29.伊丹市金剛院境内の町石

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伊丹市宮ノ前2丁目金剛院の境内東奥に北を正面として建つ
町石(丁石)とは、寺社(本殿)までの距離を示すものである。(1丁=109m)
丁石(笠塔婆塔身、花崗岩) 高110x25x19p(上部半球形突起φ6p含まず)
N34.783292 E135.416258


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北面
┌─――――――――――――――――┐
│    永正十四年丁丑    玄性│
│南無阿弥陀仏(蓮華座模様)十二丁 │
│    八月十八日      永昌│
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(永正十四年八月十八日は、ユリウス暦1517年9月3日、
  グレゴリオ暦(現行太陽暦)では、1517年9月13日木曜日となる)
(解説によれば、「金剛院」の位置を示すものではなく、「…中山寺の町石と推定…」とあるが、
 現在地から十二丁では余りにも少なすぎる(直線距離でも6q=55丁)為、ここへは移設されたものであろう。)
(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』では、「…同年同月銘の町石が…ある。…一連のもので…」とあるが、
 川西市加茂2の丁石(十四丁)とは、日付は一致するが様式は異なり、
 宝塚市中山寺華蔵院庭内の丁石(六丁)とも、日付は一致するも様式が異なるようである。)
 詳しくは、【永正十四年作成の三道標比較へ】参照。

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【1.門を入り真っすぐ突き当り 【2.伊丹市中央部の道標】
 やや右、夜間閉門される】

(市内で「中山寺」への距離が彫られた道標は、他に2基有り
 1.「明治二十一年中野東三丁目道標」で24丁
 2.「伊丹市瑞ヶ丘の道標」で38丁(伊丹市立博物館収蔵B)
 であるが、博物館収蔵B以外の物は、表示の距離に対して、実距離が大きく違っている。)
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