6.豊中市長興寺南の道標

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豊中市長興寺南1−6 南北の能勢街道と、北東へ箕面街道が分岐する四つ辻の北西角に建つ
尖頭型角柱 100x24x24p(頂高3p)
N34.77260 E135.47366


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南東面
┌─――――――――――――――┐
│  みのを          │
│右              │
│   勝尾寺山古へ道     │
└―――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――┐
│嘉永己酉春 福杖講      │
└―――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――┐
│左 池田道          │
└―――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――┐
│なし             │
└―――――――――――――――┘


(嘉永で己酉年は、嘉永二年に該当し三月一日なら、西暦1849年3月24日土曜となる。)
(杖を枝とする資料あり「近畿地方の歴史の道2」)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B3_32
 同書では、「南面の「勝尾寺山こへ道」は、付近に越えるような山が見当たらないので、
 これは西国街道の新家から山を越えて勝尾寺へ向かう、昔の正規の参道への道筋を示して
 いるようです。」とあり、これが正しければ、右(北東)へ箕面街道を進み、中桜塚で、
「15.中桜塚5の道標」がある。)山田街道に分岐し、熊野田村、上新田、西国街道の
 今宮、参詣道の外院を示す道筋であろう。
  が、今一つ、右への道が「箕面街道」と言うように、西国街道の牧落に出る道であり、
 左、能勢街道を採っても、現豊中本町から北に分岐すれば、小路で、上記箕面街道に合流
 し、牧落に出ることが出来る。この二本の経路は距離的にはほぼ同じ(小路まで4q弱)で
 あり、違いは、箕面街道が、豊中台地の尾根筋を進むことであり、能勢街道に比べ高い、
 これを「山こへ」と呼び区別した可能性は考えられないか。)
(『近畿地方の歴史の道2』 p408に「移設、現2丁目、元一丁目」とあるが、道路の拡幅等
 は有るものの、現在はほぼ元の位置に戻っていると思われ、近接移設とする。)
(明治の地図では、三叉路の様でもあり、南から来た能勢道が、北西と北東に分かれる角に
 立っていたものであろう、方向に合わせ、南に正対していない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北東に望む 【4.道標を南に望む
 左右(南北)能勢街道  左、長興寺へ  奥、箕面街道へ  旧Y字路に合わせ
 手前、箕面街道】  奥(南)服部へ】  左、能勢街道へ】  南に正対せず】

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【5.南面下部拡大 【6.豊中北部の道標】
 「…のを」
 「勝尾寺山古へ道」】
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