10.神戸市灘区八幡町交番南の道標

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神戸市灘区八幡町2−10−21 阪急六甲駅東側の八幡本通りを南東へ270m、五つ辻の北部に南を正面に建つ
(八幡交番の南)
自然石 131x123x33p
N34.718917 E135.237548


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 住吉西宮            │
│      道           │
│左 有馬三田            │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│春く まや山            │
└――――――――――――――――――┘
(「春」は変体仮名「す」)

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区7)
(案内の内容から、元建っていた時は現南面が西面していたであろうと考える。有馬三田が北の六甲山越えを示すの
 は間違いないと思えるからである。現在地の状況を過去に遡ってみると、明治の地図では学校の東を南北に通る直
 線道で辻は見えず、大正12年測量の地図でも、現在地の30m南の四辻が描かれているだけである。昭和24年発
 行の地図でも、当地点から北西六甲駅への道は確認できない。当地点から北西への道が出来たのは、昭和42年改
 測地図からでこの時点では大きな三ツ辻と成っている。
  次に「右住吉西宮」へは最短距離ならほぼ東へとなるが、昭和24年地図までは辻が無く、現在でこそ細い道が
 東北東にあるがこれも適さないであろう。とすれば昭和24年以前の建立となれば、南30mの辻を東北東へ「北向
 き地蔵」に通じる道か、或いは南120mの辻かになるがこの南120m辻は大正12年測図の地図で初めて確認できる。
  明治期以降の建立でなければ、南30m
N34.718702 E135.237899
 の四辻北東部(灘区八幡町1丁目5−6南西部)に現南面を西面して置かれていたと考えるしかない。
 現在(2020)では交差点が拡幅され一つの交差点の様になってしまっている。
  又、マンション工事中の一時期、撤去されていた事実はある。)
(元位置の考察で建設時期を明治期迄としたが、根拠は何もありません。強いて言うなら変体仮名を使っている事で
 あるが、見た目は非常に新しく感じられる。)
(東に「高徳町4の道標」、西に「八幡町3の道標」、一本南の道に「八幡町3南福寺地蔵の道標」がある。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を東に望む
 右奥、阪急高羽踏切へ  右端、交番入口  右(南)JR六甲道駅へ
 左(北西)六甲駅へ】  その左、当道標】  奥路地は直に突当り】

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【4.道標南面拡大 【5.道標東面拡大 【6.元位置?地点を南東に望む
 この位置で右は  「春く まや山」  左奥、北向き地蔵へ
 六甲山に登るが】  はどの道を指すか】  右奥(南)JR六甲道へ】

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【10.神戸市東部の道標】
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