9.伊丹市荒牧三丁目の道標

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伊丹市荒牧3丁目5の大坂道(中山道)(南北)と池田ー宝塚(京伏見街道)(東西)の四辻の
南東角に北を正面にして建つ
尖頭型角柱(竜山石) 79x17x11p(頂高3p)
N34.811745 E135.37875


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北面
┌─――――――――――――――┐
│           伊丹  │
│(地蔵像の下に)左     道│
│           大坂  │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│右 中山道          │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│荒牧利兵衛          │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│     池田        │
│すぐ      道      │
│     京         │
└―――――――――――――――┘




(『広報いたみ』昭和56年2月15日号に
「荒牧利兵衛さんの子孫は○○○○氏で当主の四代前の利兵衛さんがその人で
 百五十年程前の天保年間の建立と推定される。庄屋をつとめられた有徳の士で
 その先代の利兵衛さんは木綿屋の屋号で豪商であった。」とあるが、
 年代推定の根拠が示されていないのは残念である。)
(江戸時代、伊丹は酒造業が盛んで、酒を絞る為の袋が木綿製で、需要が大きかったらしい。)

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【1.荒牧3丁目の現存道標】 【2.博物館の街道と道標地図】 【3.伊丹北部の道標】

(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』では、「かっては三基もの道標が建っていた」とあり、一基は市立博物館にある。
 下は博物館収蔵E(三基の内の一つ)の道標、又、「願主大坂梅ヶ枝町 中やちく」銘の道標は不明である。)
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【4.左面】 【5.正面】 【6.右面】
 詳細は、8.伊丹市荒牧3文政十二年の道標を参照。
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