3.尼崎市大庄西町から移設の道標

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尼崎市北城内27の尼崎市中央図書館の東空地に建っていたが、2017年6月現在、城建設工事により不明。
尖頭型角柱 (高101、幅22、厚16pとする資料あり。)
N34.71610 E135.41837


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西面
┌─――――――――――――――――┐
│  西宮             │
│右    道           │
│  兵庫             │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│  尼嵜             │
│左    道           │
│  大坂             │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│天保七申年正月          │
│ 世話人神楽音五兵衛       │
└―――――――――――――――――┘


(天保七年(丙申)正月一日なら、西暦1836年2月17日水曜日となる。)
(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では26、個人宅からの寄贈とある。)
(「元々は西新田村の中の曲がり角、武庫川の岸近くに立っていたと思われる。」と(尼崎のみちしるべ)にある。
 北側フェンスにある説明板にも、
 「現在の大庄西町
 あたりの中国街道の曲がり角に立っていたもので、」とある。
 東から進んで来た道が北に折れる地点で、
 正面に建っていれば、右(北)が西宮を指していてもよい。
 この時北面に「左尼崎」とあれば、東を指すので、案内が道と一致する。
 明治42年測図の地図で見ると、中国街道が東から来て、武庫川の直前で>
 北に折れ、堤防上に出た後、西に渡るように描かれている。(現、武庫川橋東詰め交叉点の北)
 よって、現在「雉が坂」の案内板がある辺りと思われる。
N34.721893 E135.385617
 単に曲がり道だけなら、道しるべをおく必要はないが、ここに置いたのは、南にも分岐する道があった為か?
 (明治の地図では南北に細道が描かれおり、案内板には、下写真3で右折し堤防上へと記されている。)
  又、「岸近く」にこだわらず、国道2号線大島から南下する、県道192号線が、中国街道に突き当たる三叉路
N34.721767 E135.387566
 に建っていたとするなら、
 現南面を、北面させると、「左、尼崎・大坂」方面はよいが、東面に来る、「右、西宮…」が苦しい。
 これは、この東の大庄小学校の南西の辻(現、「31.大庄村道路元標」の西)
N34.721682 E135.390878
 にしても同様である。)

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【1.図書館仮設駐車場を 【2.フェンスにあった 【3.元位置の一つ
 北東に望む、前は  説明書きも  「雉が坂」を西に望む
 左端小屋辺りに有った】  今は見当たらない】  後ろは武庫川堤防
 明治地図では右へ上る】

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【4.尼崎の道標】

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【5.尼崎の道標
 2021/10現在の様子
 資料室にも無し】
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