ランダムアクセス 2001

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12月

『非戦』 坂本龍一 + sustainability for peace、幻冬舎、 ISBN4-344-00144-3

 9月11日の「米国同時多発テロ」に関して、「戦争は何の答にもなら ない」という立場からのさまざまな発言(主としてインターネット上で 採録された)を集めた本。

 読んでいて、それぞれの発言はもっともと思った半面、何かしっくり 来ないものを感じてもいた。

 戦争や暴力は何の答にもなっていないし何の解決にもならない。それ は明白だと言っていいと思う。しかし、この人たちの意見を容れて「世 界を変えて」いった時に、問題がなくなるとは言いきれないんじゃない か。それはまた別の問題を生むのではないか。そんな気がしていた。

 うまく形にならずに悶えていたら、Violaが教えてくれた山形浩生の 文章が答をくれた。『非戦』の執筆者が口を揃えて言う「帝国主義に収 奪され貧困に喘ぐ地域」の人たちがみな今の「先進国」と同等の生活水 準、同等の経済を享受しようとしたら、この世界はたちまち滅びるのだ。

 そういうことを覚悟して、この人たちはこんなことを言っているのか?  ――そんなことが気になった。

 ぼくたちはどうすればいいのか? 答は何も出ていやしないのだ。

(12/27)

『ローマ人の物語X・すべての道はローマに通ず』  塩野七生、新潮社、ISBN4-10-309619-5

 待望の第十巻。いつもは夏から秋の初めには出る(第五巻だけは春先 に出た)のだが、今回は9月頃に「12月発売予定」と告知された。何が 遅れているのだろうと思っていたら、この巻はこれまでのような通史列 伝ではなく、ローマのインフラストラクチャをまとめて論じたものだっ た。

 どこかでこれだけまとめて取り上げようと思っていたとのことで、作 者の随筆などでの発言からも窺い知れるが、インフラというものを通し て「国」「民族」というものが見えると考えているようだ。そしてそれ は当然、古代ローマにだけ及ぶものではない。

 いやまったく、「民族性」って本当にあるようだと、これを読んでい ると思わざるを得ない。特に「公共心」「公徳心」などというものは、 長い時間をかけて形作られるのだろう。ひとりが始めたことを後に続く 者が引継いでいくことによって。そして、「平等」「公正」の概念や、 「公」と「私」のバランス感覚。

 今のこの国にそういうものはあるのか? 今のこの世界には?

(12/23)

『イティハーサ』(ハヤカワ文庫版・全7巻) 水樹和佳子、早川書房、 ISBN4-***-*****-*

 10月頃かいつだったか佐藤に「熱力学の法則」の質問をして、第二法 則がこの漫画のオチだみたいなことを佐藤が口走り、興味を持って借り て読んだ。

 面白い。正味二日で読み切ってしまいました。これだけの作品を、し かも13年もかけて書けるというのはただ者ではない。

(12/04)

『火の鳥』(角川書店版・文庫・全13巻) 手塚治虫、角川書店、 ISBN4-***-*****-*

 『La Flambirdo』に触発されて一気読み。

 手塚治虫はやはり巨人であった。「太陽編」を書きながらこの作家の 胸に去来していたのはどんな想いだったのだろう。

(12/01)

11月

『La Flambirdo』 TEZUKA Osamu、Japana Esperanta Librokooperativo、 ISBN4-88887-019-5

 今年の日本エスペラント大会の記念品として作られた一品。『火の鳥』 未来編をエスペラント訳したもの。

 実は『火の鳥』をちゃんと読むのは初めてで、その点でも面白かった。

 小西岳のエス訳も丁寧に感じた。

 「日本語の作品(漫画)をエス訳するとき、ページの並びはどうするん だろう」と思っていたのだが、無理をした様子もなくきれいに左開きで 並んでいる。ふと気づくと、左右を逆にして焼いているようだ(手が左 利きになっている)。なるほど。

 これのおかげで、原作も読みたくなり、昨日から買い漁ってむさぼり 読んでいる。いやぁ、面白いですね。

(11/26)

『Mozaiko Tokio』 YAGI Nihei、L'omnibuso Kioto

 小説、と言って言えなくないが、むしろスケッチという方が当たって いる。いかにも「エスペランティスト」が書きそうなスケッチ。

 8篇ばかり収められている。つまらないとは言わないが、面白いとも 言えない。なにせ『いかにも「エスペランティスト」が書きそうなスケッ チ』だから(笑)

(11/20)

『御用侠』 山田風太郎、小学館文庫、ISBN4-09-403565-6

 忍法ものとはまたひと味違う作風で、まぁ面白かった。

 しかし、作者自身がこの作品を低く評価していたのも判る気がする。 悪く言えば、流して書いたものだろう。巻末の解説者がいきら力んで見 せても、風太郎作品の中にあっては、二流か三流と言っていいと思う。

 それにしても、この人が描く女(の成り行き)は、冷酷で残酷で冷徹 で、読んでいて切なくなる。しかしそれもまた現実だ、ということだろ う。できるなら認めたくないおれは、やはりロマンチストなのかも知れ ない(苦笑)。

(11/09)

『横浜市電が走った街 今昔』 長谷川弘和、JTB、ISBN4-533-03980-4

 昔の街並み、昔の世の中を知るのが好きである。懐古趣味が出てきた のか。回顧趣味か。歳のせいかな(苦)。ましてヨコハマなら、一も二も なく飛びつく。というわけでもないが、見てちょっとぱらぱらめくって 買うのを決めた。

 横浜市電はつい30年ほど前、1972年まで走っていたことを知る。部分 廃止を重ねてのことだから、72年には最後の数路線だったようだが、単 純に時間の問題で言えば、ぼくも乗ったことがあってもおかしくない程 度の「昔」でしかないのだ。ただ、その年頃までのぼくにとって、横浜 は遠い街だった。両親に聞いたら、父親は乗ったことがあるとのこと。

 市電自体もそうだが、その市電が走っていた街並みも、隔世の感があ る。

 この本を携えて横浜を観に行きたくなった。いやまったく。

(11/02)

10月

『絵とき 横浜ものがたり』 宮野力哉、東京堂出版、 ISBN4-490-20445-0

 昔の街並み、昔の世の中を知るのが好きである。懐古趣味が出てきた のか。回顧趣味か。歳のせいかな(苦)。

 ましてヨコハマなら、一も二もなく飛びつく。というわけでもないと 思うが、見てちょっとぱらぱらめくって買うのを決めた。

 開港前夜から開港後のミナトヨコハマの風景情景が70点ほど集められ ている。開港する頃まで(してからもしばらく)関内の辺りは海だったの だ。神奈川の高台と野毛の山と本牧に囲まれた海だったのだ。横浜村は 本牧から海を抱くように延びた砂州の上にあったのだ。そーゆー場所だ から幕府も開港地に選んだのだ。ということを、初めて知った。関内と いう地名の語源も知った。港、居留地への関所の内側だからなのだ。

 この本を携えて横浜を観に行きたくなった。

(10/30)

『一般システム思考入門』 G.M.ワインバーグ、紀伊國屋、 ISBN4-314-00254-9

 ワインバーグ先生の「処女作」。原著1975年(日本語訳1979年)。

 のせいか、若書きの感がなくもない。が、ワインバーグ節はこの頃か ら全開といえる。

(10/27)

『黄金のローマ ―法王庁家殺人事件』 塩野七生、朝日文庫、 ISBN4-02-264055-3

 というわけで、三作めを読む。

 三部作の主人公ふたりがふたたび主人公となって、つまり筋の展開の 中心となって話が進む。それがいかにも自然で(前作からのつながりか らして)、やられてしまう。作者は初めからここまで考えていたのだろ うか? などとかんがえてしまうのは、こちらも〈職業柄〉(苦笑)。

 主人公のひとりのローマへの思い入れは、この直後に書き始めること になる『ローマ人の物語』を髣髴とさせる。まさに作者も認めていると おり、このお話たちの真の主人公は「都市」であり、それがこの作品で は顕著である。そして、それと引き替えにして、「ミステリー仕立」は 影が薄くなってしまう。この作品で殺人事件が起こるのは終幕において であり、しかも、法王庁は大して関係がない。でも、ま、それが目的じゃ ないから許しちゃうけど。

 主人公二人のうちひとりが死んでしまう。あ、死ぬのかなと思ったら やっぱり死んでしまった。これはさすがに読んでいて切なかった。

(10/16)

『銀色のフィレンツェ ―メディチ家殺人事件』 塩野七生、朝日文庫、 ISBN4-02-264008-1

 というわけで、残り二作を読む。

 前作の主人公ふたりは、今回は脇役。後半に出てくる「種明かし」は 伏線らしきものもなくちょっと不満。でも結末近くのあれは面白かった。 マキアヴェッリと親交のあった政治家ならそのくらいはお手のものか、 と思われて納得してしまうな。

(10/14)

『検証 経済迷走』 西野智彦、岩波書店、 ISBN4-00-022718-1

 日経新聞の書評欄で取り上げていたので買ってみた。この数年の日本 経済のなりゆきを知っておきたかったからでもある。ぼくは経済にはと んと疎いが、そういう人間ですら「どーなってるんだ?」と疑問に思う ところが多いわけで。

 日本経済が官僚主導で操られてきたこと、1997年頃の金融危機を境に 政治主導に切り替わり出したこと、まだ成果が出ていないことが判る。 もちろん日本の経済もまだ先が見えない。

 書評にもあったかと思うが、この本を通して見えてくるのは、官僚で あれ政治家であれ、現実を冷徹に見据えていない姿である。ことばを換 えればきちんとした計測ができてない。ワインバーグの言う「0次計測」 すらできていないのではないか。そんな状態で舵を取ろうとしたって、 そりゃとれないですよ。

(10/12)

『緋色のヴェネツィア ―聖マルコ殺人事件』 塩野七生、朝日文庫、 ISBN4-02-264008-1

 やっぱり塩野七生は面白い。

 ルネサンスイタリアの衰退期を描いた三部作のひとつだそうだ。いつ もの調子で読んでいたら、この三部作に限っては主人公の男女(きっと 彼と彼女だ) は作者の創作だという。ヤラレタ。

 しかしそれ以上に、例によって、お話が面白く、描かれる時代、都市、 国が面白く、対比が面白く、挿話が面白く、寄り道が面白い。読みなが らいろんなことを考えてしまう。

 ほかのふたつも読まなければ。という気になってしまうのだな。

(10/09)

9月

『Durankulak』 Sabira Stahlberg, bambu, ISBN80-85853-47-7

 …………

 「Durankulakというどこかにある町、その先には草原と沼がありそこ で世界は行き止まりとされている町、年に一度バスが来るだけでよそと は隔絶した世界、そこにあるとき年に二度目のバスがやってきて、日本 人が降り立った……」という筋立てと、珍しく日本人が登場する(作者 は日本人ではないと思う)ところに惹かれて買ったのだが……

 期待していたのとはまったく異なる話だった。

 冒頭の「伏線」が生きていない(それが伏線だとしたらだが)。 Durankulak がそのような町であることが生かされていない。 単にそのような町であるだけで、別に他のたたずまいであっ ても何ら差し支えない。もちろん主人公(?)が日本人である必要もない。 彼がこの町に来た目的は78ページ中61ページめでようやく明かされるの だが、それがクライマックスかというとそうでもなく、挿話以上でも以 下でもない。もちろんその目的への伏線はなく、唐突である。

 短い挿話の集積という形式をとっているが、個個の挿話は唐突で脈絡 がないし、全体の中に位置づけられない。なるほどその意味で「合理的 に説明できない経験が彼を待ち受けていた」というのは正しい。しかし、 お話全体として虚構としての筋が通っていないのはまずいのではないか。 単に散漫なだけの印象が残る。発散しっぱなしですらなく、最後は妙に 収束するのだ。

 ところどころに斜体字で書かれた挿話があるが、普通の書体の部分と とどう関係するのか、あるいはしないのかも判らない。少なくとも一部 は日本人の話(心象風景)であることは判る。だがすべてが日本人の話な のかどうかも不明だし、他の挿話とまったく結びつかずに放り出されて いるのは虚構の在り方としてフツウではない。

 これはまさに作者が意図したことだろうか? こういう話 を書きたかったのだろうか。

(09/30)

『翻訳の実際』 松葉菊延、エスペラント研究社

 一年前、勉強を始めて二ヶ月めくらいの頃だったら、判らないながら も熱心に読んだと思う。時期が時期なだけに、この言語を勉強し始めた 頃を思い出してちょっとした感慨を持ったりもした。その頃、入門書を 終えて、『エスペラント言語学序説』『翻訳のコツ』『初級・中級の作 文』などとともに、読みたかった本だったのだ。

 時の流れはオソロシイもので、ざっと流し読みで済ませた。一年でそ こまで習熟したり上達したりしたというわけでは決してない。和文に振っ てある注(翻訳のキモ)がエス文の対応する個所になく、対応づけがし づらいのだ。これでは手本にするにもいちいちエス文を日本語文と対応 づけながら追っていかなければならず、それは少少かったるい。それく らいなら最初からエス文だけを読んで、日本語の意味を推し量り、それ を和文エス訳の抽斗に入れる方が勉強になる。

 自分でもエスペラント文を書く。いきなりエスペラントだけで文を考 えて書くという域には遥か及ばないので、日本語で考えつつ書く。だか ら、日本語からエスペラントへの翻訳はそれなりに難しいものであるの はよく判る。が、今のところ翻訳者になる気はない。自分としては「こ れを逐語訳してもダメだ」とか「これはエスではこんな表現にするとよ さそうだ」とかいうところのアタリがつけばよいので、この本は今のぼ くには「ちょっと違う」ものだったということだろう。ま、それがこの 一年という時間を象徴しているのかも知れない。なんてね。

 もっとも、和文に注をつけた箇所のいくつかは大いに参考になった。

(09/26)

『出会いがしらのハッピー・デイズ』 小林信彦、文藝春秋、 ISBN4-16-357490-5

 週刊文春連載中の随筆の単行本化第三弾。

 六九歳になる小説家が政治に怒り、世相に失望し、わずかに残る「面 白いこと、素敵なこと」を慈しむ。ぼくにとっては「オヨヨシリーズ」 の作家、「唐獅子シリーズ」の作家、『夢の砦』や『ぼくたちの好きな 戦争』や『私説東京繁盛記』の作家がである。……読む側にもいろいろ な想いがよぎる。

 政治や経済はともかく、今やこの人の小説でさえそんなに売れないと いうんだから困ってしまう。

(09/24)

『性同一性障害』 吉永みち子、集英社新書、ISBN4-08-720020-5

 この手の問題はどうしても見過ごしたり自分には無関係のことと切り 捨てたりする気にならない。《自分もそうであった》可能性はあったわ けだし、身の回りにそういう人がいる可能性も常にある。それ以前に、 「少数派」はぼくの関心を惹いてやまないようなのだ。

 性というのは人間の「自己同一性」にとってもっとも重要なもののひ とつといっていい。もしかしたらもっとも重要なものかも知れない。性 交とかいうこと以前に個人に対して「おまえは何者なのだ」と問いかけ るのが性というもののようだ。それが、生物的な性(セックス)と社会的 な性(ジェンダー)の認識とが一致しない人がいる。自分の肉体のセック スと意識のセックスとが一致しない人がいる。もちろん古くから「半陰 陽」と呼ばれてきた肉体的に性別が不確かな人もいる。

 こういう人人を、そうであることを理由に偏見の目で見たり、劣って いると決めつけたり、できそこないのように見なすのは、差別である。 この差別は長い時間がかかってでも取り除いていかなければいけないと 思う。なぜなら、そこには優劣を定める客観的な根拠などないからだ。 「畸型」は生物である以上ある確率でどうしようもなく起こるだろうこ とであり、誰だってそうであり得たからだ。そして(それ以上に)、思う に、人間が「本能の壊れた動物」である以上、肉体の性と意識の性との 食い違いなど平気で起こり得るだろうからだ。エスペラントのri-ismo にはこの観点から賛成する。言語表現上、男性と女性とが否応なく峻別 されるのは現実的でない

 差別撤廃のための運動に参加するかどうか判らない。ただ、そういう 人が身の回りにいてもうろたえないようではありたい。

 とはいえ、自分の好きになった人がそういう人であったとか、自分を 好きだといってくれる人がそういう人だという場合に、ぼくは激しくう ろたえ、悩むだろう。女という性を好きになるのか、その人という人格 を好きになるのかという問題が突きつけられるだろう。その時にどう振 舞うかなど、その時になってみなければ判らない(まったく判らない)。 ただこれだけは言える。この問題はこれら「少数派」の人たちだけの問 題ではなく、われわれの問題、人間全体の問題だということなのだ。

(09/24)

『アンチパターン ソフトウェア危篤患者の救出』  William J. Brownほか、ソフトバンク、ISBN4-7973-0758-7

 ソフトウェアプロセスにおける数多の失敗例に見られる、「これだか らまずい」パターンを紹介したもの。パターンという用語はデザインパ ターンからとっているが、デザインにおけるパターンだけでなくプロセ ス、行動、意識、管理といった領域にまで広げて適用してみせたのが本 書の着眼。

 興味深かった。いくつかのパターンは自分自身経験しているし、自分 が実践したものもあるのはいうまでもない。また自分がとってきた対策 も思い出された。実は、パターンなど認識しなくても、然るべき時には 適切な行動がとれる筈だ、真っ直ぐ立って正面から見つめてあるべき姿 を描けていれば。この本(この手の本)は、逆に、「いま、この業界でプ ロと言えるプログラマー、ソフトウェア技術者が思うより遥かに少ない」 ということの例証でもあるのだ。

 ところで、本書には(なぜか)Lispに言及している個所が3個所ほどあ るが、どれも侮蔑的に、あるいは否定的に扱われている。筆者たちはそ うとうLispがお嫌いらしい。何かトラウマでもあるのだろうか。

(09/21)

『XP エクストリーム・プログラミング入門』 ケント・ベック、 ピアソン・エデュケーション、ISBN4-89471-275-X

 UP(Unified Process)と双璧をなす(かどうかは判らないが)、巷で 噂の開発プロセス。の入門書。

 プログラマーを主体に据え、プログラマーが気持よければうまくいく、 プログラマーをいかに気持よく仕事させるかが大事と強調している。

 しかし、これでうまく行くの、と思ってしまう。個個に述べられてい る「実践」(本書の用語)はかくべつ目新しいものではない。ぼくなども 心がけてきたものばかりと言っていい。それを全体としてまとめると夢 の開発手法になる。――どこかに仕掛けがあるのだろう。

 ちょっと疑いの目で見てしまうのは、ひとつには文書(化)を軽視して いる点。「顧客だってこの方法がよいと思えば文書化を要求しない」と 言っているが、それで済むのはごく一部のシステム、ないしごく少数の 業務分野ではないだろうか。もうひとつは、この全体を実践するにはど うすればいいのかがまだ述べられていない(この本の後続として実践編 などが翻訳されている)。実際に適用しようとしたらさまざまな問題が 随時発生する筈で、その舵取りはまさに管理の領域である。それはどの ようになされる(べき)なのだろう。

 どんなやり方だって、うまく行くならうまく行く。参加者が楽しんで 自発的に参加していればうまく行くし、参加者が自分の問題と捉えて取 り組めばうまく行くのだ。そんなに「究極の方法」とは思えない。

(09/19)

『Gramatiko de Esperanto』 Miroslav Malovec, KAVA-PECH, ISBN80-85853-47-7

 Gramatiko de Esperanto skribita per Esperanto.

 Mi estis ege atendanta gxin, cxar la provo klarigi gramatikon de iu lingvo per la lingvo mem estas interesa kaj necesa por la lingvo.

 しかし少少期待外れだったようである。

 第5章辺りまではまぁ興味を持って読んだ。いくらか教わるところも あったし、その通りと頷くところもあった。もっとも首を傾げるところ もあったが。しかし第6 章で、ぼくに言わせれば一気にぼろが出る。と いって悪ければ腰が砕ける。第6章はその名も SINTAKSO、構文と銘打っ ているのだが、読み進めるとどーもおかしい。今のこれってさっき出て きたそれと構文上どう違うの、あれとこれとは同じじゃないか、例文が 違うだけじゃないか、あるいは逆に例文が同じじゃないかなどと首をひ ねりつつ読んできたが、6.4のFRAZ-SINTAKSO でようやく気づいた。 これ、構文じゃなくてセマンティクス、semantiko、意味論じゃな いか!

 同位節(重文)のさまざまな「違い」、複文における従属節と主節との さまざまな関わりを述べてくれちゃっているのだが、それらはみな「意 味の違い」でしかないのだ。だから「違う」とされている説明で、形は 同じ名詞節(ke...)や関係詞節(kiu...とかkio...とか)がたくさん出て くる。keは名詞節を作る等位接続詞で、名詞節はほぼ名詞相当に扱える から、主語にも補語(叙述語)にも目的語にもなる。形に着目するならそ れで充分なので、こんなにくだくだしくもっともらしく「意味の違い」 について説明をこねくり回してくれる必要がない。そもそも、「意味を 考えちゃうとさまざまな分類がハテシナクできちゃうから(という理由 (だけ)ではないけど)形にのみ着目して文法を考えよう」というのが現 代言語学だったのではないか? なぜ今ごろ、こんなことをしなければ ならないのか? エスペラントの文法学はいまだ構造主義も生成文法も 形式言語理論も適用するには早すぎる、未整備の領域なのか? いやそ れにしても、構文論とうたっている章で意味論をやっちゃまずいでしょ う。

 今ごろこ〜んなことやって得意気にしているようじゃ、こりゃダメだ よ。

(09/12)

『三浦半島記 ―街道をゆく42』 司馬遼太郎、朝日文庫、ISBN4-02-264167-3

 数年前NHKで『街道をゆく』が映像化された時、三浦半島の回は見 た。また、『ヨコスカ・タウン情報「週刊アベニュー」』というメイル マガジンをとっており、その惹句の中にこの文章が引用されている。と いうところから、ちょっと読みたくなった。雑誌連載が1995年だから、 司馬遼太郎晩年の作品となる。

 司馬遼太郎は、初めて。なかなかお茶目な文章を書く人のようだ。けっ こう笑わせてくれる。出だしから三浦半島にいるのに初めのうちは伊豆 と頼朝の話ばかりしてなかなか三浦半島を歩かなかったり、目前の話題 から急に話があちこちに飛んだり。まさに「随筆」で、筆の流れるまま、 想いの赴くままに文章をものしている印象。もちろん、それだけの想念 が湧き出るほどの裏打ちがあっての「技」といえる。文章自体は素っ気 ないほど飾りがない。修辞も少ない。小説もこんな風なのだろうか。

 三浦半島を歩きながら、小説家の想いは中世へ、幕末へと飛ぶ。鎌倉 幕府の成り立ちや推移など、ぼくの知らないことを教えてくれたのは貴 重だ。「朝廷に代わる政権」などハナから考えていなかったらしい。

 「あの戦争」にも随想は及ぶ。横須賀は日本海軍のある意味「発祥の 地」だから当然そうなる。次第に現実を見失う帝国陸海軍の姿がここに も垣間見える。

(09/08)

8月

『実践UML』 クレーグ・ラーマン、ピアソン・エデュケーション、 ISBN4-09471-077-3

 一応読了。

(08/29)

『Diplomato kiu ridis』 Ralph Harry, Bookleaf Publishing, ISBN1-876042-07-3

 Gxi konsiderinde interesis min, kvankam gxi enhavas iom da tiaj fakaj(diplomatiaj) terminoj kiajn mi ne suficxe komprenis.

 「外交官秘話」とゆーか「差し障りのない回想録」。なかなか笑える 話もいくつかある。ただしその多くは「差別的」。遺憾に存じますぅ(笑)

 著者はオーストラリアの人だが、「英連邦の一員」であることを素直 に誇りに感じているようだ。オーストラリア人のメンタリティがちょっ ぴり窺える気がする。英語母語話者のエスペラント文は英語の香りがす ることも知った。

(08/28)

『私の中の日本軍』 山本七平、文藝春秋、ISBN4-16-364620-5

 A6判600ページを6日間かけて読んだが、これもまた気が滅入る本だっ た。読み進むに連れため息が漏れ、考えさせられた。

 あの戦争は紛れもなくわれわれ〈日本人〉が起こしたものだった。 そして、その〈日本人〉はまだわれわれの中にいるのだ。身の回りの 些細な出来事からもそれが感じとれる。怖い。

(08/26)

『日本サッカーの未来世紀』 後藤健夫、文春文庫、ISBN4-16-764503-3

 後藤健夫の著作が扱う時期としては、『ちょっとオフサイド』の後 (並行しつつ) から『アジア・サッカー戦記』の直前までになる。日本 サッカーの進歩の足跡を、節目になる試合の観戦記に歴史を織り込んで 綴ったもの。日本サッカーへの愛情が滲み出る本である。

 最終章には脱帽。執筆当時から8年後の2006年ワールドカップ予選の 一場面を描いている(近未来なのだ)のだが、フランス大会のことをけっ こう正確に〈予言〉している。

(08/19)

『日本陸海軍の生涯』 吉田俊雄、文春文庫、ISBN4-16-736006-3

 気が滅入る本だった。

 読むうちに情けなくなり、かなしくなる。こんな連中が「あの愚かな 戦争」をしたのだ。確かに愚かな戦争だった。

 (山本七平の著作を読むと、この軍人たちだけの問題ではなく、 日本人そのものに内在する問題なのではないかという気がしてくる)

(08/17)

『ラグビー 荒ぶる魂』 大西鉄之祐、岩波新書、ISBN4-00-430048-7

 やっぱりラグビーっていいナ、と思わせてくれる本。

 大西さんのラグビーは早稲田のラグビーであり、日本のラグビーでも あった。間違いなくそうだった。そしてぼくは早稲田のラグビー、日本 のラグビーが好きだった。つまり、大西さんのラグビーが好きだった。 今でも「展開、接近、連続」は日本ラグビーが世界と闘っていくための 根本だと思っている。

 ラグビーだけに限らず、広くものごとの捉え方(「ルールがあるとこ ろには理論がある。理論があるところには戦法がある」)、限られた資 源や戦力でことに当たる際の考え方とかが書かれている。ビジネスマン 向けでもある(笑)

(08/02)

7月

『歴史教科書 何が問題か ―徹底検証Q&A―』 小森陽一ほか編、 岩波書店、ISBN4-00-002525-2

 なにかと話題の「教科書問題」。問題の「教科書」を批判する立場か ら書かれた本は数多いが、編者小森陽一は誠実な書き手と見ているので それを信頼して買った。

 「教科書問題」についてはウェブページ用に文章をものしたのでここ ではもう触れない。

(07/25)

『サッカーQ&A ボールのないところで勝負は決まる』  湯浅健二、出版芸術社、ISBN4-88293-202-4

 プレイヤー向けの解説書と思って買ったら、違った(--;)

 でも湯浅健二の本だから、もちろん参考になった。

(07/19)

『君主論』 マキアヴェッリ、中公文庫、ISBN4-12-202272-X

 というわけで、マキアヴェッリの人となりを把握したところで『君主 論』に着手。

 時代とともに移り変わる部分を除けば、きわめてまともなことを言っ ている。まとも過ぎて拍子抜けするくらいだ。なんでこんなにまともに 現実を直視して現実に関わった本が糾弾されたのかというと、やっぱり 反動宗教改革のせい、なんだろうか。そこにあるものがないかのように 振舞う、というのは、人間なら誰でもしがちなことだけれど、いつまで もナイーブでいていいってものではないだろう。

(07/18)

『[市販本]新しい歴史教科書』 西尾幹二ほか13名、扶桑社、ISBN4-594-03155-2

 なにかと話題の「教科書問題」。当事者たる本が市販されたというの で買ってみた。

 なかなかに興味深い本であった。これについてはウェブページ用に文 章をものしたのでここではもう触れない。

(07/12)

『わが友マキアヴェッリ』 塩野七生、中央公論社、ISBN4-12-001612-9

 京都の赤尾照文堂という古本屋で発見、確保。

 マキアヴェッリといえば君主論、マキアヴェリズム、すこぶる評判の 悪い政治思想家である。ぼくも昔はあまり好きではなかった。それが興 味を抱くようになったのは、塩野七生と出逢ってからだ。

 以前に同じ作者の『マキアヴェッリ語録』は読んでいたし(本書を読 む気力はなかったので、こちらにした)、塩野七生には「現実的である こと(現実を見据えること)」「冷徹であること」を教わってきたし、氏 が時折マキアヴェッリに触れるところからもこの人物には興味が出て来 たし、この本もいつか読みたかった。さいきんエスペラントの人人と接 触するようになり、「思想性」自体はけっこうだけれど現実を軽んじる かのような傾向がそこはかとなく感じられて、同時に「思想性のなさ」 を低く見るような傾向もちょっと感じていて、こりゃあもう今読むしか ないじゃん。でも探すと、ない。中公文庫なのだが、去年だか倒産した から、在庫を整理しているのかも知れない。

 京都に行った折、どこかで見つけたら買おうと決めていて、見つけた ので買った。正直文庫の方がよかったけど、ま、仕方ない。

 『わが友マキアヴェッリ』は、しかし、マキアヴェッリの思想を解説 したものではなかった。十五世紀フィレンツェのこの政治思想家が、ど んな家庭に生まれ、どんな育ち方をし、どんな仕事をし、何を見て何を 考え、どんな運命に振り回されてどう生きたかを、丹念に、客観的に追っ ている。でもそれがよかった。十五世紀後半のフィレンツェという都市 国家のありさま、イタリアの状況、取り巻く国々の思惑がつかめた。そ ういう時代だからこそマキアヴェッリの思想が生まれたこともよく判っ た。

 巻末で作者は問いかける。「読み終えた今、あなたにとってもマキア ヴェッリは『わが友』になったでしょうか」。

 もちろんだ。

(07/04)

6月

『家族漂流』 小林信彦、文春文庫、ISBN4-16-725604-5

 小林信彦1970年代半ばの、〈裏〉の作品群。〈裏〉といっては作者に 失礼だけれど、ぼくにとっては「オヨヨ大統領」シリーズ、「唐獅子株 式会社」シリーズの方が印象が強いし好きなので。

 だからこれらの作品も、当時はちょっと読みかけたものの「重い」の で止めてしまった。今回読むと、この作者の(1980年代以降の傾向とも 違う)別の一面が垣間見えるし、それなりに面白く読める。

 京都に向かう新幹線の中で読了。末尾の作品の中でちょうど京都の場 面があったりして、その暗合も面白かった。

(06/30)

『四人はなぜ死んだのか』 三好万季、文春文庫、ISBN4-16-765608-6

 ずっと読みたかった本。でも、単行本に未収録の文章もあるし、加筆 されているから、結果的には文庫を待ってよかった。

 例の(といってももう誰も話題にしなくなったが)「和歌山毒入りカ レー事件」を、リアルタイムに、十五歳の少女ならではの(笑)素直で曇 りのない視線で追いかけ、死者が出たのは(犯人たちが一番悪いのはお いておいて)医療ミスもあった、ということを突き止め、告発したもの。 調査に当たって「インターネットを駆使した」ということでも話題になっ たそうだし、文藝春秋に掲載された上文春読者賞を受賞したことでも話 題になったそうだ。(「インターネットを駆使した」は、間違いではな いけれど、「ウェブを駆使した」「電子メイルを活用した」と、ちゃん と書いて欲しいな)

 ともあれ、常識や「当局の発表」や「マスコミの報道」といった〈権 威〉〈通念〉に惑わされないこの視線、そして執念には脱帽。われわれ はこの人の視点、視線、行動力を見習うべきだろう。

(06/25)

『「量子論」を楽しむ本』 佐藤勝彦・監修、PHP文庫、ISBN4-569-57390-8

 本屋で見かけて面白そうなので買った。量子論はジツハよく判らない 代物だったのだ。

 おかげで、だいたいのところは判った。というか、判らなかった(笑)。 物質というものが究極のミクロの世界では「あやふやさ」に支配されている というのは、衝撃的ではあるかも知れないけれど、でもそんなに驚くほどの ことはないのではないかという気もする。

(06/22)

『スポーツの世紀6 名勝負の世紀』 ベースボールマガジン社、 ISBN4-

 サッカーというスポーツについては、ほとんど1993年以降のことしか 知らない。だからこういうものが出るとつい買ってしまう。

(06/19)

『<超>読書法』 小林信彦、文春文庫、ISBN4-16-725608-8

 文庫化の際に加えられた部分を除けば、前に単行本で読んだかなぁ。 読んだかも知れない。

(06/16)

『七十五羽の烏』 都築道夫、光文社文庫、ISBN4-

 「都築ワールド」を堪能。

 ちょっと実験的な匂いがする。

(06/12)

『エスペラント前置詞略解』 小坂狷二、日本エスペラント学会

 やっと読了。5ヶ月くらいかかった。こういうのは一気に読まなけれ ばならない。初めの方の内容は忘れている(苦笑)

 エスペラントの前置詞全33個について、その原義と転義を豊富な用例 で詳しく解説した本。表題は「略解」だがこれは謙遜で、これほど詳し い解説書は(少なくとも日本語では)他にないのではないか。前置詞と 副詞がこの言語の「肝」ないし「要」とぼくは睨んでいるのだが、この 言語を使いこなすなら本書は必読だろう(読めば使いこなせる、という わけではない)。

(06/12)

『Karnavalo』 Lina Gabriello, International Center of Arts

 最初はとっつきが悪かったが、慣れたら読みやすい文章だ。内容は…… 自伝的作品というのか、「私」が経験したいくつかの恋愛のお話。

(06/11)

5月

『Esenco kaj estonteco de la ideo de lingvo internacia』  L.L.Zamenhof、TEKo

 『まるごとエスペラント文法』の著者に、メイルで質問した際勧めら れて読んでみることにしたもの。

 読み始めたのは4月16日以降だと思う。B6版60ページ程度の冊子なの に、一ヶ月以上もかかってしまった。書かれていることはそんなに難し いことではない。文章がひどく読みづらいのだ(ぼくには)。

 ザメンホフの文体なんだろうと思うが、やたらと倒置法を多用してい る。それも目的語句ならばまだしも、前置詞句を動詞の前に出すのだ。 これが、ぼくにとっては文を追う妨げになった。やはり前置詞は動詞の 後に置かれてこそ本来の姿なんじゃないかと思った。

 内容面については、言うことはない。まぁそうですよね、ということ を言っている。もちろん、エスペラントの創案者だから、エスペラント を強く推している。だいたいは妥当だと思う。

(05/26)

『ワールドカップ 1930-2002』 後藤健生、文春文庫、ISBN4-12-203832-4

 後藤健生によるワールドカップ通史。

 解説者も述べているが、単なるスポーツの側面だけでなく、国際政治 や民族史などと関係づけて論じるのがこの人の特質であり、持ち味。

(05/25)

『さようなら、ギャングたち』 高橋源一郎、講談社文芸文庫、ISBN4-

 初読ではない。約二十年ぶりの再読だが、二十年経ってるなら初読扱 い……じゃだめ?

 やっぱりすごいや。うちのめされそうだ。

(05/21)

『楕円球の詩』 林敏之、ベースボールマガジン社、ISBN4-583-03380-X

 林敏之の面目躍如って感じの、半生記。

 本人が書いてるんだろうなぁと思わせる。そういう文章であり、筆致 である。

 この人はぼくと同世代であり(1960年生まれ)、ぼくがラグビーに熱 中していた頃に日本ラグビーの中心にいた人だから、語られる逸話たち はとりわけ興味深い。

(05/17)

『ワールドカップの世紀』 後藤健生、文春文庫、ISBN4-16-764502-5

 後藤健生はやっぱりいい。これから「リアリズムの人」と呼ぼう。

 サッカーを語るのに妙な思い入れなんかいらないので、しかし巷には 思い入れ過剰の言説が溢れ返っているので、こういう醒めた視線はすご くうれしい。作者も折に触れて語っているとおり、「うまく行くことも あるし、行かないこともある。勝つ可能性を極限まで高めても、運が見 放すこともある。でも諦めずに地道な努力を重ねれば、いずれは実力ど おりの結果が出る」これがサッカーというスポーツの本質であり、面白 さではないか。この点を無視して思い入れをほとばしらせても意味がな いだろう。

(05/14)

『サッカーの世紀』 後藤健生、文春文庫、ISBN4-16-764501-7

 後藤健夫がよいのは、視線がリアリズムだから。リアリズムの視点か ら醒めた目でサッカーを、サッカーに纏わるものごとを見ている。妙な 熱狂もないし、奇異な思い入れもない。あるのかも知れないが少なくと もこのような随筆を書く時には表に出てこない。

(05/12)

4月

『ちょっとオフサイド』 後藤健生、学習研究社、ISBN4-05-401375-9

 後藤健生さんは、サッカー関係の書き手の中でもっとも信頼する書き 手のひとりである。

 本書は著作活動を始めた最初期の作品のようだが、当時から主張の骨 格、視点、論評のスタイルが変わっていないことが判る。なるほどと頷 くこと多し。

 なんといっても眼差しがクールなのがよろしい。ジャーナリストとは こうでなければなるまい。

(04/27)

『文法の散歩道』 小西岳、日本エスペラント図書刊行会

 参考になる指摘が何箇所かにあった。

 エスペラントはエスペラントなりに〈難しい〉言語だと思う。なぜか ということは今時間を見つけて思弁中。

(04/16)

『ある異常体験者の偏見』 山本七平、文藝春秋、ISBN4-

 塩野七生が『ローマの街角から』の中で、「(日本が行なったあの) 戦争について勉強するならこれを読め」と勧めていたので買ったもの。 塩野七生は三作勧めていたが、そのうちの二作、表題作と『一下級将校 が見た帝国陸軍』を収録。

 折しも、教科書検定で「新しい歴史教科書を作る会」とかいうのが作っ た社会科教科書が韓国や中国から非難を食らっている状況であり、時宜 を得た読書となった。

 読んでよかった。もっと早く読んでおくべきだった。日本(軍)の戦争 というものが「ナッテナイ」ということは、塩野七生『ローマ人の物語』 から感じていたが(たしか著者が作中で批評ないし対比めいたことを書 いていると思う)、いや、これほどまでに組織の体をなしていないとは 驚いた。「人道的」観点、反戦思想などは鬱陶しいので切り離して考え ても、あらゆる意味であの戦争は「やってはならない戦争」だったのだ と思う。

 そして、しかし、山本七平は、日本軍だけの問題ではないのだという。 日本人が心の奥底に抱えている問題が軍という組織に、あの戦争に噴き 出たのではないかということを言っている。これは辛い認識だ。岸田秀 の「日本を精神分析する」に通底しているようにも思えた。

 それでなくとも、読んでいて、軍や戦争にだけ当てはまることではな いなと感じていた。勝どきのあの連中の顔や言動が頭をよぎったことは 一度や二度ではない。

(04/15)

『インド夜想曲』 アントーニ・タブッキ、白水社uブックス、ISBN4-

 最後のはぐらかしには励まされる(^^)

(04/11)

『覗く人』 ロブ=グリエ、講談社学術文庫、ISBN4-

 初期の作品ゆえか、もうひとつの特徴である「仄かなエロティシズム」 は窺えるものの、執拗な繰り返し{ルプリーズ}・その度に変化する描写・ 無機的に見える世界といった「ロブ=グリエらしさ」はあまり見られな い。

 いつまで経っても例の有名な「物陰(ブラインド越しだったかな)か ら注視する場面」が出て来ないなぁと思っていたら、それは『嫉妬』だっ た。作品を間違えていた(^^;)

(04/06)

3月

『アギャキャーマン』 谷岡ヤスジ、実業之日本社、ISBN4-

 『天才の証明』(同社、ISBN4-)に続き、谷岡ヤスジはやっぱり凄い 人だったんだ、と、改めて確認。納得。堪能。

(03/11)

『もう安心』 とり・みき、イーストプレス、ISBN4-

 とり・みきの名もぼくの(知的)生活圏内では見かけなくなってしまっ たが、相変わらず面白い。この発想、この語り口、このばらし方、尊敬 に値するな。

(03/07)

2月

『La Septaga murdenigmo』 、、ISBN4-

(02/27)

『もしもし』 ニコルソン・ベイカー、白水uブックス、ISBN4-

 ちょっと「電話体小説」に興味があったので。

(02/23)

『日本語のしくみがわかる本』 町田健、研究社出版、ISBN4-327-38442-9

 町田健は『生成文法がわかる本』(同社、ISBN4-327-37680-9)で好 感を持った。難しい内容を噛み砕いて説明する手腕は波大抵ではないと 思う。

 そういう人が日本語の文法を論じるというので買った。

(02/06)

『Asteriks cxe la Olimpiaj Ludoj』 、、ISBN4-

(02/03)

1月

『すぐに打てる九路盤』 梅沢由香里、NHK出版、ISBN4-

 今さら九路盤でもないだろうと思いつつ、梅沢由香里四段がせっかく 書いたのだからと読んでみた。

 今さら九路盤でもというのはマチガイ。九路盤からやり直さなくちゃ と思った。

(01/30)

『続・ハッブル宇宙望遠鏡が見た宇宙)』 、岩波新書、ISBN4-

(01/29)

『日本語の起源(新版)』 大野晋、岩波新書、ISBN4-

(01/25)

『Asteriks kaj Kleopatra』 、、ISBN4-

(01/24)

『エスペラント 接続詞の用法』 小坂狷二、JEI、ISBN4-

(01/24)

『Raportj el Japanioj』 堀泰雄、リブロテーコ東京、ISBN4-947728-18-3

 エスペラント語に限らず、たくさんの文章を読み込まなければの「読 む力」はつかない。でも、つまらない文章は読む気にならない。その点、 自分の知っている事柄なら、自分の記憶や感想などと対比させながら読 めるだろうし、判らない単語があったとしてもなんとか類推させてそこ で躓かずに先に進めそうな気がする。

 本書はそういう目的にうってつけ。1991年から1997年までのこの国で 実際にあった出来事を綴った文章からなっている。知らないことを読む のに比べればやはり読みやすいから勉強になるし、当時の記憶、当時の この国を振り返る役にも立つ。(それにしても十年前の姿から比べると、 この国はなんと変わってしまったのだろう)

(01/21)

『まるごとエスペラント文法』 藤巻謙一、JEI、ISBN4-947728-18-3

 日本語で読める、エスペラント文法を系統的に記述した本が少ない中、 これはうれしい本である。見つけて即座に買い求め、貪り読んだ。

 「エスペラントの文法は〈合理的〉につくられている」と言う人が多 い(ように感じる)が、この本を読むと、また他の資料からの印象も総 合すると、そんなに〈合理的〉ではないと思う。あちこちに〈不合理〉 だなぁと感じるところがある。もちろん、自然言語なのだから〈不合理〉 な点がたくさんあっておかしくないし、ほかの民族語に比べれば〈合理 的〉なのかも知れないけれど、比較級は比較級に過ぎない。この文法だ けをみて、「うむ。きわめて〈合理的〉にデザインされた優れた文法だ」 と評価する気にはならない。

 もちろん、「だからダメだ」と言う気もない。ただ、「エスペラント は〈合理的〉」という言説には大いに疑問を感じるし、止めた方がいい と思う。

(01/18)

『消えた言葉』 橋本治・編、アルク、ISBN4-947728-18-3

(01/10)

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