3.吹田市南高浜町3六地蔵道標

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吹田市南高浜町3−1の
東西の府道151と南北の旧亀岡街道の四辻南西部に
北を正面に建つ
ドーム型角柱 99x北面18x18.5p(頂高4p)
N34.758684 E135.528299


写真cimg0907

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東面
┌─――――――――――――――┐
│  勝尾寺 施主 山谷村   │
│右              │
│  惣持寺     道入   │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│       片山村     │
│左 帝釋天王         │
│        帝釋寺    │
└―――――――――――――――┘

北面(追刻)
┌─――――――――――――――┐
│右 大 坂 道        │
└―――――――――――――――┘

西面(追刻)
┌─――――――――――――――┐
│  茨木 冨田        │
│左       京      │
│  福井 山田        │
└―――――――――――――――┘


(元は江戸時代の建立らしいが、明治十一年に補刻(北面、西面)され、利用されたとある。)
(『すいた歴史散歩』<増補版>吹田市教育委員会では、2番目)
bP.から、旧亀岡街道を北に140mの位置となる。
  元位置は、この道の北側と解説されている。(この位置の特定は置いておく。)
 現在、府道151はほぼ東西に通ているが、移設されたこの道標は、道に対して、少し回転させて置か
 れている。それは、下記の案内板にある様に、補刻されて再利用した時に、案内が正しい道を指し示す
 為に置かれていた状況を正しく再現しようとした為ではないかと考えられる。即ち、四辻の北西隅に少
 しひねって置かれていた方が北旧亀岡街道から南下してきた人には、「右大坂」が西への道となり、大
 坂から、高浜橋を北に渡り、高浜神社で東に折れ、この道標に来た人には、「左京」が北への旧亀岡街
 道を指す事が、分り易くなっていたと思われる。
  では、更にそれ以前はどこにあったものか。
 「左片山村帝釋寺」に着目すると、現地点でも、道の北側でも、片山村への道は、旧亀岡街道を進むこ
 とになり、進行方向は、「右勝尾寺」と同じになってしまう。
 片山村への分岐点を明治の地図を使いこの近辺で探すと、現地点より、150m北で、北東(右)に向か
 う旧亀岡街道から、西(左)に片山村へと分かれる、三ツ辻がある。ここの北部に、今の東面が南東面
 に向き、今の南面が、南西面に向いて建っていたなら、案内にピタリとはまる。
 依って、元位置は、吹田市高浜町10−31の
N34.760087 E135.528016
 辺り、三叉路の、北部、又は北西部としたい。)
(追刻の判断として、「右、左」の字がオリジナルに比べて、細く貧弱に見える。また、「右大坂道」と
 ある面には石自体に模様(キズ)があり、普通ならこのような面に字は彫らないであろう。等を挙げる。)
(参考:『吹田の歴史学習資料』昭和53年、吹田市教育研究所編、2に、「吹田市南高浜町2、180°
 回転して埋められている」等ともあり、何回も移設されているのであろう。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を東に望む
 奥(西)高浜神社へ  奥(南)南町道標から  右(南)南町道標から
 左右が旧亀岡街道】  吹田の渡し跡へ】  吹田の渡し跡へ】

写真eimg2286 写真dimg2466
【4.道標を北に望む 【5.吹田市の道標】
 明治期の道標は
 一方通行の標識が
 立つ辺りであったか】

横に建つ説明板


写真cimg0910

 六地蔵道標(江戸時代)
  吹田市南高浜町三の宮
 この道標は、亀岡街道から片山村へ通じる道が分
岐するところにたてられていました。
 刻字にある帝釈寺は、江戸時代のはじめごろから
のお寺ですが、明治四年、廃仏毀釈によって廃寺と
なりました。明治十一年に神崎川のつけかえ工事が
あり、高浜橋が架けられると、この道標から南の亀
岡街道は高浜神社前から高浜橋を渡って大阪へ通じ
る道にかわりました。そのため、この道標は「右 大
坂道」と「左 茨木 冨田…」の字が補刻され、再利
用されたようです。

┌─――――――――――――――┐
│  茨木 冨田        │
│左       京      │
│  福井 山田        │
└―――――――――――――――┘

┌─――――――――――――――┐
│右 大 坂 道        │
└―――――――――――――――┘

┌─――――――――――――――┐
│  勝尾寺 施主 山谷村   │
│右              │
│  惣持寺 道 入      │
└―――――――――――――――┘

┌─――――――――――――――┐
│       片山村     │
│左 帝釈天王         │
│        帝釈寺    │
└―――――――――――――――┘

この道標は、もと府道北側に
ありましたが、府道拡張のと
き、現在の位置に移されまし
た。

昭和六十二年三月 吹田市教育委員会


2022/8/17修正
六地蔵道標説明に脱字があり、
「明治四年、廃仏毀釈によって廃寺となりました。」を
追加しました。
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