3.豊中市刀根山元町1の(大)道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
豊中市刀根山元町1 東西の道に能勢道が南から来て突き当る、T字路の北部に南西を正面に建つ
(二基の道標の内、東側の大きい道標。)(「4.豊中市刀根山元町1の(小)道標」はこちら)
尖頭形角柱 135x南西面31x30.5p(頂高5p)
N34.7974099 E135.4574111


写真cimg0942

写真cimg0937

写真cimg0941

写真eimg0652

南東面
┌─――――――――――――――┐
│ 刀根山御坊 是ヨリ     │
│        壹丁     │
└―――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――┐
│存覚上人御舊蹟        │
└―――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――┐
│      摂州長柄     │
│丙申年五月  木下道賢    │
│        再建之    │
└―――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B2_33)
(建立年の丙申は1500年以降では
 天文5年(1536)
 慶長1年(1596)
 明暦2年(1656)
 享保1年(1716)
 安永5年(1776)
 天保7年(1836)
 が該当するが、
 前述の書には「天保七年と推定される」とあり、天保七年五月1日なら、西暦1836年6月14日火曜日となる。)
(明治の地図で見ると、当時は、このすぐ上が池(現公園)になっており、堤下の三叉路(厳密には、蛍池(南
 西)からの谷筋の道もあり四辻)であったようだ。ほぼ南からの旧能勢道は、左へ廻り込み池の北西地点で峠
 (ピーク)となり、北の村中へ向かわず北西石橋へ下る。
 一方、「刀根山御坊」は村の北東部(現常楽寺)にあったようで、この地点からは右(北東)へ向かう形にな
 る為、「一丁」進む方角が分かりやすい様に、ひねって置いたものであろうか。谷筋からの道には正対となる。
  ただ、現在地から、常楽寺南端の墓地壁際まででさえ、二丁(218m)以上あり、「壹丁」が気にかかる。
 当時の舊蹟が近かったのか、この石が移設されたものか、何れかであろう。)
(蛇足ながら、少し近いと思われる、梅林寺でも2丁ある。此方への道案内は、前述の谷筋の道沿いにある刀根
 山郵便局の少し北側、これも池の南に、新しいものがあるが、距離は書かれていない。)

写真eimg0636 写真eimg0637 写真eimg0639 写真eimg0656
【1.道標を北に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を西に望む 【4.道標を北東に望む
 後(北)旧池の堤  右側が当道標  左奥(南西)谷筋の道  谷筋の道からは正面
 左、能勢道を石橋へ】  奥、刀根山御坊へ】  左から右奥へ能勢道】  右面に「壹丁」】

写真eimg0655 写真eimg0668 写真eimg0633 写真eimg0671
【5.道標南東面を望む 【6.西横の案内板 【7.梅林寺への道標を 【8.能勢道峠部を北に望む
 見難いが「是ヨリ」  二基の説明があり  北に望む  右奥、刀根山村中へ
 の左に「壹丁」とある】  左が当道標の分】  後ろは池の土手】  左(北西)石橋へ】

写真eimg0617
【9.豊中北部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ