9.茨木市宿川原町1南側の道標

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茨木市宿川原町1 西から来た西国街道が北西へ、道祖本街道が南東に分岐する三叉路の東部に三基が建つ
3/3.小さい道標、南側に位置する(椿の本陣すぐ東)
舟底型角柱 68x西面17x12p(頂高8p)(西面上部幅16p、南面幅(厚み)上部5p、中段8p)
(上から20、36p、最下部、三ヶ所折れ)
N34.8355865 E135.5453977


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西面
┌────――――――――――――――┐
│ 茨木停車場            │
│右     道           │
│ そうぢじ             │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

南面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では7)
(同書に、停車場の標記から、明治10(1877)年以降の建立としており、元の場所ともしている。)
(明治の地図で、停車場は、郡山、郡、紙穂積、倍賀、停車場と見え、総持寺へは、郡の手前で東に分かれ
 茨木川を渡り五日市、西河原、総持寺となり、これが道祖本街道と呼ばれたもので、勝尾寺から来れば、
 巡礼道ともなったのであろう。
  因みに、江戸時代西国三十三ヶ所を巡礼する場合、逆回り(ここでは西から東)をする人が多かったと
 聞いている。
  この道筋の郡小学校の西辺りに、現在茨木市立文化財資料館にある、「bU7.郡山宿の道標」が建っ
 ていたようである。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を南に望む
 左奥(東)京へ  奥、茨木はすぐ左折  ガードレールに
 右(南)郡へ】  右端が当道標】  守られるが見難い】

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【4.道標を東に望む 【5.道標上部と東面
 三ヶ所で折れ  東面は船底型
 痛々しい】  になっている】

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【6.茨木南部の道標】
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