14.尼崎市下坂部2丁目道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
尼崎市下坂部2丁目14 蓮生寺北側南北の道に東側から突き当たる三叉路の突き当たり西側に建つ
(次屋を出て、下坂部に入り西折れして、此処で北に折れる道が、有馬道間道であろう)
山形角柱 69x東面22x12p(頂高5p)
N34.741029 E135.433643


写真cimg0437

写真cimg6226

写真eimg0114

写真eimg0110  写真cimg6231

東面
┌─――――――――――――――――┐
│右中山有馬            │
│      道          │
│左尼崎              │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│施主 當村 釈教圓        │
│      重兵衛        │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│左神崎大坂道           │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│(文)久三癸亥八月        │
└―――――――――――――――――┘
(「癸亥」の歳の候補は、天和三年、寛保三年、享和三年、文久三年)


(文久3年8月1日とすると、西暦1863年9月13日日曜日となり、その他は、60年づつ遡る。)
(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では12、「施主 釈教圓」を「釈教園」とするは誤植か。)
(有馬道は、大坂高麗橋より、有馬への道であるが、神崎の渡しを渡って後、神崎の集落を北に抜けた地点
 (「6.尼崎市神崎町12の道標」がある)で、北と西に分岐しており、北が本筋、西が間道とされ、
 この間道は、次屋、下坂部、久々知、上坂部、塚口の各集落の中を、紆余曲折しながら辿る、生活道の様
 を呈しており、本筋の有馬道対して道が判りにくく、その為多くの道標が設置されており、現在に残る結
 果となったようである。この道標などはすぐ北に電柱があり邪魔になって仕方が無いと思いきや、写真で
 見ると、擦り傷が沢山見え、まるで道標を守っている感がある。それはさて置き。
  当道標の東40mには、現代の「有馬道」の石標も建ち、有馬道間道としての当道標の各面の案内を見
 た場合に不都合は見られず、移設は無かったと思われる。
 東面、「左尼崎」も蓮生寺に突き当り、西に回り込み、潮江の集落を過ぎ、現JR尼崎駅を越えて長洲の
 尼崎/伊丹道に合流後、大物に到るので、問題はない。)
(西面の記銘年は、目視及び指では確認できなかったが、写真で判読した。)

写真eimg0101 写真eimg0103 写真eimg0104 写真eimg0119
【1.道標を西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北に望む 【4.当道標の東40mに建つ
 電柱左に当道標  奥(南)突当りの寺を  奥(北)有馬道間道を  現代の石標を南に望む
 右(北)久々知へ】  西回込み、潮江、長洲へ】  久々知、下坂部へ】  「有馬道」とある】

写真eimg0017
【5.尼崎の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ