10.伊丹市瑞ヶ丘の道標

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 2023年5月 一部追加
伊丹市立博物館収蔵B道標
もとは瑞ヶ池の西側で、中山道と有馬道の分岐点に建っていた。
(伊丹市瑞ヶ丘3丁目辺りか)
板碑型(背面船形)(花崗岩) 高71p,幅35p,厚15p(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』より)
N34.79384 E135.39763


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正面
┌─――――――――――――――――――――┐
│       右ハ 中山寺道是より三十八丁│
│キャ(梵字) 南無大慈大悲観世音菩薩   │
│       左ハ 小ばまみち      │
└―――――――――――――――――――――┘

他の面
┌─――――――――――――――┐
│(不明)           │
└―――――――――――――――┘


(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』では、「梵字のキャは、中山寺本尊十一面観世音菩薩の種子」とある、
 現状では、梵字のカ(地蔵菩薩の種子)にも見え、上書の誤植かもしれない。)
(博物館の説明に「板碑型の形式から江戸前期以前に遡る可能性…」とある。)
(元位置から伊丹・宝塚市境迄は旧道が余り残っていないが、地図上の想定距離(4.5q)と
 碑文の38丁(4.1q)はよく合う。)

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【1.上記『…古道を歩く』で 【2.博物館の街道と 【3.明治18年地図】
 元あった場所を北に望む  道標地図中央やや上
 正面の民家あたりか】  有馬道と中山道の
 
 分岐点にBとある】

(市内で「中山寺」への距離が彫られた道標は、他に2基有り
 1.「明治二十一年中野東三丁目道標」で24丁
 2.金剛院の「永正十四年町石笠塔婆」で12丁(移設)
 これが、最も遠い。)

 2023/5 追加
 伊丹市立博物館が移転されたようで、「市立伊丹ミュージアム」と名前が変わり、展示物が大幅に減少しています。
 この道標も含め、道標類の展示は無く当然解説も見えず、図書類も無くなっています。収蔵庫等に保管されている事を
 願って何時か見れる事を期待しておきます。「ミュージアム」は「博物館」より劣るようです。
  尚、能勢剣尾山月峯寺丁石に舟形板碑形式のものがあり、この道標と共通するとして追記しておきます。但し全体
 の雰囲気は似ていませんが、その中の遺失した丁石に紀年銘が應永18(1413)年と有った様で、参考として挙げておき
 ます。正面からは高槻市金竜寺丁石等も似る。

写真iimg9419 写真jimg2106 写真eimg8794
【4.『能勢の道しるべ』より 【5.下見谷道に有った 【6.高槻市金竜寺丁石
 不明の二十五町丁石  らしい、37丁(左)  山型板碑としては
 他石に無い紀年を持】  と32丁板碑型丁石】  これも似ている】
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