2.豊中市刀根山元町10の花立石道標

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豊中市刀根山元町10、現中国縦貫阪大前南より少し東のT字路、
刀根山元町北会館の北、地蔵堂前に南を正面に建つ
「1.地蔵台石道標」と区別の為「花立石道標」と呼ぶ)
角柱 55x16x16p
N34.800045 E135.456794


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南面
┌─――――――――――――――┐
│右 大坂 道         │
│左 刀根山御(坊)      │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│ 世話人 石橋仁右衛門    │
│     井口堂五兵衛    │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│慶應三卯年二月立(之)    │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(( )部は『近畿地方の歴史の道2 p408』参照)
(慶応三(丁卯)年二月1日なら1867年3月6日水曜日となる。)
(この場所より南380mに、刀根山元町1の道標がある。)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B2_29)
(同書では、「もともと、北刀根山村の丘陵の最高所から石橋方面へ下ろうとする三叉路で
 北西に面して立っていましたが、…中国自動車道の道路敷きになっています。」とある様、
 元の位置は、現在の中央環状線の敷地内で、明治の地図でみると、
N34.80065 E135.45381
 辺りと思われ、東、北刀根山村(現刀根山元町)へ分岐する三叉路にあったとした、地蔵
 道標と共に、西を向いていたと思われる。)
(東面の読みは、指でなぞる事により確認したが、正確ではないかもしれない。
 「卯」の扁などは「又」のようにも思えたりする。拡大写真を参考にして下さい。
 尚、前述の書でも、「造立年は慶応3年のようです。」としている。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北西に望む 【4.道標を上から望む
 堂前が当道標  左(東)刀根山御坊へ  右後ろに地蔵堂  下部が南
 奥(西)中環道へ】  奥、能勢道へ】  左後ろは中環へ】  元90度時計回り】

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【5.東面上部拡大 【6.東面下部拡大 【7.地蔵堂東の案内板 【8.中環より南東へ分岐の
 「慶應三卯年二…」  「…三卯年二月立」  「中国自動車道路の」より  能勢道(右)を望む
 とした】  とした】  「中央環状線の」が正確では】  元位置近辺と思う】

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【9.豊中北部の道標】
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