11.吹田市江坂町3榎坂西(小)道標(榎坂西道標(イ))

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吹田市江坂町3−36−1 東西の吹田街道から北に分岐(勝尾寺方面)する四つ辻の北西部に東を正面に建つ。
(榎坂東道標の西60mにある。)
大小二基の内、左(南)側小さい道標が当道標。北隣の「12.榎坂西(大)道標」はこちら
角柱 53x東面16x12p
N34.76481 E135.49127


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東面
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│右かちを(じ)     │
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(「じ」は案内板より)

南面
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│(なし)        │
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西面
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│(なし)        │
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北面
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│(なし)        │
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(『すいた歴史散歩』<増補版>吹田市教育委員会では、11番目)
(『吹田の歴史学習資料』昭和53年、吹田市教育研究所編、11(イ)に、
 北隣の(大)道標より前に建っていた(こちらが古い)としているが、どうであろうか。
 疑問点は、大道標の項参照。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 電柱左に二基あり  奥、現服部緑地へ  手前から奥が吹田道
 奥(東)吹田へ】  手前(小)が当道標】  奥(西)小曽根へ】

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【4.道標上部を望む 【5.二基を南西に望む 【6.吹田市の道標】
 左背の低い方が  先に建立された道標は
 当道標】  どちらか、左が当道標】

榎坂西道標の案内板


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榎坂西道標えさかにしどうひょう(江戸時代)
     吹田市江坂町三ー三六ー一
 二道標どうひょうのうち「みぎ かちをじ」の刻字こくじ
しめすように、みぎすすむと高川たかがわわたって三国街道みくにかいどう
とおり、上新田かみしんでんから勝尾寺かつおうじへとつづいていま
す。右側みぎがわ道標どうひょう吹田街道すいたかいどう交通量こうつうりょうがふえて、
くわしい表示ひょうじ必要ひつようとなり、のちにたてられた
ものでしょう。道標どうひょう刻字こくじしめすように吹田街道すいたかいどう
京都きょうと吹田すいた服部はっとり尼崎あまがさき方面ほうめんとの交通こうつうもち
いられていたことがわかります。
 刻字こくじにある、みのおは箕面寺みのおじほか観光かんこう名所めいしょ
としても有名ゆうめいで、中山寺なかやまでら西国さいごく三十三かしょ観音かんのん
霊場れいじょうの二十四番札所ばんふだしょです。

左側小さい道標
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│            │
├――――――――――――┤
│右かちをじ       │
│ (勝尾寺)      │
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│            │
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│            │
│            │
└――――――――――――┘
(【私注】「じ」は埋もれて見えない)

右側背の高い道標
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│            │
├――――――――――――┤
│(右折)(箕面)    │
│ 右 みのを 中 山  │
│ すぐ はつとり あま │
│(直進)(服部)(尼崎)│
├――――――――――――┤
│            │
├――――――――――――┤
│(直進)        │
│ すぐ 吹田 京    │
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(【私注】「はつ」は「者津」の変体仮名か)

(吹田の地図)【省略】

昭和しょうわ六十三ねんがつ 吹田市教育委員会すいたしきょういくいいんかい

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