神戸市東灘区住吉南町4丁目6−23 東西の道と南北の道が交差する四辻の南西部やや南に東を正面に建つ
(国道43号線南側の呉田会館東側入口北側。西5mに「住吉南町4の西側道標」がある。)
尖頭型角柱 138x25.5x25p(頂高10p)
N34.710782 E135.262551




東面
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│右 西宮大阪道 │
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北面
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│住吉大明神社 │
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西面
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│左 兵庫明石道 │
└――――――――――――――――――――┘
南面
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│ 竹谷氏重兵(衛) │
│嘉永四年亥春三月建之 増田屋民五(郎) │
│ 仝 治郎兵(衛)│
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(( )部は『神戸の道標』より)
(嘉永四(辛亥)年三月1日とすると、西暦1851年4月2日水曜日となる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では東灘区10)
(同書に「戦前…住吉神社のお旅所に…立っていたが、…五十五年になって現地に再建」とある。)
(現道標を東から見て「右西宮大阪」は北、西から見て「左兵庫明石」も北を指す、左右が同一方角を示すのはおか
しく、正面から見て、右、左を示すと考えれば、住吉大明神の南部にあり右(西)西宮大阪、左(東)兵庫明石を
を案内していると考えられる。住吉大明神社を現在の御旅所、東灘区住吉南町1丁目14−13の南側、
N34.708888 E135.262534
と考えそうであるが、昭和44年発行の地図で、現在(2020)の市立老人福祉施設住吉南町デイサービスセンター
の辺りに「鳥居」神社の記号が見え、
N34.710534 E135.262482
辺りになろうか、此処が道標の示す「住吉大明神社」であったのではないかと思う。現在地から30m程南である。
此処を明治の地図で見ると、御影町の東側にこの一角だけ建物が無い部分に当たり、それに北側で接する東西の道
は、東の魚崎村から西の乙女塚南までほぼ一直線に続く表通りの様に見え、ほぼ現在の43号線に沿っている。南
で接する東西の道は当道標から30m南の道と思われる。前述の如く当道標は神社南部にあったとして
N34.709687 E135.261963
東灘区住吉南町4丁目6−5の四辻に南面(180度回転)して建っていたと考える。)
(道標北横の解説板に「住吉神社御旅所に建っていた旧西国街道の道標」とある「旧西国街道」がどの道か明確では
ないが、一応全文を載せておく。
呉田会館前の道標
住吉神社の御旅所に建っていた旧
西国街道の道標。嘉永4年と記さ
れているが、江戸時代は大阪を「大坂」
と記しており、おそらく後世に再建
されたものと思われる。建物北側に
古い道標の上部が残っている。
東灘歴史掘り起こし隊
東灘区役所
この中に書かれている、「大阪/大坂」による時代考証は不要であろう。例「高槻市富田町4の道標」
建物北側の古い道標は「東灘区住吉南町4の西側道標」であろう。)
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【1.道標を西に望む |
【2.道標を南に望む |
【3.道標を東に望む |
奥(西)神戸へ |
左奥(南)海岸へ |
左(北)43号線 |
背後、西宮大阪へ】 |
背後は43号線】 |
当道標は唐棕櫚の裏】 |
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【4.道標東面拡大 |
【5.道標北面拡大 |
【6.道標西面上部 |
「右西宮大阪道」 |
「住吉大明神社」 |
「左兵庫…」 |
と読める】 |
と読める】 |
と読める】 |
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【7.道標南面上部 |
【8.元位置とした辻を |
【9.道標西面下部 |
「嘉永四年亥春三月…」 |
北西に望む |
「…明石道」 |
と読める】 |
右奥(北)43号へ】 |
と読める】 |
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【10.道標南面下部 |
【11.東西道標の間に建つ |
施主と思われる |
「呉田会館前の道標」 |
三名が読める】 |
案内板】 |
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【12.神戸市東部の道標】 |
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