11.神戸市灘区高徳町4の道標

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神戸市灘区高徳町4丁目5-16 東西の道の南側、北向き地蔵祠の西側に北東を正面に建つ
(県道95と山手幹線の弓木町4交差点の北160mの交差点を西に120m、(公園の北西四辻から20m西)、道の南側)
(多数の地蔵とともに建つ内の北から10番目)
地蔵光背型 35x31x8㎝(像20x9x2㎝)
N34.719944 E135.241936


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北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│    すくとかまや(へ)     │
│(梵字)(地蔵像)         │
│    これより一(り)      │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)
(「とか」の「か」は変体仮名「可」か
  とか=都賀、まや=摩耶であろう。)

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区№5)
(同書には高さ68㎝とあり全体が写る写真も掲載されているが、現在(2020)はセメントで埋められ残念な状態であ
 り、下部が確認できない。近辺の地名から「とか、まや」を「都賀、摩耶」とし、現地点から都賀の集落(六甲小
 学校南西角)までは860m、その後の経路は同定し難いが神戸将軍郵便局の北辺りに残る旧道跡等、最短経路を想定
 すると摩耶山刀利天上寺まで5km程度と思われ、左側の「一里」は案内の常として短くても良しと出来る。)
(当道標の東西の道筋の東には「高徳町2の道標」、西には「八幡町交番南の道標」が残っている。この道をこの東に
 ある公園の解説板では「徳川道」としているが、一般には通用した事もない名称であろう。
  尚、東「高徳町2の道標」の案内もこれと同じく「とかまやミち」とあり形状だけでなく、仮名ではあるが筆跡も
 よく似ている。)
(案内がある事は辻に立っていた事を示し、元位置はこの東の辻で近接移設としたいが、沢山の石が集められている
 ことから一概に決定出来ない。移設としておく。)
(摩耶山については、「大和町4の道標」を参照下さい。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標北より東を望む
 中央に北向き地蔵  奥(西)都賀へ  右に地蔵群、辻南東に公園
 当道標は右側に並ぶ】  前垂れ無が当道標】  その東に高匠中学校】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標北東面拡大 【6.道標北東面下部
 右端北向き地蔵碑  像部20x9x2㎝  左右の石と高さを
 祠右二番目当地蔵】  頭部6.5x5x2㎝】  合す為深く埋めたか】

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【7.道標北東面左部 【8.道標北東面右部 【9.筆跡も似ている
 「これより一」  「すくとかまや」  高徳町2の道標の
 と読める】  と読んだが】  「…とか…」部分】

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【10.神戸市東部の道標】
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