5.宝塚市清荒神3の道標

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宝塚市清荒神3丁目4 ほぼ東西の有馬道に北東(中山寺)からの巡礼道が突き当たるT字路の北西部に南東を正面に建つ
自然石 83x39x15〜45p
N34.81261 E135.35293


写真cimg1522

写真cimg4515

写真cimg4516

南東面
┌─――――――――――――――┐
│中山道            │
└―――――――――――――――┘

自然石のため、他の面なし


(『たからづかの道標』では11、「民家の石垣に取り込まれており」(1986年)とあるが、
 現在(2016年)時点では、ブロック塀に変わり、道標は独立している。)

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【1.有馬道より西を望む 【2.有馬道より北を望む 【3.宝塚東部の道標(明治44年)】
 奥は有馬方面へ  奥への急坂が中山(巡礼)道】
 左側、人横断が清荒神参道】

(前に、Web『宝塚観光ガイド』(観光協会)の「宝塚の歴史を知る」にあった記述では、
 「巡礼街道とは、平安時代、花山法皇により創設されたと伝えられる観音霊場巡りの道で、
 那智青岸渡寺(せいがんとじ)を1番札所とし、岐阜華厳寺(けごんじ)に至る三十三カ所。
 中山寺は24番札所で、23番の勝尾寺から25番の播州清水寺に至るまでの道筋を巡礼街道と
 呼んでいます。江戸時代以降、一般民衆の間でも巡礼信仰熱が高まり、人々が行き交う
 ようになった。」と説明されていた。
  この地点は有馬道との合流(分岐)点であり、「巡礼街道」にあたる道を「中山道」と
 表記していることは、建設当時「巡礼街道」なるものは一般的に使われていなかったのでしょう。
 又、「中山村」はこの近辺にはなく、「中山」=「中山寺」であろうが、「中山寺道」とせず
 「中山道」としたものか。
  中山寺を指した道標は、近隣市町にも沢山あり、別項を設けるつもりでいます。)

【追記、2023年8月】 行先別ランキングは
 『摂津の国の道標集計』を参照下さい。大阪、妙見山、に続き第3位となっています。
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