)。日本の陸海軍がどのように成り立ちどのように誤った のかが判る。読んでいて気が滅入り、また悲しくなる。やっぱ、××だっ たんじゃないか? 現実が見えていた人も中にはいたようだが、そうい う人は早く死んでしまうか、戦争の狂乱の中で冷静さをなくしていって しまったようだ。みんなイッショケンメイだったのだろうけど、一生懸 命だったから許されるというものではない。戦争というものに関わる人 たちにはそれなりの重い責任がある筈だ。


あたまへ


(おわり ―― 2001.08.15)


付記

 本稿脱稿の後『私の中の日本軍』(山本七平、文藝春秋社、 ISBN4-16-364620-5) を読み、そのついでに『ある異常体験者の偏見』 (同、ISBN4-16-364670-1) を再読した。ほんの数ヶ月前に読んだのに、 細部を忘れてしまっているのにはわれながら困ったものだ。しかも「ぼ くの『戦争観』は塩野七生の著作から得た」なんて言っておいて、それ も忘れている(--;) 本書にもハッキリ書かれている。日 本が国防のための軍事力を備えていても、いざ戦争になった場合、兵糧 攻めにされたらオシマイだ。従って日本が軍備を持つことにはあまり意 味がない。憲法がどうのという以前の問題なのだ。

 それにしても、ぼくは山本七平はこれらのいわば「太平洋戦争論」し か読んでいないが、「戦争を見つめる」ということは、「その国を見つ める」「その国の歴史を、その国の人間を見つめる」ということなのだ とつくづく思う。あの戦争を起こしたのはわれわれ「日本人」であり、 本文で言ったように「ほくたちの中の〈日本人〉は、ずっと続いている のではないか」とぼくには思えてならない。だとすれば、……今のぼく たちだって危ない筈だ。ふたたび戦争を起こすとかいうことでなく。


(2001.08.25)





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