ワールドワイドウェブのスポーツニュースページはよく読むが、スポー ツ新聞には情緒的な記事・表現が多いと感じており、大枚130円を投じ るのはよほどの時に限られている――情緒的な報道に浸ってもいいほど うれしかったりわくわくしたりしている時か、どんな報道ぶりか見てや ろうという時である。それよりは無料で読める(通信費を除けば、ね) ウェブの方で情報を得る。もっともこちらも多くはスポーツ新聞が情報 源だ。やはり情緒的な記事や表現にしばしばお目にかかる。
今回取り上げるのは情緒的云云の問題ではない。最近ひっかかること ばがある。それは「も」 である。
変なも、自分にとって違和感のある もに、記事の見出しや本文でお目にかかる (圧倒的に見出しに多いのだが、本文で見たこともある。探すとなかな か例が見つからないのだが……)。以前からあったものか、最近出現し たものかは判らない。昔は見かけなかったような気がするのだが、見か けていても気づかなかったのかも知れない。
たとえば、次のようなものたちだ。
一見して、妙な文(の断片)である。最初の例など、「川口はベンチ 入りも出場もしなかった」なのと思ってしまった。
もの前の部分ではある事実を述べ、後の部分 では「それなのに」「だがしかし」といった感じで前半部分から予期さ れる(であろうと書き手が思っているのであろう)のとは異なる事実が 述べられる。どう見ても接続詞なのだが、しかし、「も」に接続詞とし ての用法はないようなのだ。手許の新明解国語辞典第五版(三省堂)に は、「も」は副助詞として載っている――
この中で一番近いのは4の「主体にそう判断される事態であることを 表す」のように見えるのだけれど、しかしわれらがも の前に置かれるのは判断ではなく事実だ。
また、4であるとしても、本来はたとえば「川口、ベンチ入りしなが らも出場せず」とか「田口、出番ないながらも明るく」とかであるべき だろう。何らかの理由(字数制限とか)で端折っているということなの だろうか。
何かの略だとするなら、「〜ものの」の略ということも考えられる。
あるいは古語からの転用なのかも知れない。古語辞典を調べれば何か 判るかも知れないが、手許になく調べる時間もないので何もしていない。
つとに指摘されているように、スポーツ新聞は独自の文体を持ってい る(既存の文体がある上に、最近は「プロジェクトX文体」まで混入し ているようである)。また新たに「スポーツ新聞文体」を彩る特徴が増 えたのだろうか。成り行きを見守りたい……なんて気はさらさらないけ どさ。
(もっと続くことを予感させるもひとまず了)
(2002.12.08)
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