1.豊中市刀根山元町10の地蔵台石道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
豊中市刀根山元町10 東西の道に、能勢道から分岐して、北進してきた道が突き当たるT字路の北部の
地蔵堂の中に南面して建つ
(すぐ南東に、「2.花立石道標」も建つ)
台座角柱 40x33x33p(上部5p蓮華座風を含む)
(下部台石18x南面51x52.5p、上面前部に5x25x11pの線香置とφ4pの花立穴あり)
N34.800085 E135.456768


写真cimg2577

写真eimg0679

写真eimg0678

写真eimg0681

南面
┌─――――――――――――――┐
│右大坂            │
│左櫻井            │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B2_28)
(同書に、「「首なし地蔵」と呼ばれている、台座部が道標に転用されており、台座の下部は切り取られて
 いるようで、道標部も一部消滅しているとみられる。「櫻井」は桜井谷村を表している。」としている。)
(元の位置は、現在の中央環状線の敷地内とされており、明治の地図でみると、
N34.80065 E135.45381
 辺りと思われ、東、北刀根山村(現刀根山元町)へ分岐する三叉路であったようで、西を向いていたと思
 われる。
 能勢道の旧道は、現在地の西250mの阪大前南交叉点のやや西から、南東に刀根山の尾根筋集落をバイパス
 する様に、南東へ抜けており、まさにその分岐点が元位置であったと想われる。
 大坂は南東(峠は400先)へ、櫻井へは東へ分岐し、現道標の有る地点を更に東進し、刀根山御坊の北を下
 る道となる。
 中央環状から南東へ分岐する道(能勢道)は、今も残り、
  400m弱で、「4.根山元町1の(小)道標」に出る。
 尚、地元の人の話では、当道標のすぐ前に建つ、花立石の道標も、同時に移設したとの事です。)

写真cimg0962 写真eimg0673 写真eimg0676 写真eimg0685
【1.地蔵堂を北西に望む 【2.地蔵堂を北に望む 【3.辻を東に望む 【4.道標を北に望む
 右に「2.道標」もある  手前(南)大坂へ  左端僅かに地蔵堂  右(東)刀根山御坊へ
 奥(西)中環道へ】  右、櫻井へ】  ブロック塀右に花立道標】  手前(南)能勢道へ】

写真eimg0724 写真eimg0671
【5.道標を北に望む 【6.能勢道峠付近で北に望む
 上部地蔵は、石の材質  左(北西)石橋へ
 が明らかに異なる】  右奥突当に当地蔵堂】

写真eimg0617
【7.豊中北部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ