何の答も出ちゃいない

 これは2001年12月15日に途中まで書いてなぜか手が進まなくなった文 章を、2002年8月になって改稿したものである。なのでおかしな文章に なっているかも知れない。

ぼくはたまたま生き延びている

 二〇〇一年九月十一日夜、たまたまテレビを見ていて、あの出来事を 目撃した。

 ちょうど台風が過ぎ去ったので、その話題のためにつけていたのだっ た。写し出された映像は台風に関するものではなく、アメリカ合衆国だっ た。高層ビルの中腹から煙が上っていた。やがてもうひとつのビルが激 しく煙を吹いた。初めは最初のビルの二次爆発だろうと思っていたが、 ビデオの再放映を見ると、飛行機がゆっくりと旋回して建物に激突する さまが映っていた。それから、激突箇所から上のビルの倒壊。街路に白 い煙のようなものが立ち込める光景。

 テロだな、と思った。ほどなくアメリカ合衆国政府の公式見解が発表 されたと記憶する。

 あの「テロ」を目の当たりにして二番目に思ったのは、「いかなる理 由があれ、テロを容認することはできない」だった。

 現地は朝の八時だか九時だかだったと思うが、高層ビルやその一角で 今日も働くために人が集まってきていた。誰ひとりとして自分が飛行機 の突入を食らって死ぬなどとは思いもしていない。溜まっている仕事の ことや、家族や恋人や自分のことを考えて一日を始めようとしていただ ろう。そんな生命があんなにも簡単になくなってしまう。それによって 「恐怖」を与えるのが無差別テロなのだから当然といえば当然だが、あ の事件で亡くなった人たちには死の理由が与えられなかった。

 もちろん、この世界で理由もなく命を落とすことはいくらでもある (特に「人為的災害」と呼ばれるような事故は、テロと同じくらい許し がたい。ぼくたちはそれらに対しても糾弾をするべきだろうか)。また、 生きていることに、あるいは生命それ自体に大した意味がないと考える こともできる。しかし、テロリストは自分たちの目的や主張のためにまっ たく関係のない人に理由のない死を与えて平然としている。テロリスト がどんな大義名分を掲げていようと、こんな行ないは許されてはならな い。そう思った。

 一番目に思ったのは「自分が死んでいたかも知れない」だった。ニュー ヨークと日本とはたまたま数万キロ離れているだけなのだ。

 その時はテロの犯人/容疑者が誰なのか、動機/目的が何かなど知り はしない。今だって知りはしない。なぜそう思ったのだろう? あの 「テロ」が「西側」諸国への、非・西側からの攻撃に見えたのだろうか?  ぼくは早くもテレビ報道に影響されていたのだろうか、それとも「先 進国対後進国」といったおざなりの対立図式が頭にしみ込んでいたのだ ろうか。だからそんな風に感じたのだろうか。日本だって無縁ではない と、自分だって安全ではないと。ただ直感したのは、「アメリカ合衆国 それ自体を攻撃することが最重要目的でないのならば、標的は日本であっ たっておかしくない」ということだった。そして無差別テロならば、た またまぼくやぼくの愛する人が居合わせた電車やビル、乗り物や建物が 攻撃されることだって充分にある。

 あの「テロ」の現場にいて犠牲になったのはアメリカ合衆国民だけで はない。日本人だっていた。やはり、ニューヨーク、ワシントンと日本 とはたまたま数万キロ離れていたに過ぎないのだ。

 ともあれ、それ以来「いつこの国の、自分の周囲が襲われても不思議 はないな」と思いながら日日を過ごしている。そんなのはいやだと思い ながら。そしてまた、そうなってもいいように、毎日後悔をため込まな いように。

「自由」と「正義」と「民主主義」

 もちろんのこと、あの「テロ」が直後の声明で言われたような「自由」 や「民主主義」への挑戦などとは、ぼくは思わない(あの声明を無邪気 に信じた人はそう多くないのではないかと想像する)。それはアメリカ 合衆国(被害者)の言い分であって、被害者の主張だからといって無条件 にすべてが正しいとは限らない。かの国の言い分があくまでも自分に都 合のよいことばかりなのは明白である。アメリカ合衆国が対外的に唱え ているお題目を「本気で言っている」などと、誰が信じているのか?

 そもそもアメリカ合衆国が(自分たちが思っているらしいほど)「正 義の味方」であるわけもないし、「自由や民主主義を守るよい子の国」 である筈もない。自分で言っているほど「正義」がかの国にないのは、 かの国の成り立ちを見れば一目瞭然だ。先住民族をどれだけその土地か ら追い出し、また死に追いやったのか。そうして得た土地に勝手に「自 由」やら「希望」やら「正義」やらを見い出していい気になっているよ うな国ではないか。百年も前のことをあげつらうのはいけないことかも 知れないが、「自由」「正義」があくまでかの国から見てのものだとい うことは忘れない方がいい。

 一九八〇年代の中ごろ、日本が珍しく官・民・学が力を結集し、自力 でオペレーティングシステムを開発した。これが広まると自国の産業に 打撃を与えるというので、アメリカ合衆国はこのオペレーティングシス テムの本土上陸を阻止した。確か「日本にとって著しく有利であり、不 公平だ」みたいな言い分だったのではなかったか。日本は官も民も腰が 砕け、このオペレーティングシステムが世界に広まる機会は遠ざけられ てしまった。そういうことをしてくる国なのだ。(TRONのことである。 このオペレーティングシステム自体はしぶとく生き延びており、今も携 帯電話に使われたりしているし、パーソナルコンピュータ用のものもあ る)

 それから約一ヶ月後にアメリカ合衆国が起こしたあの「戦争」は、戦 争ではなく報復に過ぎない。報復とすら言えない、とする人もいる。そ の「戦争」に対して異議を申し立てる声が合衆国の外からも内からも上 がった。

 テロ撲滅を考えているなら、この「戦争」には実りがないことは明ら かだ。仮に容疑者と目されている人物が捉えられるなり殺されるなりす る。そうなったらその人物はテロリストの残党によって「聖者」に祭り 上げられ、今度はその人物の名の下に報復テロが繰り返される。テロ行 為の犯人や容疑者を追い詰めらることができなければ、それだけでテロ リストには勝利に等しい。では関係するテロリストの一団を壊滅するか。 そうしたって別の新たなテロリスト集団が生まれるだけだ。

 しかし、実りがあろうとなかろうとアメリカ合衆国はあの「戦争」を やっただろう。以下はぼくの単なる憶測に過ぎない。

 ひとつには、国民感情というもののため。何といってもあの「テロ」 であの国は多大な犠牲者を出し、大いに傷ついた。その国民の心を鎮め るためにはなんらかの報復行動に出なければならなかったのではないか。 (同胞が被害を受けているにもかかわらず、あるいは自らの近親者が犠 牲になったにもかかわらず、報復のための軍事行動など何の解決にもな らないから止めろ、と言える人たちを、ぼくは心から尊敬する)

 もうひとつは、テロリストに対して断固たる姿勢を見せるため。「こ の国にテロを仕掛けたらこうなる」ということをテロリスト本人たちや 世界の他のテロリスト/テロリスト予備軍や関係国に見せるため。アメ リカ合衆国対テロリストの武力攻撃の応酬になる危険もあるが、黙って いたら舐められてさらにひどいテロを食らう恐れもある。相手を圧倒す る自信があるなら報復するだろうし、あの国にはその自信があるだろう。 だいたい、非暴力を貫くというのは並の度量でできることではないと思 う。

 ただし、いずれにしても「自由」とか「民主主義」とかを守るといっ た大義名分とはあまり関係がないと思う。だいたい、「テロリストを支 援する国はテロリストと同格に見なす」という理屈をつけたとしたって、 あの「戦争」は無茶だ。政治や軍事の素人だってそう思う。アフガニス タンの国民(政権ではなく)にとっては、道を歩いていたらやくざに言 いがかりをつけられたようなものではないか。軍事行動に出る前に外交 的手段で解決を図る余裕がアメリカ合衆国にはなかったということだろ うか。

『非戦』、そして『危機と戦う』

 うろうろしている間に――ぼくにはぼくの日常があり、この問題にだ けかかずらっていることもできない――『非戦』という本が出た(坂本 龍一ほか、幻冬舎、ISBN4-344-00144-3)。好きな音楽家が寄稿してい ることもあって、買って読んでみた。読んでいていくつかの思いや考え が頭を巡った。うまくことばにできない。

 ここに書きつけられたそれぞれの寄稿者の思い、怒り、訴え、祈りは 尊いと思う。《真実》の一面を衝いているのだろうとも思う。けれど、 それに諸手を挙げて賛同する気になれない。どうしてだろう。

 現実の政治は、国際政治は決してそんなものに従って動きはしないだ ろうとも思う。

 「自国の国益のみを考えるな」というけれど、現在の世界がこのよう にできている以上国益を考えるのは国政を司る立場として当然であり、 為政者が国益を考えずに振舞って一番迷惑するのは国民の筈だ。ある種 のナイーブな人人は「自分の国なんか滅んでしまったっていい。それよ りは平和の方が大切だ」「富の公平な分配こそが大切だ」などと考える ことができるのかも知れない。でも実際に自分の国が滅んだり衰退して 平気な人などいる筈がない。

 今の世界では、そんなことを言い出す国は他の(自国の利益を優先す る)国に食いものにされ、痩せ衰えていくだろう。だからたぶんどの国 も国益を主張し、あるいは画策し、その上で折り合いをつけたりつけら れなかったりしている。そうしてその結果として辛うじてバランスが保 たれているのがたぶん実態なのではないだろうか。他国の餌食にならな いように自国の国益を守りながら、なおかつ全世界の「バランス」を考 えて世界各国と渡り合うのは相当な現実感覚と政治感覚がなければでき ない技だ。政治の素人だってそう思う。

なにより、このバランスというヤツは相手があってのものだ。「みんな でこうなったらいいよね。だから自分たちは他の国がどうしようと関係 なく率先してこうします」なんて言ってそれでそのとおりになるもので はない。

 自国の利益は控え目にして他国のことも考え、共存共栄を図る。みん なでそれができればいい世界になるかも知れない。自分の国という立場 を離れてものを考えるのが望ましいのかも知れない。そろそろそういう 風に考えるべき時期が、考えることのできる時期が来ているのかも知れ ない、アメリカ合衆国も、ほかの国国も。しかし、仮にそれが実現した として、その結果できあがる世界はどのような世界になるのだろう か? みんながにこにこして暮せる、安心できる世界が現出する のか? そうなる保証があるのだろうか。ぼくは人間という生き物がそ んなに素晴らしいとも思わないし、人類の文明が素晴らしいとも思わな い。「限りある資源を大切にしよう」と言い出したのは天然資源には限 りがあると判明した時ではなく、現実の問題として資源が底をつく時期 が差し迫ってからだ。

 人間はある流れに乗って「発展」してきた。先の考え方はその流れを 変えようと言っているに等しいと思うが、それは可能なのだろうか。先 の筆者たちは「変えられる」「変えなければ」と信じて発言している、 のだろう。ぼくはそんなに楽観的になれない。この流れのまま突っ走っ て、行き止まりにぶち当たって滅んでいく姿が浮かぶ。

 いかなる理由があってもあの「テロ」を擁護することはできない。

 もちろん『非戦』で誰も擁護してはいないが、筆者の何人かが言うよ うに、「長い間の抑圧があった」のは事実かも知れない。だからあの 「テロ」は必然なのかも知れない。だが、それを理由にしてよいのなら、 日本が起こした六十年前のあの戦争だって必然だということになりはし ないか。精神分析家・岸田秀は『ものぐさ精神分析』の中で「日本は十 九世紀後半にアメリカ合衆国に強姦された」と喝破している。その忌ま わしい記憶から逃れるべくあがいた末に行き着いたのがあの戦争だった とすれば、今回あの「テロ」についてアメリカ合衆国による抑圧を指摘 する人ならば、当時の日本についても同じような見方をするべきではな いか。

 だから、アメリカ合衆国の「力の政策云云」を指摘する人は、日本の 起こしたあの戦争についても同じように語ってくれなければ筋が通らな いと思う。あれはあれ、これはこれというなら、あれとこれを区別する 根拠を明確にし、かつその根拠の妥当性が検証されなければならない。 それもなく「アメリカ合衆国=悪」、「今回の『テロ』=非抑圧民族の 逆襲」、でも「大日本帝国=ひたすら悪」というのは論理としては相当 におかしいのではないか(論理じゃないのかも知れない)。

 ぼくは日本の起こしたあの戦争を美化したり正当化したりする気には なれない。だから「長い間の抑圧」があったのだとしても、「アメリカ 合衆国の力の政策」が原因なのだとしても、それをテロの主な理由と捉 える気はしない。TRONの例に見られるように、アメリカ合衆国はえげつ ない。しかしそのえげつなさにやられっぱなしである必要はないので、 やられないように自衛しなければいけないし、できれば相手を出し抜け るようにうまく立ち回らなければいけない。もちろん、「力の政策」に 対するにテロリズムしか手が残っていない状況もあり得る。しかしその 場合も攻撃目標は国際貿易センターであってはならないだろう。

 戦争はおそらく答にはならない。が、「非戦」もまた答にはならない のではないか。

 世界中の人人の過半数が、世界中の国家指導者の過半数が「非戦」の 立場に立って踏みとどまれば、それは実現するのかもしれない。でもそ うなるまでにどれくらいの時間がかかるのだろう? それを見積もるこ とはできるのだろうか? もし見積もれないのならば、もっと現実的で もっと見積もり可能な方法をとるべきなんだろう。

 『危機と戦う』(小川和久、新潮社、ISBN4-10-450101-8)という本 が出たので読んでみた。著者は軍事アナリストという肩書を持っている。 この本で言われていることの方が、ぼくにはずっと納得できる。少なく とも現実感があるのだ。

 もちろんこの本は危機管理について書かれたもので、テロの根源を断 つ方法について書かれたものではない。「テロの根源を断つ」ための施 策は必要だろう。しかし、テロという行為の動機や目的がその行為主体 の中にのみ存在する以上、現実的に見て「どのようにしてテロ行為を防 止するか」「テロが起こったらどうするか」という発想の方が有効のよ うに思う。

なぜ、そのことばを避けるのか

 ここ一年以上テレビを見ない。もっぱらラジオ(FM放送)を聞いてい る。先の「テロ」の時も、たまたま台風というトリガーがあったから珍 しくテレビをつけてみたのだった。

 最近のFM民間放送はAMなみに騒がしいので、NHKをよく聞く(別に NHKがおとなしいとかよいとか思っているわけではないが)。音楽番 組などで話の成り行きが「同時多発テロ」に及ぶことがある。ポップ ミュージシャンもまた「アーティスト」だから、こうした人間性に対す る衝撃、世界への揺さぶりに敏感であらざるを得ないのは当然のことだ。

 そのこと自体は話の成り行きだからどうでもよいのだが、ある時、ふ と気づいた。どういうわけか、あの「テロ」を指すのにことばをぼかす ようなのだ、NHKは。それから注意して聞いてみたが、記憶する限り、 局のアナウンサーも、パーソナリティの音楽評論家も、ゲストとして出 演したミュージシャンも、電話で現地の音楽情報を伝えるジャーナリス ト(?)やらコーディネーターやらも、みな「同時多発テロ」とは 決して言わない。ある時などは(詳しい日時・番組名・発言者は 失念したが)危うく「同時●●」とか「多発……」とか言いかけてこと ばを濁したりしたこともあった。誰も「同時 多発テロ」とは決して言わない

 これはどういうことなのだろうか。素朴な解釈としては、局の方針と してニュースや政治的な話題を取り上げる番組以外では「あのこと ば」 を使わないようにしているとしか思えない。しかし、だとし たらそれはなぜなのだろうか。

 もしかしたら、「テロ」と思われているが証拠も犯行声明もなく(な かったように思う)、犯人と目される人物が逮捕されていないからなの かも知れない(この文章でも、「テロ」と括弧つきで使っているしな)。 あるいはそうではなく、何かぼくなどには理解できない事情からたとえ ば「被害者や遺族の心情を考慮して」使わないようにしているのかも知 れない。

 あの局はさまざまなことばについて言わないようにしたり言い換えた りする(注意して聞いてみるとそのようなことがあちこちで聞ける)妙 な配慮をするところだから、何かしらの理由・事情があるのには違いな い。違いないのだが、不思議だし、耳障りである(聞こえてこないのだ から「耳障り」はおかしいけれど)。

8月15日

 そんなことをぼんやり想っているうちに今年も8月15日がやってきた。 忘れてはならない「終戦の日」、敗戦記念日である。

 忘れてはならない筈なのに、正午をかなり過ぎてから今日が8月15日 であることに気づいて愕然とした。いつ頃から忘れるようになったのだ ろう、そう思って、思い出せないのにも何か寂しい気がした。いつの間 にか、自分の中では「単なる8月15日」でしかなくなっていたらしい。

 その頃に確実に家にいて特に忙しくもないなら、たぶん、時報ととも に黙祷するに違いない。でも、外に出て何かに没頭しているなら、今年 みたいに気づかない。するべきことはたくさんあり、ちょっと立ち止ま る余裕さえなくしていることもある。そしてだんだんそういう時間の方 が多くなっているようだ。今更ながら、これが生きていくということか も知れない。

 東京大空襲のことが気になる。以下、大して詳しくもない人間が主観 で書くが、間違いがあったらご容赦願いたい。

 あれは非戦闘員を狙った無差別大量殺戮であり、あれ以前にそのよう な非道な軍事作戦がなされた戦争はなかったと聞く。当時の人人の見聞 を読んだり聞いたりするにつけ、残虐さにおいては広島・長崎の原爆と そう変わらないように思う。原爆は、特殊な体験であり、悲惨さは通常 爆弾の比にならない。しかし、「非人道的」の度合いで言えば、東京大 空襲だってさほど変わらないのではないだろうか。広島・長崎を語り継 ぐなら、東京大空襲も語り継がれなければならない筈だ。でも、あまり 聞かない気がする。

 広島や長崎が被ったのが原爆でなく東京大空襲並みの空襲だったのだ としたら、今でも「原爆反対」というのと同じ熱意で「無差別爆撃反対」 「非戦闘員への空襲反対」と言っただろうか。言ったであろう。東京大 空襲の話が聞かれないのは、その被害を被った人が散り散りになってし まったこと、戦後東京に地方から多くの人間が流れ込んだこと、東京の 街自体が変わって面影がなくなってしまったこと、などにのみよるのだ と思いたい。

 原爆のことのみ話題にして、東京大空襲に触れないのはバランスを欠 いていると思う。廃絶すべきは単に核兵器のみでなく、戦争そのものだ からだ。

 あの愚かな戦争で日本人が受けたのが原爆だけだなどという無 知がはびこらないように、ちょっと書き留めてみました。

さて

 この世界がそんなに暖かくも優しくもないことを、ぼくたちは(改め て)知った。それをきつく噛み締めてまた歩き始める。どこへ? そん な答など何処にもない。今だかつて、何の答が出たこともない。

 いつまた酷いテロがあるかも判らない、自分がその場に居合わせてし まうかも知れない、などとちらりと思いながら、でも毎日平気な顔をし て普通のつもりで暮らしている。いつ死ぬようなことになっても後悔せ ずに済むように、一日一日を精一杯生きようと思いながらでもだらだら 過ごしたり、愛している人に愛していると伝えようと思いながらでも口 に出せないまま日が暮れたりして。

(2002.08.23)

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