13.神戸市灘区大和町4の道標

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神戸市灘区大和町4丁目5−5 徳井神社境内の南西部(鳥居の西側)に北を正面に建つ
(国道2号徳井交差点を北へ県道95号、JR東海道線から一本南の交差点を西に50m北側、(徳井交差点からは420m))
自然石 76x79x35p
N34.717336 E135.243796


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北面
┌─―――――――――――――――――┐
│右まや山みち            │
└――――――――――――――――――┘

西面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区6)
(「まや山みち」は摩耶山刀利天上寺を示すとして問題は無いと思う。同寺については国立国会図書館デジタルアー
 カイブの『攝津名所圖會』. [11]のコマ番号48、49に絵が、同、コマ番号50に説明がある。
 これによると参詣道は上野村から出ており案内文も「上野村の上方に有り、坂口の焔魔堂から18丁(1960m)、
 一丁毎に標石あり」とある。この他「焔魔堂は十王山光明寺のこと」とする資料も参考にして、今の摩耶山登山道
 (摩耶ケーブル駅西側)の「上野道の案内図」の足元にある十七丁丁石の移設が無いものとして一丁手前とすると
 箕岡通4丁目4
N34.719672 E135.215425
 辺りが参道入口であったとなり、明治の地図でも参道口らしい三ツ辻がある。
 そこに行くには、この徳井神社辺りからは取り敢えず、八幡村を目指して行くものと思われる。)
(現在(2020)では神社の境内南部に北面して立っており、移設されている事は間違いない。元位置を考えてみる。
  明治の地図で見ると、御影、石屋、東明、或いは西国街道を東から来た人にとって摩耶山への最短道は徳井から
 八幡へのコースで、当地は徳井と八幡の丁度中間辺りとなり、南の徳井から来た道が神社前で西に曲がり、50mで
 北向き地蔵への小径が分岐し、150m先が北向き地蔵の一本西の辻へ出る三ツ辻で間道はここを北に曲がっている。
 この三ツ辻の西へは高羽川を渡る小径が続きこれも八幡村に続くが今は残っておらず畦道程度であったか。
  依って、西150m(現在はJRの高架下又は南)の
N34.717249 E135.242276
 辺りの三ツ辻に東向きに立っていて、右は北を指していたと思う。北向き地蔵の一本西の辻迄は300m弱でそこを
 左(西)に折れ300m程で八幡村に入り「八幡町交番南の道標」の辻に出る。
  尚、『神戸の道標』にある蜀山人の見た石はこれかとあるが、一王山十善寺へ八丁の石より前に書かれているこ
 とから、もしそれが事実なら直線で600m以上も離れた地点からの移設となり、小説としては面白いが、どうか。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を西に望む
 左玉垣の  奥、徳井4丁目  奥(西)大和公園へ
 背後に当道標】  右に当道標】  公園北が元位置か】

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【4.道標を南東に望む 【5.道標北面拡大 【6.道標上部を南に望む
 右当道標、左は  「右まや山みち」  大きな石であり
 殿下御登山紀念碑】  摩耶山は山号か】  大きな辻に有ったか】

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【7.神戸市東部の道標】
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