南面
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│左リ勝尾寺 │
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(「勝」は「カ」を「水」様に彫る、「勝」とした)
西面
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│(なし) │
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北面
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│(なし) │
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東面
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│(なし) │
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【1.道標を東に望む | 【2.道標を北に望む | 【3.道標を南に望む |
案内板右が当道標 | 左(西)勝尾寺へ | 奥(南)榎木、十八条へ |
奥(東)吹田へ】 | 右、吹田方面へ】 | 右、勝尾寺、小曽根へ】 |
【4.道標の辻から西を望む | 【5.西20mの道標二基 | 【6.吹田市の道標】 |
20m先「榎坂西(小)道標」 | 左、(小)道標が | |
を右(北)勝尾寺へ】 | 「右勝尾寺」を示す】 |
榎坂東道標(江戸時代)
吹田市江坂町三ー二七ー九
この道標は、吹田街道から吹田南部を通って
大阪市十八条町に通じる古道が分岐するところ
にたてられています。
刻字にある勝尾寺は、平安時代以来朝廷の帰
依と保護を得た大寺院で、後に観音信仰が盛ん
になると西国三十三か所観音霊場の二十三番札
所として広い信仰を集めました。大阪方面から
榎木の渡を使って参詣する人が多かったので、
ここにたてられたのでしょう。
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│左リ勝尾寺 │
│ (勝尾寺) │
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本道標は昭和六十三年に埋
没部分を引き上げ、西向きに
なっていたのを90°回転させて
南向きとし、さらに保存のた
めに原位置から南へ約80セン
チメートル移動させてありま
す。
(吹田の地図)省略
昭和六十三年三月 吹田市教育委員会