6.神戸市東灘区住吉南町4の西側道標

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神戸市東灘区住吉南町4丁目6−23 東西の道と南北の道が交差する四辻の南西部やや西に北を正面に建つ
(国道43号線南側、呉田会館北側植込み。東5mに「住吉南町4の東側道標」がある。)
山型角柱 66x24.5x17p(頂高5p)(台石18x71x70p)
N34.710849 E135.262494


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北面
┌─―――――――――――――――――┐
│住吉大明(神)           │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 兵(庫道)           │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│左 大(阪道)           │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では東灘区11)
(この道標も、東側の道標と同じく、東から見て左大坂は南を指し、西から見て右兵庫も南を指す。同一方向を示す
 のはおかしいので正面から見て左右を案内するとし、住吉大明神の北側で北面して右(西)兵庫、左(東)大坂を
 案内するものであろう。東側道標と異なるのは大明神の北側にある点で、二基でその役目を果たすものと思う。
  東にある道標解説板に此方を古い道標とするが、ほぼ同じ頃のもではないか。四角の石の欠け具合は確かに此方
 の方が多く下部の欠損も含め、設置場所の交通量の多さが影響していると思われ、新旧判定には使えない。むしろ
 石頭頂部の形状が山型である事を考えると逆も有り得るか。)
(「住吉大明神」が「御旅所」を示すものとして、道の状況は「東側の道標」を参照頂くとして、当道標は北側入口
 に建っていたものとすると、ほぼ元の位置にあると思われる。)
(明治の地図からの想像で交通量を考えてみた。
  当道標の東の辻を北に続く道は、200mで西国街道(現阪神電車)を横切り住吉神社の東で旧西國街道を横切り
 住吉川沿いの「ととや道」に続いている。住吉川には水車が数多く見られ、当辻の南側には多くの酒造所があった
 と考える。酒造りには多くの精米済みのコメを必要とし、灘の酒を繁栄させた要因の一つがこの水車である。依っ
 て、この東側の道は多くの荷車が通過したと考える。一方南側の道標が有ったとした地点は南北の道が一本西に有
 り「ととや道」に直結していないように見え、人は通ったとしても石に傷をつける程ではないと思う。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を東に望む
 右側(北)43号線  建物後ろ右、海岸へ  左(北)43号線
 奥物置前に当道標】  背後は43号線】  右手前、当道標】

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【4.道標東面拡大 【5.道標北面拡大 【6.道標西面拡大
 「左大阪」か  「住吉大明神」  「右兵庫」
 「左大坂」であろう】  であろう】  であろう】

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【7.道標上部より見下す 【8.東西道標の間に建つ
 頭頂部は山型  「呉田会館前の道標」
 家なら切妻型か】  案内板】

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【9.神戸市東部の道標】
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