一切衆生の異の苦を受くるは、悉くこれ日蓮一人の苦なるべし。
(日蓮聖人寿量品御義)
大聖人の此の悲壮なる御慈念に対し、誰れか感激しない者がありましょうか。
立正安国の聖者日蓮聖人の御法難、尊くも又、ありがたく、唯涙を以て合掌唱
題、報恩の誠を竭くすべきであると思います。 戦後に於ける日蓮門下の真のあり
方に就いて、まどい、ためらっていた人々が、一日も速く、起ち上る日を待ってい
たことは事実でありました。
その求めるところは
日蓮聖人に還へる
つまり日蓮大聖人に直接お仕へして、お魂に触れるということでした。これに
よって我れも生き、他をも導くということが肝心なのです。それには
日蓮が弟子檀那等は此の山を本として参るべし。
これ即ち霊山の契りなり。
(波木井殿御書)
との御遺誠を守り、身延の御廟を中心として出発、門下が一せいにお題目を唱え
て立ち上がることです。 議論も理窟も暫く措いて、身と心と共に大聖人に御仕えしましょう。
これが日蓮教団の成立した所以です。
(昭和三十三年発行の「日蓮教団の御案内」より、原文のまま) |