15.豊中市中桜塚5の道標

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豊中市中桜塚5丁目1 南北の箕面街道から北西に分岐する変則四辻の北東部に南を正面に建つ
(おおむね東西方向の道は、山田街道とする。)
尖頭型角柱 138x南面25x20p(頂高10p)(行者像部36x21x2p浮彫)
N34.783574 E135.473628


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南面
┌─――――――――――――――――――┐
│大          態野田村与左衛門│
│峯(役行者尊浮彫) 三十七度     │
│山                  │
│上         すく みのカツをぢ│
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東面
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│すく 櫻塚尼ヶ崎道          │
└―――――――――――――――――――┘

西面
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│すく 柳谷京道 世話人講中      │
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北面
┌─――――――――――――――――――┐
│すく 服部 大坂道          │
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(南面「態」は「熊」の誤字らしい、「熊野田村」が本来。)
(ここを南西に進むと600m程(高校・市役所で直進出来ない)で瑞輪寺の道標に出合
 更に100m程で能勢街道に当たる。)
(東西方向の道は、山田街道と思われるが、西方面は、桜塚高校等により旧道は残っていないが、R176の西には
 能勢街道に接続する旧道と思われる道が見える。)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B3_15)
(同書に、「西面の「柳谷」は眼病治療や厄除けに霊験の有る浄土宗西山派揚谷寺柳谷観音(京都府長岡京市)
 を指しています。」とあり、同寺に関係の講中が建てたものでであろう。同寺のホームページには、現在の講
 の一覧があり、豊中市には三つあるようで、その中に「熊野田蝋燭講」が見えるが、関係は不明。
 又、「京」については、「14.豊中市上野東1の道標」でも述べたように、西国街道へ出る道を示したもの
 と思われる。)
(役行者(大峯信仰)に関する道標として、市内では、
 1.「5.瑞輪寺笠塔婆台座の道標」
 2.「10.豊南町西1の道標」
 3.「13.上野西3道標」
 4.「14.上野東1の道標」
 5.「15.中桜塚5の道標」当道標
 がある。
 当道標の行者像は浮き彫りになっており、道標としては珍しいと思われるが、どうであろうか。
 又、浮き彫りとした為か南、北面に比べて、東、西面が、5pも狭く、且つ、南面下部は波打って見える。)
(東面、「すぐ櫻塚尼ヶ崎」について、豊中市内で「尼崎」とあるのはこれだけで、尼崎において、服部を指す
 道標がいくつかあり、その道筋が判然としておらず、その同定にこの「尼ヶ崎」を持ち出した経緯があるので
 ここで述べておく。道標で地名を複数書く場合は、近い方から書き、そこを経由するか、或いは途中で分かれ
 るかの、何れかであるが、ここでは、桜塚経由である事は間違いない、但しその後の経路は、西の勝部を目指
 すのか、南の原田、利倉を進むのかは不明である。「24.尼崎市武庫町3北向地蔵の道標」で参照。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北に望む 【4.道標を北に望む
 右、京への道は  左(北東)熊野田へ  左(南西)桜塚へ  行者像は浮き彫り
 すぐに北東に曲がる】  奥、服部へ】  奥、小路へ】  三十七度も珍しい】

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【5.南面下部拡大 【6.豊中北部の道標】
 「態野田村…」
 「すぐ箕面勝尾寺」か】
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