12.茨木市十日市町1の道標

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茨木市十日市町1−1 東西の西国街道に南北の枝切り街道が交差する四辻の南東部に建つ
(枝切り街道は茨木街道支線か)
尖頭形角柱 101x24x24p(頂高10p)
N34.84041 E135.56878


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西面
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│右 茨木停車場 大阪               │
│          茨木(街道)         │
│左 石川 見山                  │
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南面
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│右(指差像)芥川 高槻 山崎 京都        │
│                     国(道)│
│左(指差像)福井 豊川 箕面 池田 神戸     │
└――─―――─――――――――――───―――――┘

北面
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│此處安威村大字十日市               │
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東面
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│明治四十二年三月建設 大(阪府)         │
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(( )部は『わがまち茨木』より)


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では11)
(同書に「いかにも事務的」とあるが、仕方ないと思う。尚、同じ体裁のものが他にあり、
 「31.茨木市東福井3の道標」は同年4月と、何故同時に建て無かったものか不明ではあるが、
 他にもあったようである。
 又、別項で「石河・見山」は明治22年(1889年)4月1日町村制の施行によって生まれた村名としており、建設年との矛盾
 はないが、当道標では「石川」となっており、府が見落としたのか、江戸時代の慣行が残っていて、でどちらでもよかった
 のか、気にはなる。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 奥(東)名神を  奥(北)安威へ  奥(西)耳原へ
 潜り安威川へ】  左右は西国街道】  右、見山へは遠い】

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【4.道標南面拡大 【5.同左、更に拡大 【6.道標西面拡大
 右、左の下に各々  明治の道標に多く  此方には指差像
 指差像が彫られる】  見掛ける、流行りか】  は彫られていない】

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【7.茨木南部の道標】
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