18.池田市栄本町12池田文庫内(大)道標

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池田市栄本町12-1、池田文庫(逸翁美術館南側)東入口南部の庭に建つ大小二基あり。
「大きい道標」
尖頭形角柱 154x北東面32.5x31㎝(頂高5㎝)(北東面内法133x25㎝)
N34.8251096 E135.4285334


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北東面
┌────――――――――――――――┐
│右 服部 池田 能勢        │
│ 妙見山道             │
│左 神嵜 久々知 伊丹       │
└――─―――――――――――――――┘

北西面
┌────――――――――――――――┐
│大阪     講元 紙田喜兵衛   │
│   題目講     松本熊治郎  │
│難波     世   文野伊 助  │
│       話   仟若仟兵衛  │
│       人   住田□五良  │
└――─―――――――――――――――┘

南西面
┌────――――――――――――――┐
│ 明治七年□□十一月        │
└――─―――――――――――――――┘

南東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(明治七年は、西暦1874年となる。)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では№10)
(同書に、元、三国辺りにあって、阪急宝塚線敷設時に移転したらしいとある。
 妙見山道は三国辺りでは能勢道であり、服部、池田、能勢は、その道上にあり、右方向だと言い、
 「左、神崎、久々知、伊丹」はおそらく伊丹博物館のいう、有馬道間道とすれば、一本道となり、
 神崎に分岐する地点だけを探れば、ほぼ其処であり、かつ現阪急宝塚線が関係しているとなれば、
 二点しかない。明治の地図で見ると、一点は、三国駅の南、北能勢道、南西、神崎川南側堤防沿
 いの道が分岐する、淀川区三国4丁目10-8
N34.73909 E135.48344
 辺り、
 もう一点は、その南500m、三国本町2丁目13
N34.73402 E135.48396
 辺り、西、新在家村への分岐がある三叉路。
  道の太さから見て、先の三国駅が有望と思われる。
 駅舎建設のため、道の付け替えも含め、移動したのではないかと想像する。
 箕面有馬電気軌道が、明治43(1910)年開業とあるので、道標設置から三十余年しか経っておら
 ず、立派な石でもあり、保存、或いは、移設したと考える。
  尚、「池田文庫が開館したのは、昭和24(1949)年」(WIKIより)、であるらしく、それ以前
 は何処にあったか、確認できていない。)

写真dimg3416 写真dimg3553 写真dimg3569
【1.池田文庫入口を南に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を南西に望む
 白壁塀の手前が入口  右工事シートの右が当道標  この面を北東面とした】
 奥(南)70mで能勢道へ】  左手前は19.小道標

写真dimg2709
【4.池田南部の道標】
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