16.豊中市上新田1西口道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
豊中市上新田1―9 町内を逆U字状に走る道に西南方向に向かう三叉路の西部に東を正面に建つ
尖頭型角柱 78x21.5x21.5p(頂高3p)(基部17p含む)(基部17x25x25p)
N34.801627 E135.49712


写真cimg1032

写真cimg1033

写真cimg1034

写真eimg1346

東面
┌─――――――――――――――┐
│右 ざい所          │
│左 大坂へ三リ        │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│右 かちをし         │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│天明二壬寅歳         │
│     中野玄正      │
│     山脇奇庵      │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(天明二年1月1日なら、西暦1782年2月12日火曜日となる)
(横の説明杭に「豊中市最古の道標」とある。)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B1_15)
(東から見て、「左大坂」が山田街道を示すものと思われ、旧道南へ350m程の三叉路で山田街道から分岐(三
 国街道)し、南、下新田から、江坂又は小曽根へ進む道が、大坂への道と思われる。)
(南面の、「右かちおし」は「右勝尾寺」で、「20.上新田2−4−9の道標」に続く道を案内している。
 この道標には天明元年とあり、この時代には、豊中南部から勝尾寺への参詣は、箕面街道でなく、この道筋
 が主であったのかもしれない。)
(上新田には、現在も5基の道標が残り、丘陵の中とはいえ交通量が多かったのかも知れず、集落内で見通し
 も悪く、道案内を必要としたものであろうか。)

写真cimg1035 写真eimg1334 写真eimg1341 写真eimg1344
【1.道標を南西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む 【4.道標から東を望む
 左、上新田東交差点へ  左は村中へ、奥は民家へ  左(南)大坂へ  画面右端に上新田1の
 右、在所(村)へ】  右(東)勝尾寺へ】  奥、在所(村中)へ】  北口道標がある】

写真eimg1352 写真eimg1353 写真eimg1354 写真eimg1349
【5.木杭を望む1/3 【6.木杭を望む2/3 【7.木杭を望む3/3 【8.道標北面上部
 「豊中最古の…」  「右 かちをし」  「天明二壬寅…」西暦1782年  「天明二壬寅歳…」
 と解説あり】  と解説あり】  と解説あり】  と読める】

写真eimg1378 写真eimg0617
【9.上新田案内地図 【10.豊中北部の道標】
 四基の道標が
 書かれている】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ