摂津の国の道標集計 2022/10/12変更
2022/10/12 お知らせ。豊能町牧の道標二基が摂津国外に成っていない。追って修整予定
【左は、摂津の国内で最も記憶に残る道標。高槻市田能の自然石道標】
はるばる「羽州秋田郡川尻村」からの二名(夫婦か)が巡礼の途中で
亡くなったものを、村中の者が供養のために建てた道標である。
雪で道に迷ったのであろうか。村人の優しさや、当時の旅の厳しさ、
所持した往来手形に従って旅費などもこの石に使われたのであろう事
「沙汰不要」とあるも手紙を出したのではないか等とも想像できる。
文化九(壬申)年正月廿三日(1812年3月6日金曜日)の銘を持つ美しい
道標である。
【始めに】
ヒョンな事から始めた道標調査であったが、ほぼ当初の予定分を回り終えたのでその結果を集計しておきます。ただし
思った以上に時間が掛り、現時点(2022年6月末)で何点かは遺失、移転をまぬがれないと思います。
【概要】
対象地域21市町、収録点数1424、道標1022、丁石150、道路元標26、その他72、不明93、まとめ記事30、となり
ました。道標、丁石で年代の確定できるもの556点(内、江戸時代300点)、道標の形状では「尖頭型」が4割(406/1022)
を占めます。
神戸市は3地域に分割し、堺市の一部は大阪市に含めて集計しており、都合22地域としています。
時代別形状などを出せばその時代の特徴などを出せるかもしれないが、数が少ないので統計的な処理を行うには無理
があると思います。数値的な裏付けはないが、一応感じた事をあげておきます。
1.道標をまとめた本に見受けられる「大坂」と「大阪」の使い分けは、年代判定の決め手にはならない。
2.同様に、変体仮名でかかれた場合、濁点は付けないとあるようだが、濁点表記も多く見受けられる。
3.『「道」の代替として「遍」のくずし字を用いることがあり「へ」と読む』は該当無。但し変体仮名使用はあり。
4.明治以前(近世=江戸時代)のものに「XX街道」なる案内は無い。
5.行先としては寺社名、村名、町名があり、地域名「山田」や、国名「丹波、播磨」もある。
6.道標密度を、1本あたりの面積当で見ると、一番狭いのが伊丹市で0.8k�u、広いのが豊能町で3.1k�uぐらいと思われ
るが、地形の影響であるのはハッキリしていると思う。即ち、平野部が多く道が多数交わる為であろう。
神戸の市街地には一部山岳部を含むが1.0k�uとなり平野部に限れば多分一番密度が濃いのではないか。
因みに大阪市は堺市部分の面積を含まないで2.2k�uとなり開発により、失われたものが多いのではないか。
7.各自治体の道標への取り組みには差があり、高槻市、伊丹市等は熱意が感じられる。ただ保存となると私有地に建つ
ことが多く個人頼みの様に思われる。
8.道標建設年を下記の区分ごとに見ても、これだけでは、よく言う「庶民が旅行に行ける様になって多く建てられた」
を裏付ける資料にはならないでしょう。確かに寛政12(1800)年以降の道標数が多いのであるが、行先(例えば伊勢
参りに関係する地名)との関連を見なければ、観光旅行よりも商用の旅行が増えた為と出来るかも知れない。
私説を挙げるなら、灘、伊丹への丹波杜氏(季節労働者)や食料生活用品運搬に係る人の増加に対応する為等。
又、明治期の道標も多くあり、これらの内に施政者(府県)の建てたものが結構有ると承知済とは思いますが、
旅行の便を図る為とはあまり感じない。
道標を近世のノスタルジア(郷愁)で捉えることなく、各時代を通じて調べたいものである。とはいえこの調査も
昭和25年迄位で止めているのは、石製でも観光用等が増える為です。
【種類別記事数集計】
道標のみを取り上げる心算であったが、参考とした資料に載っていたものが、実は道標機能を持っていなかったり、
国境を示す標石や、里程、或いは大正期の道路元標等、道標を補完する資料として必要と思われるものも対象とした。
又、丁石については数が多い為一件づつ取り上げていたものを、途中から一度にまとめる方が良いと考え、まとめの
記事として独立させた。よって実件数より少なくなっている。内訳を下記に説明する。
1.総数…………掲載件数から他市重複、他国の道標を除いた件数
2.他市・他国…境界が分らない為両市に載せてしまった、又は摂津国域以外であったもの。重複分は内訳から省く
3.道標…………石質であること、昭和26(1951)年以前の建立を対象、行先と進むべき道が分かるもの。
4.丁石…………目的地の有無に係らず残存距離、或いは進捗距離が書かれていて一連に建てられたもの。
遠く離れ単独して丁数を示すもの、丁数誤差大のものは道標とする。
5.道路元標……大正の法令により建てられたもの。形、形状とも決められている為、年代、形状の内訳から省く
6.その他………里程標、国境標、寺社標、丁石まとめ、類似道標等の参考資料。年代、形状の内訳から省く
(「参道」標は道標でも丁石でもないとしたが参考資料にある場合や丁石起点になる時は「その他」として載せた。)
7.不明…………参考資料にのるが見つけられなかったもの。年代、形状の内訳から省く
8.まとめ等……丁石をまとめて解説した記事や、類似道標の比較記事等、形状の内訳から省く
【形状別集計】
パット見た目で分類しています、厳密なものではありません。整形された四角柱が多いので、頭部の形状で分けてい
ます。地中部分や石を積むための工作部は考慮しません
道標と丁石に対して集計しています。
1.角柱(四角柱)…頭部が平面なもの、面取りがされているものも含む
2.尖頭型角柱………〃、四角錐(ピラミッド型、トキン)、摩耗していても稜線が感じられるもの
3.山型角柱…………〃、切妻型(中央を稜線にし左右に切り落とした形)
4.蒲鉾型角柱………〃、櫛型、板付蒲鉾を横から見た感じ、上部が円柱状のもの、山形が摩耗してもこれにはならない
5.頭丸型角柱………〃、正面左右どちらから見ても丸く見えるもの、面取された角柱とことなり平面部がない
6.コウ箱型角柱……〃、基本頭丸型であるが、四隅に負の曲率を持つもの
7.自然石……………形状に関係なく切り石でないもの、或いは整形面を感じさせないもの
8.地蔵像、墓石等…一般に地蔵(仏、大師)像と呼ばれるもの、墓石とされるもの、及びそれらの台石部も含む
9.五輪塔……………下から、地、水、火、風、空輪の形式を持つもの、上部欠損も含む、その他の卒塔婆も含む
10.その他…………上記に該当しないもの、灯籠やその竿部、丸柱、三角柱、多角柱等
【年代別集計】
紀年銘があるか、御大典記念や施主等で建設年を特定できるものだけを対象とした。文字の表記方法や名前等により
明治以前(近世)のものであろうと出来る場合も上記以外は不明とした。再建の場合同一場所にある限り元の紀年に従
った。明らかに過去の日付を書いたものは無視した。
道標と丁石に対して集計しています。
1.江戸以前、江戸前期(〜1699(元禄12)年)
2.江戸中期 (1700年〜1799(寛政11)年)
3.幕末(後期) (1800年〜1867(慶応4)年)
4.明治 (1868年〜)
5.大正 (1912年〜)
6.昭和 (1926年〜)
7.不明
としたが、元禄や寛政の途中が切れ目になっている等、適切な表現では無いかも知れない。
上記をエクセル※「摂津の国の道標の集計」、(※エクセルはマイクロソフト社の表計算ソフト)
と、Googleスプレッドシート 「摂津の国の道標の集計」として作成した。
【古いもの順】
集計に付き物の年代別一覧も一応作ってみましたが、古い物には読めないものも多く、読みの際に参考にした資料
にも根拠が薄弱なものが有りそうで、取り敢えず自身の読みを優先し作成しました。西暦はグレゴリオ暦。
�@.神戸市箕岡通4の摩耶山へ十八丁丁石…文安4年 (1447年)
�A.高槻市田能の供養塔道標…………………宝徳 3年 3月 (1451年 4月)
�B.伊丹、川西、宝塚市の中山寺への丁石…永正14年 8月18日(1517年9月13日木曜日)
�C.豊能町高台寺の丁石………………………慶安 3年 4月 8日(1650年5月8日日曜日)
�D.宝塚市安倉南の姥ヶ茶屋の道標…………寛文 8年 2月 (1668年3月)
�E.伊丹市北村の道標…………………………寛文 9年 (1669年)
�F.池田市東山の道標…………………………寛文10年 2月 (1670年 3月)
�G.池田市伏尾町の道標………………………寛文10年11月 (1670年12月)
�H.能勢町才ノ神峠の道標……………………寛文11年 8月 (1671年 9月)
�I.池田市畑4の道標…………………………寛文12年 9月 (1672年10月)
となりました。
丁石に関しては箕面の勝尾寺への丁石がもっと古い(宝治元年十一月(ユリウス暦1247年11月))とされているが
確証が無く、道標だけを見ると「高槻市田能の供養道標」が一番古くなるが、案内先が「穴太寺九十町」とありこれ
を丁石とすると、「宝塚市安倉南4姥ヶ茶屋の道標」が最古となるのかも知れない。
【行先】
道標、その他より行先と思われる記述を拾い出し、一基に同一表記がある場合は複数抽出した結果、3000強の表記
(参考資料から抽出も含む)があり、異なる表記を名寄せ(例、「かつおじ、かちお寺」を「勝尾寺」)すると750程度
の地名、寺社、川、道、山、等になった。これを現在のGoogleMapから分り易そうな目的地を選び、経度・緯度を求
め、道標設置位置からの直線距離を出してみた。
尚、「在所」「野道」「山」等は本来なら同定出来るのであるが、ここでは「不定」とし、街道名など全体を指す場合
も「不定」、京都やその他遠くから移設されたものについては、行先を「不明」とし距離算出は省いた。
又、隣国を示すものについては、その国の中心地を示すとせず、国境となる地点(多くは峠)を案内先としたが、地理に
疎く、且つ古地図に依った為見当外れもあるかと思う。特に播磨国境は道筋が沢山あり誤りがあるかも知れません。。
これらを数種類の集計結果として別表にしておきます。
行先の集計は、エクセル※「行先の集計」(明細無)か、(※エクセルはマイクロソフト社の表計算ソフト)
こちらは容量の関係で集計結果のもととなる明細データを除きピボットテーブル部のみを複写したもの。
又は、 Googleスプレッドシート 「摂津の国道標の行先一覧」(明細有)を参照下さい。
こちらのピボットテーブルはエクセルと少し機能が異なっているようです。
概観を述べると、やはり行先のトップは「大阪」175件でした。2位は「妙見山」121件、3位は「中山寺」108件
次点は「京都」、以下「池田、三田、有馬、勝尾寺、西宮、尼崎」がベストテンです。
【遠くを案内するもの】
明治期に入っての県境を示すものなどを除いて。
1.茨木市芥川から「金毘羅さん」180�qは道案内ではないでしょうが最長です。
2.神戸市御影から「伊勢」130�q、他に伊勢へは複数件があり、いずれも100km以上です。
この後、但馬、大峯山、京都、高野山、愛宕山となり、国名や有名参詣地である。
これ以降の、大阪、神戸、大津、篠山、西宮、亀山などが地名をしめすものとして道標に相応しい気がしてくる。
大阪を案内する最遠のものは、三田市藍本からで45�q程になり、神戸へは高槻市氷室からが41�qになる。
篠山に向けては、神崎川より南西に案内するものがなく、茨木市大岩からの37�qが最も遠いが、阪神間から案内する
道標においては、20�q前後の距離になりそうです。
案内の多い、播州清水寺へは、宝塚市小浜から32�q、妙見山へは、三田市上相野から29�q、が最遠となる。
ピンポイントではない行先としての町・村では、池田へは、三田市永沢寺から27�q、伊丹へは三田市小柿から27�qと
同じ距離になっています。
一方阪神間から三田を示すものは、尼崎市神崎町の26�qとなりますが、三田の位置を市域の南部に置いた為で少し
短くなったと思われます。
西の兵庫を案内するのは、伊丹市北村からで26�qとなり、それより東寄りにないのが不思議な気がする。西国街道
(山崎通り)を下る人には取敢えず西宮でよしとしたものか。
これらの距離を考えると、道標が案内する先は「歩いて半日以内の所を書くもの」かも知れない。
【名寄せに関連して】
近世の表現では変体仮名の使用が多く、また濁点の有無、促音の表記法、同一文字使用の回避等により、同一地名でも
異なった書き方が存在する為、名寄せを行った。その結果最も多くの書き方があるのが「勝尾寺」であった。
「か」一文字を例外にしても何と35通りの表現が使われていた。「第二十三番札所」「箕面山」は仕方がないとして
例を挙げると「かちおうし」「かちおじ」「かち遠寺」「かち於し」「カツをぢ」「かつを寺」などがある。
読み難いものとして「ひやうこ」「飛よこ」は兵庫、「い者らき」は茨木、「そう志寺」「楚うちし」は総持寺、
「あふこ」「おふこ」「於うこ」は淡河、等、慣れるまでや、地名に馴染みのない場合は判断が難しい。
又、ここに載せた読み下しが正しいかどうかは、是非皆さんでお確かめください。
【グラフ】
二種類のデータ(道標と行先)から、結果を可視化してみました。
1.調査の都合上神戸を3地域に別けたのですが、市町村別の道標数の棒グラフが偶然にも見やすく成っています。
神戸を一つにすると205件となり、全体1,022件の内2割を占め、他の市がかすんでしまいます。大阪・堺は別にした
ほうが良かったかも知れません。
2.時代別道標数円グラフでは、「不明」が半数以上を占め、これを建設年の分っている比率に再配分すると、3/4が
江戸時代以前のものと推測できる。大正期7%、昭和期5%と思っていた以上の値となった。
3.時代別を市町村積上げグラフにすると、神戸市街部に於いて、明治以降の道標が多いのが目につく。
4.形状別円グラフでは、尖頭型が34%で一位となり、自然石が18%二位となっています。
5.市別に形状別積上げ棒グラフにすると、高槻市に於いて、尖頭型が64%と圧倒的に多いのが分る。地域的な特徴
と出来るものであろうか。
6.先にも書いた、時代別の道標の形状の流行等が見えるかでは、これを集合棒グラフにしてみた。
近年に近ずくにつれ角柱型と自然石が増え、コウ箱型や、地蔵型、五輪塔型は明治期に地蔵型が一基あるだけで作成
されなくなっている。多分凝った造りにすると費用の面が関係し合理的な考えが第一に成って来たものではないか。
グラフは、エクセル※「道標グラフ」か、(※エクセルはマイクロソフト社の表計算ソフト)
此方も容量の関係で集計部分のみのデータとなっています。
又は、 Googleスプレッドシート 「摂津国の道標グラフ」を参照下さい。