16.元、茨木市本町6の道標(2023年11月再建)

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茨木市東奈良3−12−18 茨木市立文化財資料館、土蔵の西側植込の三基の内北端に西を正面に建つ
尖頭形角柱 167x25x25p(頂高8p)(基部10p含む)
N34.802861 E135.567909


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西面(旧南面)
┌────―───――――――――――――――┐
│      三嶋江 唐崎          │
│右 京 八幡                │
│      富田 高槻           │
└――─――――――――――───――――――┘

南面(元東面)
┌────―───――――――――――――――┐
│左 大坂 吹田 尼崎            │
└――─――――――――――───――――――┘

東面(元北面)
┌────―───――――――――――――――┐
│           願主 茜屋清蔵    │
│            世         │
│ 天保十二丑年二月   話 湊山七之助   │
│            人         │
└――─――――――――――───――――――┘

北面(元西面)
┌────―───――――――――――――――┐
│左 妙見山 亀山 中山 勝尾寺       │
└――─――――――――――───――――――┘



(2023年11月24日訂正)
 元、茨木市本町6−5 南北の道から東に折れる三叉路の北東部に壁に埋もれて建っていたものが、都合により
 資料館に移され、倒置されていたが、西植込み前に再建されたようです、以後変更は無いと思い、場所、方向、
 寸法等を改訂します。
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では57)
(天保十二(辛丑)年二月1日なら、西暦1841年3月23日火曜日となる。この年閏1月あり。)
 隠れていた面が全て見える様になり、これにより紀年銘と願主等が確認出来るようになった。
 参考の為、従来の写真、記述を一部残しておきます。)
(掘起こされた時の高さ(215p)から、現在基部が48p埋っているとなるが、埋設して間もない様で、土が盛り上
 がっており基部は少しづつ露出して来ると思われる。碑面の全容が分かる様に再建されたものでしょう。方向を
 元に合わせておく方がイメージしやすいと思うが、現場での見易さを優先したものと思う。単なる希望ですが、
 道の様子(例えばレンガを数個並べる等)も含めて復元すればより分かり易いのではないか。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標西面拡大 【3.道標南面拡大
 後ろは土蔵  元南面「右、京八幡…」  元東面「左、大坂…」
 右、史料館入口へ】  は東を案内していた】  は南を案内していた】

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【4.道標東面上部拡大 【5.道標東面下部拡大 【6.道標北面拡大
 「天保十二丑年二」  「願主 茜屋清蔵」  元西面「左、妙見山…」
 西暦1841年3月】  「世話人、湊山七之助」】  は北を案内していた】

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【19.'18年道標を北西に望む 【7.'22年元位置を北東に望む 【8.'23年元位置を西に望む
 南面のみ全部見え  正面赤コーン辺りに建っていた  右の赤コーン辺りに建っていた
 南西上部は欠損】  右奥「京、八幡」方面へ】  左は大坂、右は妙見山へ】

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【9.茨木南部の道標】

(2022年6月13日追記)
茨木市東奈良3−12−18 茨木市立文化財資料館、北側土蔵の南に元西面を上面にして寝かされている
尖頭形角柱 215x25x25p(頂高8p)(基部58x27x29p)
N34.802788 E135.567970


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写真iimg5892

底面(元東面) 写真無


 倒置されていた頃の写真を載せておく。見やすさを考え、立っていた状態にしてみた。

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【10.元西面上部 【11.元西面下部 【12.元西面基部
 「左妙見山亀山中山」は  奥(北)妙見山へ  基部58x27x29p
 …亀山中、山勝…に見える】  右端が当道標】  であった】

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【13.元北面上部 【14.元北面下部 【15.資料館北の土蔵前
 「天保十二丑年二月」  「願主」  に頭を東に向け
 と読める】  「世話人」は横書き】  寝かされている】

(2014年当時)
茨木市本町6−5 南北の道から東に折れる三叉路の北東部に壁に埋もれて建つ
N34.81891 E135.57338
尖頭形角柱 146x南面24x西面17.5p(頂高7p)(東面10p)


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 写真無し

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(同書に、この地点は、高槻街道と茨木街道が高橋で合流後、ここを東に折れ、竹橋町で分岐としている。
 又、八幡は石清水八幡宮、中山は宝塚の中山寺としており、参詣の便を図ったものであろう。
 東面にも文字らしきものが見え、参詣者のためなら「右 妙見、中山、勝尾寺」等ではないか。ただ北へ
 の道は、城下町の常として、町中を何度か折れた後、北の田中、或いは西の倍賀に続き、他にも道標が必
 要であったと察せられる。尚、前述の書では、北への道を茨木街道支線と表現している。
 尚、東、富田、高槻への道は、五畿内誌にある「津門中道」と一致する。)
(商店街の中に位置するにも関わらず、今まで残っていることを考えると、移設は無かったのであろう。)

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【16.道標を西に望む 【17.道標を北に望む 【18.道標を東に望む
 左(南)別院町へ  奥(北)妙見山へ  奥(東)京へ
 右、茨木小学校方面】  右端が当道標】  鉄柱に守られ建つ】

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【19.道標を北西に望む 【20.道標東面上部
 南面のみ全部見え  「右、左」どちらかの
 南西上部は欠損】  一部が見えている】
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