83.能勢町剣尾山白木谷道丁石一覧

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
 2023年3月 調査。2023年5月 一部追加しました。
 「剣尾山月峯寺丁石一覧のgoogleマップ」はこちら
 「能勢町剣尾山下見谷道丁石一覧」はこちら
 その他関連参照先
 「川西市妙見山新滝道丁石一覧」はこちら
 「能勢町妙見山清滝道丁石一覧」はこちら
 「能勢町妙見山奥ノ院今谷道丁石一覧」はこちら
 「能勢町妙見山奥ノ院本道丁石一覧」はこちら
 「妙見山・奥ノ院の丁石googleマップ」はこちら
 「豊能郡の道標googleマップ」はこちら
 「妙見山(奥ノ院含)案内の道標googleマップ」はこちら
 「妙見山、奥ノ院堀越峠道googleマップ」はこちら

写真jimg1044 写真jimg1214 写真jimg1447
【摂津名所図会『月峯寺』 【出発点とされる西林寺を 【山頂南部旧月峯寺本堂跡を
 現在の寺と思われ丁石が  北東に望む、参道は撮影  北東に望む、現登山道の
 目指すは「剣尾山旧跡」】  地点から西に向かう】  行者山道分岐から北80m】

目次
 1.参道概要
 2.白木谷参道
 3.丁石全般
 4.丁石一覧
 5.丁石詳細
 6.地図
 7.追記

1.【参道概要】
 月峰寺は、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [12]のコマ番号48に絵が載るが、こちらは現在の
 月峯寺に当ると思われ、丁石が示すであろう「月峯寺」は「劔尾山舊蹟」コマ番号49になると思われます。同書によ
 ると「大里村より五十町北の方、山遍村上方にあり、又中宿野より登れば坂路壱里(36丁)、此道嶮岨にして渓水道を
 遮り行路の半に梵字石あり、山嶺に至て四方を見れば衆山空しく奇伏(きふく)し田圃の畝に似たり、南方灘の海面鮮
 にして風色只なし、彌〔いよいよ〕東北には京師の日枝愛宕(ひえあたご)の峯々遙に見へて弧峰獨秀の虹外(こうがい)
 〔意味不明〕なり」
 とある。大里村は天保摂津国絵図にも載り現在も町名として残るが、剣尾山旧蹟への経路となると少し分かり難い。
 そこで、中宿野を手掛かりに、中宿野を現在のバス停(宿野三区公民館の東)辺りとすれば、下見谷を登る道となり、
 今に残る丁石と矛盾も無くなりそうです。同じく大里バス停辺りを大里村とすれば、府道104号(宿野下田線)経由
 で1.6q(14丁)となり合計50丁でこの下見谷参道を示しているでしょう。
  但し、大路次川の支流の下見川沿いでは無く、下宿野からその西の譲川左岸(東岸)を登る道の方が距離が短くなり、
 明治の地図でもこちらの道の方が太く描かれており、何故こちらを参道にしなかったかが気になる点ではある。一つ
 の考えとしてこの経路では「久佐々神社」を通過しない点であろうか。
  一方、「山遍(山辺)村上方にあり」はどうでしょう。この村も国絵図の月峯山のすぐ南にあり「すねこすり」
 (天王村)に続く朱書きの街道が描かれています。よってここからの参詣道が有ってもおかしくはない。
  現在では、先の道を「表参道(下見谷参道)」とし、山辺からの道を「裏参道」としている様である。表・裏の可
 否は別としてこれを使うとしますが、裏参道に当る方を「白木谷道(参道)」と呼びます。この名称は山辺川の支流
 の白木谷川等にも見られ、この谷の名前であろう。
  里からは、白木谷参道の方が距離が短く北に直登する感じで、下見谷参道は東から北に登り西に折れて尾根筋に取
 り付く形となり距離が長くなる分登りやすいのかも知れない。

【現状の地理院地図の登山道と参道の使い分け】
  2023年5月時点のwebの地理院地図を使用しました。この地図には当参道に該当しそうな山辺の東から剣尾山までの
 ルートとして、起点の想定30丁から同28丁手前、下部の20丁過ぎから14丁、中部の想定8丁から6丁に道の記述が無い。
 起点近くは山道が残っておりこれを参道とし、下部はほぼ直線的に参道、中部は直線的に描かれた徒歩道を参道とせ
 ず、現状崖崩れ(地図に記号無)の西側を迂回し東の6丁に繋がる経路を参道とした。
  又、想定8丁から現5丁迄はほぼ直線状の徒歩道が描かれ、現5丁の南20mの地点で、以下で火の用心K-3地点と呼ぶ
 鞍部(たわ、峠)を経由し山頂を目指す北北東に進む谷筋道と、北北西に尾根筋を直登する道に分岐している。直登
 する道を「参道」、K-3を経由する道を「登山道」と表現しています。
  →参道図参照へ、  地理院地図参照へ

参道概要  白木谷参道  丁石全般  丁石一覧  丁石詳細  地図  追記  ↑先頭へ  ↓末尾へ

2.【白木谷参道】
  先ず、当参道の起点であるが、丁石の約束事である「最初と最後が特別で、中間は同じ意匠」により判断したいの
 であるが、当丁石群に於いては残存するものが一部であり欠損部分も多い事から、難しそうである。ただ、1丁は岩
 に刻み込まれ特別と出来るが、失われた25丁が紀年銘を持っていたとされ、この石を起点とすると26丁石が現存
 し具合が悪い。26丁以降は25丁より後に追建された等との解釈も可能ではあるが、如何か。
 『能勢の道しるべ』森田弌1991年発行(以降参考本とも書く)には、剣尾山月峰寺町石として、寺の縁起と共に説明
 があり、又引きで申し訳ないが「南北朝から室町前期にかけて、『山辺村古記』の「西林禅寺」の項に『右往古者浄
 土宗西蓮寺ト号シタリ、剣尾山月峰寺応永年中暫ク浄土宗ノ山トナル、ソノ西蓮寺者里坊タリ、故ニ于今西林旧跡ヨ
 リ月峰へ町石有、廿八町目ト云(以下略)」とありこれを信ずれば、現、能勢町山辺370の西林寺が出発点となり
 そうです。
 更に同書の一覧表に「二十八町/景郷」(亡失)」とあり西林寺の位置辺りに図示されているが、本文に記述が無い。
 「廿七丁」丁石は移設されて能勢町栗栖に有ったものを、倉垣の歴史資料室に収納していたようだが、これも閉館。
 現存する「廿六丁」が参道中の最遠の石となります。
  この事により、出発点の石の特徴が捕まえられず、中間の石が同じ様式であるかを確認するような事になりました。
 出発点は前述に従い「西林寺」とするが、現存26丁から1丁づつ延ばすと30丁で西林寺境内の西端、寺への進入
 車道が登り着く辺りとなりここから確認していきます。
写真iimg9419 写真jimg1241
【下記で「古写真」とする。 【同じアングルかと思う写真
 起点ではないが、他石に無い紀年を持っ  上部は舗装路の四辻
 ていた不明の二十五町丁石  旧道の草道を入れると五辻
 『能勢の道しるべ』より】  になるが、人でも登り難い】

  尚、参考本の外に著者の甥に当る方(F氏)からの資料(同書以外の数基を発掘)も参考にさせて頂きました。
 有難うございます。ただ廃道状態の参道でもあり現在では失われたものも有り、今後はさらに減るのは間違いない。
  現在では参道どころか、地理院地図にのる道も定かで無く、その道も崖崩れにより辿る事は容易でないが、途中の
 流出した8丁丁石想定位置手前(又は現9丁過ぎ)までは地図のルートと出来そうであるが、遺失した8丁や崖崩れ
 の状況等からみても谷筋は参道に適さず、一度西側(右岸)の山腹に登り北西に向かった後、東の6丁丁石へ向きを
 変え東の尾根筋に出た後、今の谷筋にある5丁丁石道ではなく、私が6丁分岐地点と表現する辺りから、尾根筋を北
 に直登するルートではないかとする。尚、現5丁丁石は6丁丁石から距離を合わせた谷筋の現登山道に復旧移設した
 とF氏にお聞きしました。上記尾根筋から滑り落ちて来た可能性もあるとの事を参考にしました。
  この説を採ると、8丁丁石地点から、6丁丁石(15m西に移設)の間が2丁より短い問題も解決する。即ち、現6
 丁丁石の前からいきなり下るのではなく、そのまま少し西に向かい小さな谷を越えた後南東に折り返すとする事で、
 西へ30m、南東へ20m程距離が延びるのである。移設後の6丁から西に向う道らしきものも残っており単なる思いつ
 きだけではない。ただ此の西への道は小さな谷を越える地点と、南に向う道筋が分かり難くい。
  現在10丁とされる石と、9丁丁石は道から外れた位置に有る様に思われ、元位置ではないと感じる。
  現5丁丁石から上部の4、3、2丁丁石は無く、山火事用心板(K-3)地点のたわに出て、現存の1丁丁岩迄の距離
 が4丁では足りず約5丁と長くなり過ぎる点からも、現5丁丁石の建つルートは参道では無いとしました。
 地理院地図には、すぐ西に尾根筋を直登する道が描かれておりこれを旧参道と見なしたが、現行登山道からの分岐点
 が分からず未調査のままです。
  次に1丁丁岩が現登山ルートから見えない事。この岩の南にある日月岩前を通り「しじみ池」西の行者山からの登
 山道に出て本堂跡に向かうと、1丁半と長すぎる事。この二点から、旧参道は日月岩の北、1丁丁石岩の前を通過し、
 現鐘楼跡に出るルートが本来の参道であるとした。1丁丁岩へは現在登り難いが、その岩の前立つと、そこから先は
 歩き易そうな道が続いていおり、鐘楼跡までは道なりに進み、東側をそのまま突っ切り本堂前に出ると100mを切る
 事になってしまった。そこで鐘楼跡の南側を西に迂回した後、北に進むと丁度1丁で本堂跡になると理解できる。
  1丁丁岩は動くことなく元のままにあり、登山道が付け変わったのであろう。
 依って2〜5丁丁石は1丁丁岩を基準に元位置を探るべきで、5丁丁石から探すべきでは無いでしょう。
写真jimg1045 写真jimg2044
【明治の地図上に丁石の位置を 【本堂近辺の参道想像図
 記した、6丁へは現9丁丁石  現在の登山道とは異なり
 辺りから西に迂回したとした  日月岩を右から回り込み
 が10丁辺りからの可能性も】  1丁岩から鐘楼跡へとした】

【注意】
 当参道は地理院地図に書かれた道にほぼ沿っていますが、現実には部分的に廃道状態です。前半の20丁から14丁
 の間と、中間の10丁、9丁辺りの谷筋は踏み跡さえ追いにくく、想定8丁からは崖崩れがあり、6丁を越し現5丁
 へ続く登山道の尾根筋に出るまでは相当な注意がいります。ケルン様な積石や、テープ・リボン等の目印も見えます
 が当てには出来ません。又、現5丁への登山道は踏み跡が分かり難い程度ですが、その手前から分岐する参道は地図
 に有りこそはすれ、踏み跡もなく目印も見かけなかった。
 何卒、自己責任に於いて探訪下さるようお願いします。本堂跡730m迄、標高差490mを30丁(3.3q)で登る、平均15%
 の勾配は左程キツクは無いが気を使います。

  それでは白木谷参道を辿りましょう。

写真jimg1215 写真jimg1211 写真jimg1219 写真jimg0900
【1.西林寺境内から西を見る 【2.推定30丁と思われる 【3.推定29丁と思われる 【4.舗装路から28丁(60m先)
 右上奥へ登り、10mで  地点をを西に見る  地点をを北西に見る  辺りを北東に見る
 左の水平道に分岐】  丁石らしきは無し】  50m程で舗装路へ出る】  明治の地図も同様】

写真jimg1050 写真jimg1601 写真jimg1580 写真jimg1561
【5.クランク状に折れ推定27丁 【6.現27丁の有る能勢町 【7. 27丁石の正面 【8. 27丁石解説
 (ボカシ部)辺りを北に見る  倉垣の住民サービスセンター  「廿七丁 安」  「白木谷の圭頭厚材状
 消火栓の辻を左へ折れる】  を北に見る、閉館中】  と読める】  27町石板碑」とする】

写真jimg0903 写真jimg0905 写真jimg0907 写真jimg1052
【13.26丁手前30m三ツ辻を 【14.26丁石を北東に望む 【15.26丁石を北に望む 【16.26丁石の南面
 北に見る、直進し農道?  右の木の脇を通り  真中で折れ下部が黒い  「廿六丁行春」
 を進み30m右林の中】  奥に入り込む】  上部は補修された様】  上下の明度を合わせた】

写真jimg1054 写真jimg0937 写真jimg1061 写真jimg1067
【17.推定25丁と思われる 【18.古写真での25丁四辻 【19.24丁の丁石かも 【20.24丁の上部にしては
 地点をを北東に見る  を南に見る、左奥草道を  電柱下に24丁石の上部?  少し違和感が残る
 古写真では30m先か】  下りかける右手辺りか】  が有る、古写真から1丁】  庇の下部にも似るが】

写真jimg1073 写真jimg0954 写真jimg1076 写真jimg1080
【21.推定23丁と思われる 【22.推定23丁の60m先 【23.23丁石を北に見る 【24.26丁から推定の22丁
 地点をを北に見る  道左(西)の木立の間  上部は欠損し、残りの  辺りを北東に見る、
 現在は何も見当たらず】  23丁石が建つ】  二石が補修されて建つ】  現23丁からは60m程度】

写真jimg0985 写真jimg0988 写真jimg1002 写真jimg0990
【25.23丁から推定の22丁地点 【26.22,21丁を東に見る 【27.22丁とされる石を 【28.21丁(左)を北に見る
 で北東を撮影。今は先の  手前(大)が21丁、奥の  北に見る、ここへは  配置的には左右逆が望ましい
 カーブミラー右に22丁が有る】  22丁に丁数部分は無し】  遺失を恐れ移設】  21丁は展覧の為ここへ移設】

写真jimg1022 写真jimg1091 写真jimg1095 写真jimg1117
【29.20丁への旧道を北に 【30.20丁への廃道入口を 【31.左20丁を北に見る 【32.20丁を西に見る
 見る、私有地を抜け  北東に見る、左写真から  右廃道(沢状)の左土手上  参詣者には背を向けて
 山際の植林部南端へ】  は140m地点での撮影】  背面が先ず目に入る】  いる感じは移設されたか】

写真jimg1144 写真jimg1163 写真jimg1149 写真jimg1171
【33.推定19丁辺りを北に見る 【34.19丁過ぎ四辻を北に 【35.同辻北西部の座像石を 【36.座像石東面を拡大
 歩測による為精度は  見る、左右が広い道で  北西に見る、座像と石の  F氏によると
 期待できません】  右(北東)砂防提西端へ】  形状から丁石でなさそう】  首なし地蔵と呼ぶらしい】

 (写真29から私有地を抜ける(養鶏場の方に許可を得る)事が出来ない時は下記経路を採ってください。養鶏場入口か
 ら東へ50m進み橋を越してすぐの三ツ辻を北に折れる。辻北東部に「林道白木谷線」とあるが左へは多分、送電線保
 守の為の舗装道で、東に向かうのが林道であろう。この辻から沢の左岸(東)側道を通り迂回します。)
写真jimg1024 写真jimg1194 写真jimg1193 写真jimg1258
【33-1.養鶏場入口の東方 【33-2.同左から400m地点の 【33-3.堰堤を西に見る、北西へ 【33-4.渡渉後は南西に
 50mの三ツ辻を北東に見る  三ツ辻を北に見る、左(西)  分岐の地道を直進ではなく  広い道(正面)を80m程進み
 左(北)に折れ舗装路を登る】  に堰堤があります】  堰堤北をすぐ渡渉する】  写真34から南20丁へ下る】

 (写真33-2の北西道は地図では川をグルリと越えているが、橋はなく、堰堤すぐ北の適当な所を渡渉する。対岸には
  広い道が南西にほぼ水平に続いており80mで写真34.の四辻になるが、広い道を歩いていると四辻とは認識し難い。
  ここを左(南)に分岐し、19丁を探し、20丁迄下り折り返してくる事になるが、廃参道の追跡は困難である。
  尚、この四辻北西部には「首無し地蔵」が建っています。)

  写真36首無し地蔵から北に続けます。
写真jimg1181 写真jimg1184 写真jimg1192 写真jimg1198
【37.推定18丁辺りを北に見る 【38.17,16丁共に不明で 【39.写真33-1地点から 【40.途中舗装道は沢を右岸へ渡る
 写真35の首無し地蔵を  15丁手前で北を見るが  林道白木谷線の黄色板を  明治地図で参道は一貫して
 過ぎると、旧道は更に  開けた地点で道跡が消え  左折し、北に舗装路へ入り  右岸を北に進み渡渉の必要
 不明瞭になるが、水の  止む無く引き返す、上の  写真33-2地点を直進し  はない、本谷の為常時水が
 流れ跡を追う】  写真は多分16丁辺り】  14丁丁石を目指す】  流れており足が濡れる】

写真jimg1262 写真jimg1266 写真jimg1271 写真jimg1332
【41.旧道と思われる道を 【42.14丁を北に見る 【43.14丁を北西に見る 【44.90mの下部のみの13丁を北に
 南に見る。引き帰し地点  右下に沢が有り  背後に欠損が有るが  見る、舗装路は左へ
 写真38からは60m程か】  小さな滝も有った】  ほぼ元の形を維持】  参道は北に直進する】

写真jimg1326 写真jimg1333 写真jimg1349 写真jimg1745
【45.13丁を拡大 【46.13丁の北三ツ辻から 【47.推定12丁辺りを北に 【48.推定11丁辺りを北に
 「十三町」の上に数字  北を見る、地道になり  見る、まだ道らしいが  見る、見つからない
 は無かったとする】  暫くは道らしいが…】  2日前の雨水で沢状】  11丁は参考本に記載なし】

写真jimg1360 写真jimg1761 写真jimg1790 写真jimg1798
【49.11丁60m程先の炭焼窯 【50.10丁辺りの石仏を北に 【51.10丁?の拡大 【52.9丁を北東に見る、両側
 跡を北に見て、右の  見る、中央が10丁石の  「性…」と施主の様に  が低く、地形図の通り
 北東の谷に入る  残欠かも知れない  見える、丁石とすれば  東側が参道とするなら
 この後のトレースは難しい】  山道から離れ左上に】  下部になると思う】  やや西側に外れている】

写真jimg1802 写真jimg1836 写真jimg1847 写真jimg1850
【53.9丁南西面拡大 【54.推定8丁辺りを北に 【55.推定8丁過ぎを地図に無い 【56.推定7丁を北東に見る
 「九町妙禅」と何故か  見る、見つからない  左谷沿いに進み崖崩れ部の  8丁過ぎ崩れ残った谷西側
 小締んまりと見える  8丁は参考本に記載なし  西側を行く。右側は地図  を迂回するが探しえず
 接合部は違和感なし】  発見後復元されるも流失】  にある徒歩道で5丁へか】  7丁通過道は地図に無い】

写真jimg1852 写真jimg1857 写真jimg1866 写真jimg1863
【57.6丁への転向点が分からず 【58.左写真より40m北西上へ 【59.同左から下って来て 【60.6丁を写真57から来た体で
 谷の北西を見ると左手に  進路が途切れここで東に  6丁から北西を見上げる  北に見る、近道になる
 人が削った台の様な岩が、  転向し、右の倒木の上に  少し先までは道の様に  参道は丁石から右に
 本来ここで東に渡るべき】  渡り眼下に6丁を発見】  見えるが、すぐに消える】  曲り、崖崩れ上部へ】

写真jimg1915 写真jimg1872 写真jimg1914 写真jimg1918
【61.6丁南面と解説板 【62.6丁丁石の解説板 【63.6丁を東に見る 【64.6丁を過ぎて西に振返る
 「六町 道糸」と読める  「六町石の移設について」  先15mが元の位置  5丁から下り6丁へ向かった時
 解説「東15mから移設」  とし、平成30年豪雨で  白っぽい崖崩の直上を  はこの様に見えるでしょう
 は崖崩れ対策の為】  2石が流失とある】  通り現登山道に合流】  6丁は正面右側、左崖崩れ】

写真jimg1920 写真jimg1477 写真jimg1503 写真jimg1475
【65.6丁への分岐点を振返って 【66.現5丁を北に見る 【67.5丁東面の拡大 【68.5丁の1丁上を南に振返り
 南に見る、右に6丁へ分岐、  同左写真より60m上辺り  梵字は読めるが  見る、次のK-3鞍部まで
 中央左の尾根筋下り道は  登山道は明確になり道の  丁数部分は読めない  20m辺り、参道なら
 斜度が強く遺失8丁辺へ出る】  西側に修復され建つ】  元位置は上部の尾根か】  4丁が建っていた辺り】

写真jimg1949 写真jimg1953 写真jimg1955 写真jimg1959
【69.鞍部下見谷道との合流点の 【70.下り参道分岐を東に 【71.5丁より想定3丁辺を西 【72.剣尾山7合目
 たわを西に見る、奥剣尾山へ  振返る、左k-3へ下る道、  に見る丁石は見つからず  案内板を南に見る
 (火の用心K-3)赤標の左へ下る  ストック右に分岐し尾根筋を  登山道として整備され  丁石とは関係ないが
 のが白木谷道、右へ下見谷道】  下る当参道が見える】  不明の白札等あり】  目印地点になる】

写真jimg1962 写真jimg1965 写真jimg1391 写真jimg1969
【73.想定3丁辺を北に見る 【74.想定2丁辺を西に見る 【75.不動岩を北西に見る 【76.日月岩を北に見る
 上部1丁岩から想定した地点  上部1丁石から想定の地点  丁石とは関係ないが  1丁への進入口となり
 で5丁から登って来た場合と  で丁石は見当たらない  観光気分で載せる  右側を廻込み上部へ
 は1丁程の誤差がでる】  1丁岩が正しく思えるから】  参道上であろう】  進むのが参道とした】

写真jimg1973 写真jimg1982 写真jimg1988 写真jimg1990
【77.日月岩を北東に見る 【78.日月岩上から1丁岩(左上)を 【79.1丁岩を北に見る 【80.1丁岩南面拡大
 現在は道らしきは無いが  北に見る、右下から登って  参道であれば最後の  碑面全体を掘り下げ
 石を伝って右へ登る】  来て左へ続くのが参道か】  丁石として申分無し】  「一町…」と読める】

写真jimg1985 写真jimg2018 写真jimg1450 写真jimg1443
【81.1丁岩を西に見る 【82.1丁岩から70m地点左に 【83.1丁岩から100mで本堂跡 【84.月峰寺本堂跡を西に抜け
 岩の西からは歩き易く  鐘楼跡礎石有り、本堂  南東端に出た、鐘楼跡を  登山道から東を見る、
 参道として問題なし】  方向(北西)を見る】  西から廻って来るべきか】  参道入口に相応しくない】

 蛇足ですが、山頂へ行きます。本堂跡から西に抜け登山道に出て北へ登る。
写真jimg1423
【85.剣尾山山頂
 から東(亀岡)を見る
 松後ろ遠くの谷筋が白木谷】

参道概要  白木谷参道  丁石全般  丁石一覧  丁石詳細  地図  追記  ↑先頭へ  ↓末尾へ

3.【丁石全般】
 1.丁石の起点を、特徴により判別する事が出来ず、広い道からの参道入口となりそうな明確な辻が存在しない。
   到達地点(寺は多く本堂)の目安となる一丁は大きな岩に彫り込まれており、最後の丁石として相応しい。
 2.目的地までの残存距離を示す丁石である。
 3.多く背面が舟形の角柱と思われ、下部はほぼ四角く、上部にゆく程丸さが増える為「舟底形」とした。上部は前
  から見ると山型であるが頂部に後部への直線的な稜線はなく、連続的に背面に繋がる。山型の頂部は2p程の出張
  った庇(ひさし)を持っていて、碑面を横から見れば、下部から庇部にかけゆるく湾曲している。基礎部に続く最
  下部は中央部が1p程前に出てやや丸く仕上げられ、碑面とは段差が着いている様に思う。
  一般的には旧い時代の形状、様式であると思われる。
   27丁丁石の解説には「圭頭厚材状…石板碑」とあるが、圭頭が石の状況を上手く説明するものか知識がありま
  せん。又、板碑と書きつつ厚材状が気になる所です。形状の説明が詳しく載っている前述の写真8を参照下さい。
 4.庇部には二本の横線がある様に見え、碑面上部に梵字一字(多分キリーク、阿弥陀如来の種子か)を書き、続け
  て丁数と「町」又は「丁」と書く。
   月峯寺の宗旨が元は天台宗(本尊釈迦如来=バン、又は、阿弥陀如来=キリーク)で、応永の頃に浄土宗(本尊
  阿弥陀如来=キリーク)とされるので、梵字がキリークで統一されていても問題は無いでしょう。
   但し、「キリーク」の筆跡が異なるものがあり、一連(同時作成)の建立になるものではないと思う。
 5.施主又は願主と思われる名前を持つものが幾つかあり、縦書きするものと横書きするものがある。僧侶の様な名
  前である。横書きでも20丁丁石では右側の「玄」が左側の「道」よりも低い位置にあり、「玄道」か「道玄」か
  読み方に苦労する。
 6.参考本発行時点での残存丁石が分かり難い上に、それ以降に見つけ出された丁石も有る中、今では再び失われる
  等し残存基数が掴みにくく見落としが無いか気に掛かる。

参道概要  白木谷参道  丁石全般  丁石一覧  丁石詳細  地図  追記  ↑先頭へ  ↓末尾へ

4.【丁石一覧】
能勢町剣尾山白木谷道丁石一覧
丁数北緯東経紀銘願主特徴大きさ地理院地図上の距離
(m)
表示距離
(m)
誤差

(m)
2734.971105135.466244(梵字)廿七丁 安舟底型角柱
完形
62x20x15p(頂高11p)
(庇部15.5x20x14p,前2p出張)
(山型上部稜線なし)
遠隔地2943 
2634.981838135.398648(梵字)廿六丁 行春行春上部欠損82x22x12p
(下から44pで折れ)
28302834-4
2534.982714135.399441不明
         應永十八年
(梵字)二十五町      浄善
         十月十八日
浄善應永十八年十月十八日
1413年11月13日水曜日
高157p,幅21p
(基部除き、114x21x?p)(庇高17p)
 2725 
2434.983108135.400440((梵字)二十))
(( )部は『能勢の道しるべ』より)
 現、頭頂部のみ未計測
(高35p,幅21p)
25972616-19
2334.984601135.401278(南面)
(梵字)二十三(町 □左)
(( )部は『能勢の道しるべ』より)
 上部折損65x22x36p
(上部奥行10p)
下から38pで折れ
24092507-98
2234.985311135.402368転石位置より22丁
(梵字)
 丁数不明38x21x14p
(頂高21p)
(庇2p前に出張)
22842398-114
2134.985326135.402336(梵字)二十一町 □妙□妙上部欠損9x24x12p
(上から20,54pで折れる)
22842289-5
2034.986557135.403445         (玄)
(梵字)二十町
        (道)
玄道ほぼ完全93x31x18p(頂高14p)
(庇2p)
(背面上25p6p厚欠損)
21062180-74
1434.991612135.405023(梵字)十四町 ほぼ完全78x22x16p(頂高8p)
(庇部18x21x15p、前2p出張)
(山型上部稜線7p)
(背部に欠落)
15021526-24
1334.992373135.405152十三町 (□左) 上部欠損47x20x19p
(基部5x24x20p、5pは高さに含む)
14141417-3
10?34.995021135.405991十丁かも知れない石
□…
(□は性、法か)
 丁石か不明
角柱
33x19x14p
(上部欠損、下部欠損)
(横の頭頂部石5x16x8p)
1106109016
934.995589135.406732(梵字)九町 妙禅妙禅上部欠損67x21x15p
(上部欠損、下部46pで折れ)
(背面は舟底様である)
100098119
634.997903135.406861
(梵字)六町 道糸
道糸舟底型角柱
完形
近接移設
元位置は15m東
79x21x16p(頂高6p)
(庇部13x19x16p、下部2p出張)
71665462
534.998244135.407578(梵字)五□
(□は町か)
 ほぼ完全93x26x15p(頂高6p)
(庇部16x25x16p,下部2p張出)
(下から59pで折れ)
たわ(K-3)経由
600
54555
135.000795135.405255(梵字)一町… 自然石岩165x180x90以上
碑105x34x-2p
碑面下部8p彫込
(頂部は削取られ、右側面背部は上部に向け削り込まれるか)
1101091


参道概要  清滝道参道  丁石全般  丁石一覧  丁石詳細  地図  追記  ↑先頭へ  ↓末尾へ

5.【丁石詳細】


写真jimg1589
廿七丁(正面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)廿七丁 安     │
└――――――――――――――┘
(梵字、キリークか、阿弥陀如来の種子)

写真jimg1548
廿七丁(右面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1552
廿七丁(裏面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1550
廿七丁(左面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg0916
廿六丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)廿六丁 行春    │
└――――――――――――――┘
(梵字、キリークは阿弥陀如来の種子)

写真jimg0913
廿六丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg0914
廿六丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg0915
廿六丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg0932
不明、二十五丁
┌――――――――――――――――┐
│         應永十八年  │
│(梵字)二十五町      浄善│
│         十月十八日  │
└――――――――――――――――┘
(『能勢の道しるべ』より)



写真jimg1066
二十四丁(北西面)
┌――――――――――――――┐
│((梵字)二十四)     │
└――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)
(但し、同一の石かは判定しかねる)

写真jimg1070
二十四丁(南西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1069
二十四丁(南東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1068
二十四丁(北東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg0966

二十三丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)二十三(町 左)  │
└――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

写真jimg0961
二十三丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg0962
二十三丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg0963
二十三丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1017

二十二丁か(南面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)          │
└――――――――――――――┘
(梵字、キリークは阿弥陀如来の種子)
(『能勢の道しるべ』転石位置より二十二丁らしい)

写真jimg1003
二十二丁か(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1004
二十二丁か(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1005
二十二丁か(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg0992
二十一丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)二十一町 □妙   │
└――――――――――――――┘

写真jimg0993
二十一丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg0995
二十一丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg0996
二十一丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1100
二十丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│        (玄)   │
│(梵字)二十町       │
│       (道)    │
└――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

写真jimg1104
二十丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1107
二十丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1108
二十丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1144
不明、十九丁
┌――――――――――――――┐
│  (十)九丁       │
└――――――――――――――┘
(『能勢の道しるべ』より)



写真jimg1274
十四丁(南東面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)十四町       │
└――――――――――――――┘

写真jimg1276
十四丁(北東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1280
十四丁(北西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1283
十四丁(南西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1347
十三丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│十三町 (□左)      │
└――――――――――――――┘
(上部欠損)
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

写真jimg1312
十三丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1316
十三丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1317
十三丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1349
不明、十二丁
┌――――――――――――――┐
│(梵字)十二町       │
└――――――――――――――┘
(『能勢の道しるべ』より)



写真jimg1768
十丁か(東面)
┌――――――――――――――┐
│□…            │
└――――――――――――――┘
(□は性、法か)
(上部欠損)(下部欠損)

写真jimg1769
十丁か(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1771
十丁か(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1774
十丁か(南面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1782
横の石を載せた十丁か(東面)
┌――――――――――――――┐
│□…            │
└――――――――――――――┘
(□は性、法か)
(材質はよく似るが断面が合わない)
(間にもう一つ石が必要か)



写真jimg1805
九丁(南西面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)九町 妙禅     │
└――――――――――――――┘

写真jimg1809
九丁(南東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1810
九丁(北東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1813
九丁(北西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1836
不明、八丁
┌――――――――――――――┐
│(梵字)八丁        │
└――――――――――――――┘
(F氏資料より)



写真jimg1883
六丁(南東面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)六町 道糸     │
└――――――――――――――┘

写真jimg1874
六丁(北東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1876
六丁(北西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1880
六丁(南西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1482
五丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)五丁        │
└――――――――――――――┘

写真jimg1485
五丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1487
五丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg1489
五丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1990
一丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)一町…       │
└――――――――――――――┘

写真jimg2009
一丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2010
一丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2015
一丁(上部)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘


参道概要  白木谷参道  丁石全般  丁石一覧  丁石詳細  地図  追記  ↑先頭へ  ↓末尾へ

6.【地図】
写真jimg1045
【86.能勢町剣尾山丁石地図】

写真eimg9533
【87.能勢町本瀧道丁石地図】

写真eimg9528
【88.川西市新滝道丁石地図】

写真eimg9534
【89.能勢町清滝道丁石地図】

写真eimg9535
【90.能勢町の道標】

写真eimg9532
【91.能勢町今谷道丁石地図】

写真fimg3225
【92.能勢町東部の道標】

参道概要  白木谷参道  丁石全般  丁石一覧  丁石詳細  地図  追記  ↑先頭へ  ↓末尾へ

 2023年5月 追記。
 7.白木谷参道上部ルート確認と想定4、5丁地点。
  もう一方の参道、「下見谷参道」を調べた後、「白木谷参道」との合流点から、未調査であった4丁、5丁が存在
 したであろう部分を、上部から下りながら、現存5丁丁石のある登山道との合流地点までを辿りました。本来ならば
 現存6丁から登るべきであるが、当参道への進入点が分からなかった為、上から行けば何処かで現5丁の登山道に出
 合うか、6丁丁石に出るか、するであろうとの考えです。
  結論から言うと、進入口は分かったものの、途中参道らしきものは無かった。木立の隙間を地形図が示す尾根筋を
 頼りに南南東を目指し下っただけであった。勿論3丁から距離を合わせた4、5丁地点には丁石は見つからなかった。
  ただ、このルートが参道であろうと出来る案内地図が上記「火の用心K-3赤標」の北に倒れていた。

  それでは、想定3丁手前の下見谷参道合流点から200m程を下って見よう。

 地理院地図の合流点は尾根で折り返した地点のやや北西に書かれているので少し上まで道を探したが無い。折返し地
 点が丁度尾根状の合流点と判断し此処から南南東に下りたいが、道らしきものは無く真っすぐ下るには斜度が有り過
 ぎる為、斜め左下、右下と折返しながら稜線を挟むように下ると20m程で少し開けた感じになり尾根筋が分からなく
 なった。右(西)の方が高かったのでそちらに向かい下り始めるが、やや西に寄り過ぎた気がして少し東に寄せ歩き
 易い部分を行くことにしました。
  事前にGマップ上にマーキングした4丁想定地点に向かい丁石が無い事を確認し、5丁地点へも同様に辿り着いたが、
 当然ここには無く、残念なことにこの位置では東の本谷に流出する地形では無いと解った。落ちるなら6丁丁石のある
 西側の谷になると思う。現5丁が何処で発見されたか気に掛かる。
  想定5丁を過ぎると、斜度がきつくなったと思った瞬間、見覚えのある登山道(前回の5丁前を通る道)へ出て、今下
 って来た道?が参道であったと出来る。
  その上、前回取り損ねた写真を撮る為、「火の用心K-3赤標」の建つ四辻に倒れていた「おおさか環状自然歩道」
 の地図を改めて良く見ると、今降りて来たルートが書かれている事が判明しました。これが何時廃道になったか分か
 らないが、建設当時はこちらの道が主であった証拠になるのではと思う。ほとんど消えかかっているので、手を加え
 た写真を載せておきます。

 進んだ順に写真を並べました。

写真jimg2419 写真jimg2420 写真jimg2426 写真jimg2424
【93.合流点を南東に見る 【94.合流点から南を見る 【95.想定4丁で南を見る 【96.想定4丁で振返り
 左、下見谷道K-3へ  切株先の尾根を行こうとし  道には見えないが  北を見る、登りは空間が
 右奥へ下りたいが  一度下の開けた所に出て  何となく歩き易い  ある様に見えるが
 やや左、次右等と進む】  南に下った】  丁石は見えない】  参道でしょうか】

写真jimg2427 写真jimg2432 写真jimg2428 写真jimg2438
【97.想定5丁で南を見る 【98.想定5丁で振返り 【99.想定5丁で東を見る 【100.終に見覚えのある道に
 道であろうか  北を見る、左上から  ここに丁石があれば  出て、南を見る、現5丁の
 右(西)は急傾斜  下って来た、右にも  東(現5丁)に崩れ落ちる  前から下って来る登山道、
 5丁は見つからず】  行けそうではあるが】  事はなくむしろ西であろう】  20m先に6丁分岐点ある】

写真jimg2434 写真jimg2409 写真jimg1045
【101.振返って見ると 【102.K-3地点の地図拡大 【103.明治の地図に
 ストックが下って来た道  南北が逆、現在地を  私見の白木谷道を
 右が現5丁石への道  横切る緑色が当参道  紫色で書き込んでみた
 現5丁からはK-3峠へ】  今下って来た道】  確かな道は無かったが】

【剣尾山月峯寺丁石、雑感】
  丁石の形状に関して、上部がない石も含め白木谷道は舟底型角柱でほぼ統一された意匠と思われ、この代表として
 紀年銘のある25丁の應永十八(1413)年とするのはやぶさかではない。これと同じ意匠と思われる下見谷37丁丁石も
 同時の建設と出来るでしょう。
  梵字を地蔵像に置き換えれば、よく似たもの
『能勢町山内の地蔵道標』があるが、これには残念ながら紀年がありま
 せん。
 外によく似た『高槻市田能の供養塔道標』に宝徳三(1451)年がありこれは確かに古いと言えます。この形状がこの
 頃によく使われ古い(近世前)タイプと言えたとしても、形状は異なるが、箕面の『粟生間谷勝尾寺表参道の1丁』
 宝治元(1247)年、『神戸市灘区箕岡通の18丁丁石』が文安四(1447)年と、一石五輪卒塔婆型で共に古いが、
 同じ形状の『神戸市北区の丹生山参道』丁石が明和七(1770)年と新しい様に、形状のみで全てが旧いと判断は下せ
 ないでしょう。
  下見谷にある、分類的には似た形状の舟底型板碑(32,34丁)は摩耗等の点で、白木谷のものよりは新しく感じる。
 ただ、この形式で上部に庇(二本の横線)を持つものは珍しいと思う。
 尤も板碑型は少なく(近代ではやや多い)、場所をとるし、設置の難しさ、費用的な問題等がある為ではないか。
 山型板碑とだけするなら、『高槻市の金竜寺丁石』『吹田博物館の天道道標』があるが雰囲気は似ていない。
 庇部を除けば『箕面市粟生間谷東5本成寺の道標』がよく似ている。

 よく似た形状の石
写真jimg1582 写真eimg9011 写真fimg2318
【104.白木谷代表27丁 【105.高槻市田能の供養塔道標 【106.能勢町山内の地蔵道標
 62x20x15p(頂高11p)  108x31x20p(頂高15p)  79x26x18p(頂高11p)
 庇部15.5x20x14p,2p前出  庇部5x31x龕面より6p前出  庇部3p前に出る
 應永18(1413)年か】  宝徳3(1451)年】  紀年なし】

写真jimg2104 写真cimg2038
【107.下見谷37丁(左) 【108.伊丹市瑞ヶ丘の道標
 59x20x13?p(頂高12p)  71x35x15p(頂高約6p)
 庇部12x18x12p、3p前出  庇部4x35p(上部欠4pか)
 應永18(1413)年か】  紀年なし】

写真jimg2128 写真jimg2228 写真eimg3268
【109.下見谷32丁(手前) 【110.下見谷34丁(右) 【111.箕面市本成寺の道標
 104x30x10p(頂高9p)  71x26x11p(頂高8p)  65x22x14p(頂高11p)
 廂部421x28x9p,0.5p前出  庇部18x26x10p,0.5p前出  庇部4x35p(上部欠4pか)
 紀年なし】  紀年なし】  紀年なし】

参道概要  白木谷参道  丁石全般  丁石一覧  丁石詳細  地図  追記  ↑先頭へ
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ